(一)経済主義と政治闘争の後退
<1>左翼戦線混迷の根本的根拠−形成期の新左翼がとりいれた経済主義・組合主義の開花
<2>マルクス主義と生産点=「主戦場」思想との根本的対立
<3>70年代 課題別戦線が先頭に立つ独特の階級情勢
(二)革命運動と三里塚闘争
<1>三里塚闘争の階級的性格
−プロレタリアートの政治闘争としての任務
<2>開港後の三里塚闘争が直面した困難
−既成事実の重圧とそれへの闘いを放棄する既存左翼の経済主義の深化
<3>三里塚闘争の階級的前進に向けた任務
三里塚闘争の階級的位置、階級闘争上の位置を理解するためには、70年代階級闘争の一大特徴である、いわゆる“課題別戦線の高揚”が意味する性格を理解しなければならない。
70年代に高揚した課題別戦線の特徴は、三里塚反対同盟や部落解放同盟のような、強力な当該大衆組織を中心にすえた闘いであるところに見ることができる。当該大衆組織が先頭に立って闘い、それを、左翼勢力や全国の労働者大衆が“支援”するという形態をとったことである。
又、もう一つの特徴は、その課題が、反差別闘争、及び農漁民を中心とする地域住民闘争を主軸としていたことである。
即ち、70年代の政治闘争は、被差別大衆や農漁民を当該とする闘いが高揚を牽引してゆくという、かなり特徴的な形態をとることになった。
そして、この形態に対して、左翼戦線や労働者大衆による評価・捉え方は、おおむね次の二通りのものになる。
第1に、こうした状況を極当然のものとして受け入れ課題別戦線を連帯して闘ってゆく立場であり、既存左翼の大半がこの立場に立った。
第2に、被差別大衆や農漁民が当該となっている運動に対して、“労働者が中軸となる階級的闘いとは異なる”と評価を行い、課題別戦線に敵対するか、軽視する立場である。
ここでは、後者の検討から行ってゆこう。
経済主義の立場から階級闘争を捉えた時には、階級闘争は、直接、資本家と労働者の争い、又は、国家権力と労働者の争い、という形態をとっていなければならないことになる。だが、先に見てきたように、この点に根本的な誤りがあるのだ。
革マル派は、“階級矛盾が「本質」であり、民族矛盾・差別などは「仮称」である”と規定して、労働運動を「本来の戦線」と捉え、反差別闘争や農漁民の闘いを徹底的に軽視し敵対した。−この、「本質」「仮称」という、あまり適切ではない革マル派の用語を敢えて使うならば、「本質」は確かに階級対立ということになるが、その具体的な現れは、ブルジョア独裁の継続かプロレタリア独裁樹立かをめぐる権力闘争、又はそれに至る革命運動の総体なのであって、重要なことは、「本質」の現れが、決して労働運動ではないということである。即ち、民族矛盾・差別などを、階級矛盾の総体を反映しているのではないという意味で、仮に「仮称」と呼ぶとすれば、先に見たように、労働運動も、又、階級矛盾の部分的反映にすぎない点で、同じく「仮称」ということになる。
−矛盾・抑圧を直接蒙っている当事者が賃金労働者ではない(農民など)、又は、労働者かどうかを問わない存在である(被差別大衆、地域住民闘争の当該勢力など)ことを理由に、それらの闘いが、階級闘争の「主戦場」「本来の戦線」ではないと捉える理論は、結局、経済闘争−組合運動を階級闘争の中軸として理解する露骨な経済主義に他ならない。
何故なら(これは、根本的には同義反復になる基礎的な問題なのだが)、賃金労働者にのみ直接かかわる課題とは、経済闘争と、労働法などにかかわる政治闘争の極一部に限られるからである。他方、政治闘争は、直接には、賃金労働者か否かを問わない性格を帯びる。例えば、革マル派が天まで持ち上げる「反戦闘争」にしても、戦争に反対し、或いは被害を受ける者は賃金労働者だけではないという点では、労働者−資本家の直接対立という形態をとっているわけではない。政治闘争の階級性は、国家と人民との間に現れた矛盾・対立を、社会関係総体の中で科学的=唯物論的に解釈することによって、その矛盾・対立の中に、階級対立の非和解性がどのように反映しているかを暴露すること、その政治暴露に立脚して、プロレタリアートの勝利に向けた方針に基づいて闘うことの中に、−即ち、政治闘争の路線の内に現れる。組織労働者が運動を担っているかどうかというところに、階級性の核心があるわけではない。
−“しかし、それにしても、大半が無産階級である被差別大衆の闘いは、その路線によって、階級的な闘いとなりうるとしても、農民を主体とした闘いを「階級的」と捉えることは無理がある”という反論が返ってくるかもしれない。
現に、マル労同は、三里塚闘争を、小生産者(小ブルジョアジー)の生産手段=土地の防衛を課題とする闘いであり、資本主義の下での生産手段の擁護・防衛は、プロレタリアートの任務に反するものであり、歴史的進歩(土地の大土地所有化、小ブルジョアジーのプロレタリアートへの移行)に対する反動である、と捉えている。
確かに、小生産者の生産手段の擁護一般は、プロレタリアートの任務ではないし、資本主義の下では、農民など小生産者の分解、プロレタリアートへの移行は避けられない。従って、日本共産党のように、資本主義の下でも、小生産者の生活が保障されるようなプログラムを描き、それを共産主義党の任務であると語ることは、許し難い反階級的な思想である。(深刻なことには、今や、戦闘的左翼の少なくない部分が、三里塚闘争に関連して、こうした主張を平然と行い始めたことなのだが)。
小ブルジョアジーは、資本主義の下で、ブルジョアジーに抑圧され、不断に、プロレタリアートへの“没落”の危機にさらされている。しかし、小ブルジョアジーは、プロレタリアートと異なり、自己の生産手段を所有しているために、その生産手段を私的に防衛し、保守的に現状維持をはかろうとする傾向が強い。その結果、小ブルジョアジーは、一般に、プロレタリアートと比べて分散的であり、又、支配階級と非妥協的に闘うのではなく、それにすり寄って自己の生産手段を防衛する方向に進み易い。
こうして、小ブルジョアジーは、一般的傾向として、支配階級を支える保守的層を形成する。従って、又、支配階級は、小ブルジョアジーのこうした特徴につけ込み、様々な保護策をちらつかせたり、プロレタリアートとの分断をはかり、意識的に反動的な支持基盤としての育成を目指す。
以上のように、農民がその受けた矛盾を農民の運動として解決してゆこうとする時、それはプロレタリアートに敵対的なものにも容易に成長する。しかし、他方、農民など小ブルジョア階級が、プロレタリアートの立場に移行して闘うことで、階級的な闘いを構築することも不可能なのではない。
三里塚闘争に於いては、支配階級の利益をかけた国策としての土地取り上げ攻撃に対して、反対同盟農民は、この国家との闘いを、プロレタリアートの最も前衛的な潮流との連帯をもって押し進める方向を選択し、三里塚闘争を支援する労働者人民は、この闘いが、当該農民のみならず、全国の人民の課題でもあることを確認した(『支援三原則』など)。何故なら、第1に、三里塚への空港建設は、経済侵略、産業再編、軍事利用、航空権益拡大などを目指す支配階級の利益に基づく反階級的な政策であり、第2に、そうした支配階級の国益のために、被抑圧諸階級を思いのままに踏みにじることを、「国策のためには仕方がない」或いは「権力のやることには逆らえない」と座視するのか、そうではなく、労働者人民の政治闘争・実力闘争で打ち砕くのかは、プロレタリアートの階級的自覚の成長(国家権力に対する認識、国益に対する認識、自己の組織的な力に対する認識など)にとって、決定的な違いをもたらすからである。とりわけ国家主義・民族排外主義のイデオロギー攻撃が強力である帝国主義本国=日本に於いては、国益に基づく政策と非妥協的に実力で闘うことは、プロレタ,u档潟Aートが、支配階級の思想から自己を解き放ち、被抑圧民族と連帯し、階級形成をはかってゆく上での、極めて重要な一環に他ならない。
−支配階級の利益に基づく抑圧を、階級的路線に立脚して、全人民の力で打ち砕くこと、このことが、共産主義的政治の基本的性格に他ならないが、三里塚闘争は、そのような発展の方向を築くことによって、階級的な闘いの一大焦点となってゆくのである。この時、農地死守(マル労同が、小生産者の生産手段防衛と批判するもの)は、支配階級の利益に抵触するものとして、闘いの一条件をなすものとして位置するのであって、闘いの基本性格ではなくなっている(つまり、三里塚闘争は、全国農民の農地死守をプロレタリアートの任務として一般的に要求している運動ではない)。
従って、三里塚闘争の主体は、全国のプロレタリアートを中心とする人民であり、農民は、当該としての位置にある。決して、農民が、小ブルジョア階級として(例えば、その現れとして、主要に農民相互の連帯を重視して、或いは、プロレタリアートとの連帯を拒んで)闘っている運動なのではない。
−勿論、左翼戦線が混迷している状況下では、階級的性格を順調に発展させることは極めて難しい。又、当該が農民であるということは、闘いの困難な局面では、小生産者としての弱点が生じ易いことも示している(労働者の運動にしても、自然発生的な労働者=ブルジョア思想の下にある労働者に引き戻される危険は、やはり存在しているのだが)。我々は、非プロレタリアを当該とする運動の弱さや特質を知らなければならないが、しかし、それは、三里塚闘争が持つ階級的発展の条件までも否定してしまうこととは、勿論、別のことである。
にもかかわらず、三里塚闘争を労働者的な闘いではないと規定するマル労同の路線が、逆に労働者的=階級的なものではないことは明らかであろう。
経済主義の立場から「階級性」を厳密化・体系化しようとする試みが、70年代以降の、課題別戦線高揚下の情勢に対して、反動的にしか対処できなかったこと、−我々は、先ずこのことを確認しておかなければならない。
以上の点を踏まえた上で、次に、課題別戦線に積極的にかかわった左翼潮流の評価を行わなければならない。
これらの左翼諸潮流は、革マル派、マル労同などの、三里塚闘争などの課題別戦線に対する反動的姿勢に比べて、相対的に先進的であることは言うまでもない。−しかし、にもかかわらず、同じ経済主義的な限界を有しているために、革マル派、マル労同などに現れた、経済主義を最大の根拠とする反動性を、根本的に批判・克服しきることは出来なかった。
我々は、この点に、既存左翼の路線的限界が集中的に現れていることを、理解してゆかなければならない。
革マル派、マル労同などの立場を唯物論的に批判し、課題別戦線の階級的性格を厳密に理解し、階級的発展に向けて闘うためには、次のことが必要であった。
第1に、マルクス・レーニン主義の政治闘争論に立脚して、経済主義的政治の立場を根本的に批判・克服することである。革マル派やマル労同などの課題別戦線からの召還・敵対に対して、単に、“苦闘している人民に背を向ける”という批判に止まるのではなく、更に進んで、彼らが装う“階級的な原則”が、決して階級的=マルクス主義的なものではないことを、明確に暴き出すことである。
第2には、主要に課題別戦線だけが高揚しているという、70年代の階級情勢の特徴を、科学的に捉えることである。−何故なら、この情勢は、“課題別戦線や当該大衆組織が戦闘的に闘っている”と肯定的に評価して済まされる情勢では決してなく、革命党の不在、革命党を目指すはずの既存左翼の、革命路線の後景化によって強いられた情勢、として理解されなければならないからである。
この、第1、第2の認識を踏まえることが、課題別戦線の階級的発展を実現してゆくための、根本的な条件である。
しかし、実際はどうだったのか?
既存左翼は、当該大衆組織−反対同盟や解放同盟、或いは運動の中心にかつぎ上げられた文化人などを、天まで持ち上げて賛美し、階級的内容の不明確な「血債・猛省」や「労農同盟」などを一般的に語るだけで、70年代の階級的特質を何一つ明らかにしようとしなかった。当該大衆組織に「学び」「応える」ことが闘いの最大の根拠であり課題であるような思想が左翼戦線にあふれた。これらの主張は、主観的には、過去の運動の克服が意図され真摯な闘いが志向されたものであっても、客観的には、革命組織の革命路線・政治方針に対する無責任さを隠蔽するもの以外ではなかった。
既存左翼の多くは、革マル派、マル労同と異なり、課題別戦線に積極的にかかわったが、それは、決して、革マル派やマル労同を根本的に克服する、課題別戦線への階級的評価に立脚したものではなかった。
経済主義思想に立っている限り、それは避けられるものではない。
例えば、三里塚闘争に於いて、少なくとも78年の開港阻止決戦時には中心で闘った第四インターについて見てみよう。
第四インターの革命路線は、労働運動を主戦場とし、経済闘争を徹底化すれば資本主義の壁にぶつかり階級形成が進むという、体系的な経済主義思想に基づいている。この点では、革マル派と何ら変わらない。
それでは、何故、革マル派が三里塚闘争に敵対したのに対して、第四インターは、或る局面では戦闘的に闘ったのか? −それは、革マル派が、彼らの経済主義を体系化・緻密化して正当化をはかろうと企てたために、経済主義の持つ反動的要素を、首尾一貫したものに“成長”させたのに対し、第四インターは、路線的厳密さをさ程追求せず、その結果、反政府意識の高揚・熱気に受動的に反応する性格を持っていた点の違いが生み出したものにすぎない。
第四インターは、確かに、開港阻止決戦を闘ったが、開港後の闘いという、労働者大衆の自然発生的高揚の条件がある程度後退した情勢に入ると、「総評内分派闘争−全国陣形」が三里塚勝利の鍵であると主張して、労働運動の中に召還し、現地での既成事実化粉砕闘争に敵対すらすることになる。
即ち、第四インターは、決して、政治闘争の目的意識性に立脚して三里塚闘争を位置づけ闘ったわけではない。第四インターにとっての階級闘争の主体は、あくまで労働運動であり、三里塚闘争は、労働運動の推進に際して都合の良い、「大義」を立てる旗印としてかつぎ上げられていたものに過ぎない。即ち、労働運動=階級闘争という経済主義の観点から見た時、三里塚闘争は、“外”にある連帯の対象ではあっても、プロレタリアートが革命路線の下にかかわるべき自己の政治的任務として自覚されてはゆかない。従って、三里塚闘争の厳密な階級的性格の把握などは必要と感じられなくなり、一般的な「労農連帯」「大義」などで済まされてゆくのである。
第四インターに典型的な形であらわれた右の特徴は、しかし、第四インターに限られるものではなく、既存左翼全体に共通する特徴である。
課題別戦線、戦闘的大衆組織に受動的に依存し、ぶらさがる傾向、当該大衆組織をただ持ち上げるだけで、政治討議・思想闘争を回避する作風は、既存左翼が、革マルやマル労同と異なって課題別戦線を取り組みながらも、しかし、思想内容に於いては、革マル派、マル労同などの反動性を生み出した経済主義を、少しも越え出ていないことを雄弁に物語っている。
最後に、課題別戦線が先頭に立った70年代の階級情勢が意味するものを概括してゆこう。
反差別闘争や、地域住民実力闘争などの課題別戦線の高揚は、労働者大衆の意識変革の重要性や実力闘争の意義など、既成議会主義左翼が葬り去ってきたものを大衆的に復権させた60年代末闘争の一成果であり、この意味で、階級闘争の前進を表現するものであった。しかし他方、その積極的な面の対極に、左翼諸党派の政治路線に対する目的意識性の決定的な解体という否定的な側面が存在していたことを、どの潮流も直視しようとはしなかった。
(60年代末までの、旧三派を先頭とする新左翼潮流は、先に見たように、根本的な点で経済主義を免れていなかったが、その枠内ではあっても、革命路線・政治路線をめぐる思想闘争、日和見主義に対する批判、政治路線・方針に基づく政治闘争の組織化など、革命運動の目的意識性を最大限追求しようと試みた。70年代に入ると、この志向の後退が進んでゆく。)
戦闘的大衆組織がなければ戦闘的政治闘争が組織できない−これが、60年代末闘争に於いて路線的破綻に直面した70年代の左翼潮流の姿である。
だが、如何に戦闘的当該組織といえども、帝国主義の攻撃の下では、共産主義的革命路線での武装なしには、或いは、それとの結合なしには、長期にわたって戦闘性を保持することは困難である。
それでは、左翼潮流の路線的限界の下で、何故、農漁民などを当該とする地域住民闘争や、反差別闘争などが、政治闘争の先頭に立ったのか?
−70年代に戦闘的な闘いを展開したのは、決して、いわゆる課題別戦線だけではない。労働運動も、官公労での70年代初頭、マル生粉砕をはじめとする闘い、中小争議などが戦闘的に闘われた。但し、経済闘争と政治闘争との厳密な把握がないと経済主義の弱点を蒙りやすい労働戦線では、左翼潮流の経済主義的限界を直接浴びることになった。官公労労働運動の70年代を通じた著しい後退は、その現れに他ならない。
それに対して、国家権力と直接対峙する地域住民闘争は、当該組織が国家権力に対する非妥協的な闘いの姿勢を堅持するならば、左翼戦線の路線的限界の下でも、戦闘的政治闘争として、一定のところまで闘いを継続する条件を持っている。又、反差別闘争は、左翼戦線が経済主義を深化させている情勢下で、理論闘争軽視を一特徴とする経済主義的後退に抗して闘いの高揚を切り拓く役割を担った。
−但し、これらは、相対的な傾向の違いにすぎない。
前述のように、左翼戦線の路線的限界の下では、如何に戦闘的な大衆組織も、早晩、重大な困難さに直面することが避けられない。
プロレタリアートの立場、共産主義革命の立場に立つべき左翼潮流は、70年代のこうした階級的特質を捉え、その積極面(課題別戦線の前進)への評価と共に、否定的な面(政治路線をめぐる思想闘争の後景化、政治路線・方針に基づく政治闘争組織化の後退、課題別戦線・戦闘的当該組織への受動的おぶさり、等)を捉え、その克服を目指さなければならなかった。
しかし、現実に既存左翼が行ったことは、この状況に拝跪することであった。
その結果、70年代に形成された活動家大衆は、課題別戦線に立脚した政治闘争だけを、通例のもの、或いは主要なものと思い込む思想で形成されざるを得なかった。この層は、課題別戦線に対する献身性を築き上げ、強化した。しかし、それに加えて、自ら、革命路線に基づいて政治闘争・諸闘争を組織し、牽引する、真の意味での階級意識は形成されようもなかったのである。
そのため、献身すべき課題別戦線の建設や路線分岐に直面するや、70年代に形成された戦闘性は、容易に解体する他はなかった。
三里塚開港阻止決戦以降の、労働情報系の混迷と衰退は、このことを鮮明に示している。
70年代に、既存左翼の経済主義的路線の下に形成された左翼戦線・戦闘的大衆は、課題別戦線が直面した困難さを、階級的に克服・牽引するのではなく、その困難さの前に動揺し、或いは、それを加速させる存在としてしか登場出来なかったのである。−これが、三里塚闘争の開港後の情勢を規定した条件である。
尚、次の点をここで確認しておこう。
こうした限界を露呈した既存左翼に対して、我々は、その根源が、経済闘争−労働運動を主戦場とする経済主義にあると指摘した。しかし、経済主義の特質が労働運動=主戦場論にあるのならば、経済主義は課題別戦線に対してではなく、労働運動に献身性によって特徴づけられるのではないのか?
−労働運動への関心の集中か、課題別戦線に対する受身の献身かは、どちらも、経済主義の現れの特徴であって、対立するものではない。何故なら、経済主義者は、政治闘争を否定するわけではなく、政治闘争−但し、経済主義的政治闘争を承認し、時には強調すらするからである。
経済主義的政治闘争−経済闘争を基盤にした政治闘争は、思想闘争の軽視、大同団結主義、具体的な成果のみを追い求めることを特徴とする。
強力な課題別戦線が牽引する政治闘争は、とりあえず、路線的選択が問われることなく結集出来ること、一般に、具体的な獲得目標をめぐる場合が多いことなどから、経済主義的政治闘争にとって、一時期、安住し易い場となったのである。
従って、又、次のことも明らかである。
経済主義者は、課題別戦線による政治闘争が困難な局面に入れば入る程、経済闘争への集中、労働運動の「主戦場」化を、具体的なものとして露呈するということである。
三里塚開港阻止決戦以来、労働情報系が辿ってきた道筋は、このことに他ならない。
経済主義者は、彼らなりの政治闘争を追求する。
現在、労働情報系は、総体が、生産点=主戦場論にますますのめりこんでいるが、そうした状況下にあって、他方では、三里塚から、日韓・反核・反レーガン・反トマホークに至る政治闘争の取り組みを行っている。
労働情報系が、この過程で示した政治闘争の特徴は、政治闘争を通じて、階級間の利害対立の非和解性を暴き、労働者大衆の意識変革−階級意識形成を促すのではなく、“誰もがわかり易い課題”“誰もが参加し易い形態”を捜すことに熱中し、そのために、政治路線の深化など投げ棄てて、市民主義者をかつぎ上げ、大同団結主義に徹することである。
三里塚では、「大義」がかつぎ上げられたが、他の課題に際しても、同様の思想が導入された。その結果、労働情報系の政治闘争は、ますます反米主義・対米従属論に屈服してゆくという、深刻極まりない事態に陥っている。
帝国主義本国では、労働者大衆内部に、国益主義・民族主義イデオロギーが広く浸透しているので、自国帝国主義との闘い、自国帝国主義の権益拡大との闘いを基軸にすえるよりも、他国への批判を全面に押し出した法が“わかり易い”。例えば、「国益をかけた侵略との闘い」呼びかけるより、「日本の軍拡はレーガンの力に屈服して行われているので許せない」と主張した方が、広く同意を得易いということである。
しかし、労働者大衆のあるがままの意識にとってわかり易ければ、労働者大衆が結集するというものではない。
労働者大衆は、闘いの中で意識変革されなければ、次には政治闘争への参加の必要を感じなくなる。反核闘争の急速な衰退、レーガン阻止闘争の低調ぶりは、このことを明瞭に示している。
だが、悪いことに、経済主義者は、大同団結主義故の、結集の低迷に直面したとき、より一層、“大衆が来やすい形態”を捜し求めて、政治色を薄め、大同団結主義・市民主義を深化させる悪循環に陥ってゆく。
−経済主義者は、何故、こうした政治闘争にはまり込んでゆくのか?
それは、経済主義者にとって、階級意識は、政治闘争によって形成されるものではなく、もっぱら、経済闘争から生み出されるものと理解されている点に、根拠がある。
経済主義者は、資本家階級と労働者階級との階級対立を、労働者大衆が根本的に認識する場は、生産点である、と理解している。
その結果、彼らにとって、政治闘争は、労働者大衆を「階級闘争」に引き込む、一つの重要な場であると捉えられていても、決して、それ自身で、階級対立の非和解性に対する認識=階級意識を厳密に形成する場とは捉えられない。
「労働者の階級的・政治的意識を、いわば労働者の経済闘争の内部から、つまり、もっぱら(でないまでも主として)この闘争から出発して、またもっぱら(でないまでも主として)この闘争にもとずいて発達させることができるという確信が、それ(経済主義者の思想−引)である。このような見解は、根本的にまちがっている」(レーニン『なにをなすべきか』国民文庫p.120)
レーニンは、この点を明らかにしたが、現在の経済主義者も、又、この「根本的にまちがっている」思想に立脚して、階級形成を考えている。
階級意識が、政治闘争からではなく、主として経済闘争からもたらされるという理解に、一度迷い込んだ時、政治闘争は、どのような性格を与えられるのか?
その時は、政治闘争は、単なる人寄せ、人気集めの手段にすぎなくなる。
その方針をめぐって、厳格な思想闘争を推進すること、政治路線を深化すること(階級対立の認識のための不可欠の前提)は、経済主義者にとって、重要なこととは考えられない。何故なら、その役割は、経済闘争が果たしてくれるはずだからである。
従って、政治闘争は、市民主義者まで含めて、階級的性格を問わず、広く集めれば良いことになる。
−三里塚闘争も、経済主義者にとって、こうしたものとして位置づけられている。
経済主義者といえども、経験的に、政治闘争が、労働者大衆の積極性、戦闘性を有効に引き出すこと、政治闘争に参加した労働者の方が、闘いに対して持続的になること、等々に気づいている。
従って、彼らは、三里塚闘争を、労働者大衆の戦闘性や献身性を引き出す場として活用しようとする点では、しばしば、非常な積極性すら見せる。しかし、闘いの階級的性格は、生産点で与えられるものと捉えられている以上、農民を当該とする、三里塚闘争の階級的性格を厳密に分析し、労働者大衆に明瞭に提起することなどは必要とされない。
こうして、経済主義者は、結局、三里塚闘争や政治闘争への彼らのかかわりの中で、労働者大衆の階級的成長を阻み、闘いの前進を阻害するのである。