〈展望〉の特徴と諸潮流の合流・統合追求過程での〈展望〉の位置
伊藤 一
国際共産主義運動は、スタ―リン派の台頭と席巻によって混迷を深め、現在、深刻な危機を経験している。この危機は、単に、スタ―リン派を弾劾し、その影響力を殺ぐならば打開できるという性格のものではない。現在では、多くの共産主義潮流・共産主義者が、こうした認識に立って、共産主義運動の根本的点検や再構築への闘いを開始している。この課題は多くの困難を伴い、この過程で、マルクス主義から離れてゆく潮流・諸個人も少なくないが、しかし他方、この困難を打開する積極的な闘いや諸潮流の協力が国内外に様々な形で成長してもいる。我々『国際主義』編集会議の結成大会決議〈展望〉は、こうした様々な試みの中の一つである。
〈展望〉は、生産関係変革・私有廃絶などのマルクス主義の根本問題をめぐって、従来の共産主義諸潮流に支配的となってきた見解とはかなり異なるマルクス主義解釈をもっている。
我々は、一方で、この解釈を、従来の共産主義運動に頑強につきまとってきた官僚主義的・統制的性格を打破するための重要な土台と考えている。しかし、他方で、この解釈を、これから合流・統合を含めて形成すべき共産主義組織・共産主義党にとっての結集軸とすること(それを追求すること)は適切ではなく、誤っていると考える。
そのため、〈展望〉の特徴と、共産主義諸潮流の合流・統合の任務にとっての〈展望〉のあつかいとの関係とを、それぞれ明瞭にする必要がある。これがこの決議の課題である。
1
〈展望〉は、革命路線(または党綱領)の基礎部分を範囲としている。我々が、『国際主義』編集会議として再出発するに際して、とりあえず原則部分の決議採択をおこなったのは、我々が直面した問題の性格に関係している。
70〜80年代の諸政治闘争の推進過程で、当時の我々の潮流(=共産主義者委員会、青年共産主義同盟)が直面した問題をめぐり、当時の我々は、
@、帝国主義認識―現状評価や三里塚闘争、諸反差別闘争をはじめとする我々の諸政治闘争方針がもつ客観性格
A、本来はその基礎づけとなるはずの我々の革命路線の原則領域がもつ客観性格
この@とAとが背反・矛盾を拡大する状態におちいった。ここでは、原則=基礎的領域がより遅れた政治性格をもち、諸方針がより進んだ政治性格をもつという構造で両者が背反した。そのため、諸政治闘争方針(またはそれが追求する発展方向)に比べて立ち遅れた原則領域での従来の解釈(党、政治闘争、権力問題、経済主義などの理解を含む社会観・歴史観の基礎)を点検・再整理することが避けられない課題になった。我々は、この作業を、70〜80年代諸闘争の経験・総括を手がかりに追求した。〈展望〉はその所産である。上述の経緯のために、我々の再出発時に、あらゆる領域が不充分であることを踏まえた上で、再理・点検の当面の主対象となった原則領域を中心とする決議は、真先にどうしても必要であった。
「当時直面した問題」とは、日本の例では、70年代以降の運動が提起した課題(労働者大衆自身の自主的な諸運動・諸戦線を尊重し、それ自身の発展・勝利を促進する運動形成の課題)をおし進めなければならないが、しかし、その追求が、60年代末に至る新左翼運動がスタ―リン派に対抗して追求した先進的要素の右翼的清算主義となることを克服・打開しなければならない(当時、この傾向が支配的となっていた)という問題である。
60年代末に至る新左翼は、革命的世界観・革命路線の一貫性(それに基づく労働者大衆の武装・成長)の追求、既存の社会関係・社会意識全般の批判的点検、政治闘争の目的意識性、政府・資本家に対する批判に止まらず労働者内部の日和見主義や排外主義への容赦ない批判・告発、国家権力との実力対決、強力な党形成などを公然と追求した。しかし、それは、60年代末闘争の破綻やセクト主義、暴力的党派闘争の蔓延、労働者大衆の諸運動への統制的枠づけなどの否定的性格を噴出した。70年代以降の運動性格形成は、60年代末に至る運動への反発を大きい動機としている。そのため、この運動は、労働者大衆自身の反差別闘争など諸戦線それ自体の発展を尊重し、その具体的提起に党派が応えることを重視した。これは共産主義運動=労働者階級の自己解放運動にとっての不可欠の発展的要素をもつが、他方で、狭い個別主義やあるがままの保守的社会意識(保守的上下関係、家族制、民族などをめぐる)を受容・賛美する性格ももち、先に新左翼が追求した課題として触れた諸内容全般を清算主義的に切り捨て、またはあらかじめ嫌悪し、遠ざける否定的な性格も成長した。
我々の潮流は、60年代に至る新左翼運動が追求した問題意識と、70年代以降の運動が追求した問題意識とが背反するならば、共産主義運動の前進は実現できないと捉えた。我々は、この課題を、日本帝国主義の侵略・反動と対決する諸政治闘争、三里塚闘争、部落解放闘争をはじめとする諸闘争組織化・推進の方針・場面で追求し、一定程度の前進を実現することができたと考えている。しかし、労働者大衆内部(共産主義組織内部を含む)の差別問題を初めとする広範な「社会」領域の課題をめぐる労働者大衆の自主的な諸運動と、国家権力との非妥協的実力対決との対立・背反しやすい両側面を包括的にとらえ基礎づけることは、当時のわれわれの潮流が立脚していたマルクス主義解釈では不可能となっていた。そして、これは、日本の左翼運動全体に共通する問題でもあった。共産主義党派か否かにかかわらず、広い「社会」領域の課題と、それをめぐる労働者大衆の自主的な運動を重視する潮流・活動家は、マルクス主義や権力問題への消極的姿勢を強めていったからである。
〈展望〉は、この直面した問題を打開する課題を、原則領域で基礎づけることを重要な目的としている。したがって、〈展望〉は、共通の課題に直面した多くの共産主義者・活動家との討議の一素材として提供され点検されるべき対象である。ただし、そのためには、〈展望〉の思想や、それが基礎づける運動性格などを、現在の〈展望〉の文面を転換・要約して、より明快な様々な形で提出してゆくことが必要である。
なお、もしマルクス主義が(その原則上の諸内容が)、上述の課題を、全面的に又は部分的に基礎づけられず、あるいは全面的に又は部分的に背反するのであれば、マルクス主義の全体又は一部を破棄・変更に進むことも当然の前提として、我々はこの作業に取りくんできた。しかし、我々は、この検討を通じて、従来の共産主義運動の有力見解による解釈とは異なるものであるが、マルクス主義の原則的諸命題こそが上述の課題を積極的に基礎づけるという結論を獲得した(次項「2」で、その核心の一部に触れている)。
ただし、そのことは、国際共産主義運動が、それらの諸理論を、明快な形に体系化し、あるいは解説的な整理をおこなうまでに進んでいたという評価を意味するのではない。第二インタ―の時代に、すでに誤った内容への具体化や「発展」がかなりの領域を占めている。我々の検討は、この評価にも行きついた。スタ―リン主義は、国際共産主義運動の到達段階の思想的弱点(たとえば国有と共産主義的共有との混同など)と、革命ロシアの困難な情勢とが加速しあって成長させた産物である。スタ―リン主義自体は、過渡期(=プロレタリア国家)の改良主義として、資本主義国家の改良主義である社会民主主義とともに、特別の存在ではない(共産主義運動が弱点をもては成長の一般的条件をもつ)。スタ―リン派が共産主義運動を席巻した現実を、革命ロシアの困難な情勢という条件や、あるいはスタ―リンの裏切りだけに帰することはできない。
2
〈展望〉は、資本主義的生産関係の変革、私的所有制の廃絶について、スタ―リン派を含む従来の共産主義運動の有力見解とは相当異なる理解に立っている。
従来の有力見解では、資本主義的生産関係変革の主局面を、プロレタリア独裁権力による資本の収奪―主要生産手段国有化の局面ととらえ、この資本の私有侵害過程を、私有廃絶の主局面ととらえてきた。したがってまた、プロレタリア権力の国家所有となった生産手段は、基本的には私有を脱した生産手段と理解される。―――その結果、主要生産手段の国有が成立して以降、共産主義社会に至る広範な社会全般の変革の課題は、「残務処理」の位置に置かれることになる。
それに対して、〈展望〉は、その国有化に至る過程ではなく、それ以降の過程を、すなわち、国有生産手段自体をも変革・死滅させる社会変革の過程(国家死滅に至る過程、労働証書制を含む共産主義第一段階開始に至る過程)を、生産関係変革の主局面ととらえている。また、〈展望〉は、私有廃絶を、国家の死滅と照応し、労働者大衆内部の格差・差別の克服、労働者の分業への固定の相当程度の克服などを、すなわち、排他的所有を余儀なくさせる生活不安や社会的対立・緊張全体の変革を意味するものととらえている。
この理解は、共産主義運動上、次の位置にある。
@、スタ―リン派は、主要産業国有をもって、その国有生産手段内部に「社会主義的生産関係」が成立する(体制の質的変革が基本的に実現する)ととらえるため、他の社会変革(例えば格差・差別の是正、労働者の分業への固定の克服、労働者大衆の自由拡大全般など)を、附随的なもの、量的なものに過ぎないと理解する。すなわち、国有以降の変革の課題は「残務整理」の位置におかれるものとなる。この理解は、平等よりも国有生産手段(その防衛や生産増強)の方が重要であり、社会主義にとって本質的であるという評価を基礎づけ、官僚主義的な国家支配を基礎づけた。
A、スタ―リン派の官僚主義などを批判する多くの共産主義潮流は、おおむね国有化=生産関係変革の主局面論の土台上で、国有化にとどまらない諸領域を如何に重視するのか(たとえばプロレタリア民主主義、ソヴィエトなど)に腐心し、それを追求した。
B、それに対して、構造改革派の少なくない部分は、これとは異なる理解を導入した。これらの潮流は、国有化=生産関係変革の主局面論に立つ点では、上述潮流と変わらない、しかし、生産関係変革(だけ)を体制変革の根本的な位置におくことは正しくない――という理解をもって、国有化=「生産関係変革」以外の領域(たとえば、「政治制度・知の独占」)の変革にも同等の比重をもち、生産関係変革に対して独立した位置をもつという理解に立った。
このA、Bは、いずれも、国有化=生産関係変革の主局面という理解におおむね立脚し、スタ―リン派によって国有化に還元されわい小化された「社会主義」建設・「社会主義」像の克服を追求している。
それに対して、〈展望〉は、国有化=生産関係変革の主局面という規定それ自体が正しいものではなく、国有生産手段の変革・死滅――労働証書確立(商品、貨幣の死滅=価値法則の死滅を意味する)などを指標とする共産主義第一段階の成立に至る過程を、生産関係変革の主局面と理解している。したがって、〈展望〉は、生産関係変革を根本的なものとして重視することが(構造改革派が“心配”したように国家・国有化を一面的に重視することを意味するのではなく、反対に)国有経済の変革・廃絶、そのための「社会」領域全般の変革を根本的位置におくことを意味するという理解に立っている。
国有化=生産関係変革の主局面論(=スターリン派を含む従来の有力見解)に立脚している場合には、生産関係変革の根本的位置を承認するならば、権力問題が社会変革の中心問題・根本問題に位置するという評価を不可避的に承認しなければならなくなる。
構造改革派の少なくない潮流は、これに反発し、国家以外の広い「社会」領域の変革を重視したが、その結果、概して、権力問題の後景化に陥る性格をもった。
〈展望〉は、権力奪取―国有化や、そのプロレタリア国家権力と国有経済を利用することを、生産関係変革―体制変革の不可欠の前提条件ととらえる。〈展望〉は、政治革命の根本問題が権力問題であることを重視する。したがって、〈展望〉は、「社会」領域重視の意図から権力問題を後景化したり、その独自領域への労働者大衆の関心向上に消極的になることに反対する。同時に、国家の利用が本来目的とする広い「社会」領域変革こそ、私有制度廃絶を意味する根本的な課題であることを明らかにし重視する。
〈展望〉は、共産主義運動の従来の諸思想に対して、大体、こうした位置にあるものと我々は捉えている。
資本主義的生産関係の変革は、プロレタリア―ト解放の根本条件であり、共産主義運動の根本課題である。それゆえ、生産関係変革の主局面を国有化と重ねて理解することは(多くの潮流にとっては主観的意図に反して)共産主義運動を統制的・官僚主義的性格に向ける客観性格をもつことになる。資本主義的生産関係の変革という根本課題を、国有生産手段の変革・廃絶を含む全社会的な変革、国家死滅に至る過程として把握することが、共産主義運動の統制的性格を打開し、自己解放的な性格を基礎づける前提である。〈展望〉は、こうした理解を根拠づける内容をもつ、と我々は考える。
3
〈展望〉は、権力問題への一面化(広範な「社会」領域変革を従属的位置におくこと)や、反対側の、「社会」領域変革への一面化(=権力問題への消極化)のいずれかの側への二律背反的な一面化を克服する観点を原理上で基礎づけるものと我々は考えている。この双方への一面化は、官僚主義の打開を根本的に妨げる要因でもあるため、この一面化の克服は、建設すべき共産主義運動にとっての前提条件である。
しかし、生産関係変革や私有廃絶に対する〈展望〉の規定を、合流・統合に向けた共産主義運動の結集軸とすること、あるいは、将来建設すべき共産主義党の党綱領の前提と考えることは正しくない、と我々は考える。
現在、〈展望〉と異なる様々な原理的理解の基礎上で、また様々な道筋から、上述の一面化を打開する発展的な運動・萌芽が、国内外に広く現れつつあることが、その重要な理由である。生産関係変革などについての〈展望〉の思想は、それらの諸運動の結合・合流の前提とすべきものではなく、合流してゆく運動・組織の中で、他の諸思想とともに、その運動性格を基礎づける原理的解釈の一つとして位置すべきものである。
様々な発展的な運動・萌芽は、例えば次のようなものを例示できる。
メキシコのサパティスタ解放戦線の闘いは、国家権力と武装対決しながら「前衛にならないこと」を追求し、全国民による「市民社会」発展を提起している。この運動は、武装闘争を推進しながら、運動の武闘―権力問題への還元を公然と自己規制し、広い「社会」領域の変革が根本問題であることを呼びかけ追求している運動として、注目すべき代表例である。現れ方は異なるが、スタ―リン派など従来の「マルクス・レ―ニン主義」の根本的な再検討・総括へのとりくみを、マルクス・レ―ニン主義への安易な清算主義におちいることなく推進し、それを広いい大衆的基盤の上で推進しているフィリピン共産党(反対派)やスリランカJVPなどは、やはり類似した発展の性格を内包している。日本では、新『ワ―カ―ズ』や『火花』などが、国家―社会の関係についての核心をめぐる討議を紙誌上論争の組織化を含めて自覚的に進めている(阪神震災復興に関係して、朝鮮総連のレンク集会への攻撃とそれに対する国家の弾圧をめぐって、オウムへの国家の弾圧をめぐって……など)。上述の諸潮流を含めて、この間、我々が交流をおこなってきた少なくない潮流が、共産主義運動の上述の発展的性格に向けた様々な試みに踏み込みつつある。
これらの発展的要素・発展的萌芽が生れつつある条件の中には、ソ連・東欧の崩壊、共産主義運動の世界的危機に触発された、その克服の追求という要素が大きい比重を持っている。そのため、この成長が、共産主義運動の順調な発展過程を物語るものではない。そのため、これらの発展的諸要素・諸運動も、今後、様々な困難や右余曲折を繰りかえし経験することは恐らく避けられない。しかし、この情勢下で、自己を含む従来の共産主義運動の限界克服への真剣な取り組み、協働が形成されていることも事実である。フィリピン共産党の分裂や日本ではワ―カ―ズ、建党協の分裂は、それぞれ、従来の共産主義運動の矛盾拡大と、その脱皮・変革への志向との双方に関連し、労働者大衆が注目すべき対象である。
我々が、〈展望〉の理解に立ちながら、それとは異なる理解や道筋をもつ諸潮流の合流を発展的なものととらえる理由は、共産主義運動の統制的・官僚主義的性格を克服する闘いや、権力問題・「社会」領域のどちらかへの一面化を打破する闘いの、様々な膨大な経験・蓄積・教訓が、これら様々な潮流・運動のなかに内包されているところにある。
これらの諸要素・運動性格の発展は、〈展望〉の重要な目的である。そして、〈展望〉の領域は、この運動性格全体の中の極く一部である。したがって、この一領域の評価のみをめぐって、目的を共通する諸運動の間に分界線を引くことは適切ではない。
これらの発展的性格をもつ運動の結合・合流を、その一部(特定の原則領域であれ、特定の諸闘争方針であれ)への評価の違い・対立によって妨げることが正しいのかどうかは、階級関係全体のなかでのその対立がもつ政治性格によって判断される。ある差別問題をめぐって差別的立場に固執する運動体との結合は困難な場合がある(スタ―リン派はこうしたことを繰りかえした)……等々。しかし、現在あらわれつつある先の発展的性格は、これらの諸問題をすべて点検そ上に乗せる力をもち始めていることが積極性の重要な一要素である。
これらの積極的な蓄積・成果は、スタ―リン派の諸潮流など旧来の諸潮流にも広く含まれている。しかし、これらの潮流は、概して、権力問題や「社会」変革への一面化の思想や、その官僚主義的組織性格のために、国家―「社会」の相互関係が提出する運動上・組織上の諸問題を、「基本的に解決済み」という基準からしかとらえることができず、それを労働者大衆や諸潮流間の建設的な討議や協働の対象とすることができない。すなわち、それを(官僚主義的な)「集中制」の阻害物と把握する客観性格をもつ。そのため、発展の要素を内包しながらも、それを阻害するより強い性格をもつことが普通である。
共産主義運動の現在の結集軸は、この阻害条件との分界線を必要条件とするが、その前提上で、より広範な結集やその検討を課題とする協議への結集を可能とするものが要請されている。これらは、諸潮流・労働者大衆の協力によって獲得・発展されるべきものである。
この結集の中での〈展望〉の役割は、第一に、この合流・結集の意義を普及する一端を担うことであり、第二に、この合流の中で、国家―「社会」への一面化克服をめざす運動の発展を促進・激励し、それを阻害する内外の思想・条件と闘う一端を担うことである。
第一の点について。
〈展望〉は、一方で、従来の共産主義運動の多くがおちいってきた先の一面化を批判する基礎的視点を提出している。しかし他方、それは、単に、これら共産主義諸潮流を断罪することを意味しているのではなく、従来の共産主義諸潮流やその内外の労働者大衆の諸運動が、革命性・先進性の様々な側面を(相互に対立的・排他的にであっても)それぞれ反映してきたことを明らかにする基礎的視点を提出するものでもある(〈展望〉自体は、このことを直接主張していないが、〈要項(案)〉の提案説明や、同大会で可決保留となった第三決議(案)は、この主張を簡単におこなっている)。この後者の意味を、様々な面をめぐってより具体的に展開し、合流への諸潮流・労働者大衆の関心や意欲の成長をうながす宣伝の一環を担うことが必要である。
第二の点について。
メキシコ、サパティスタ解放戦線やフィリピン共産党、スリランカJVPのような運動が成長するならば、労働者大衆や共産主義諸潮流は、先の国家・「社会」への一面化におちいらずに戦闘性や広い大衆性を追求する方針・活動を具体的な事例・教訓として学ぶことができる。すなわち、特定の原理的規定(だけ)を前提としなくとも、一面化を克服する様々な試みを成長させる条件を高めることができる。
もちろん、その運動性格が長期にわたり成長してゆくためには、原理領域を含む革命路線の一貫性を高めること、発展させることが、思想上の必要条件となる。〈展望〉の生産関係変革や私有廃絶の規定は、その一領域または一側面である原理的基礎づけをめぐる一つの解釈として、他の理論と共に、その基礎づけの成長発展を担い、また、その意義を競う役割を果たさなければならない。この思想闘争は、こうした運動性格を基礎づけを追求する他の思想の打破・影響力排除を目的とするものであってはならず、積極的基礎づけの加算を競う、または各理論に内包されている積極的要素を結合・発展させる建設的な思想闘争でなければならない。
以上から、〈展望〉のこれらの規定を合流・結集の前提条件とすること、それを追求することは誤った立場であると考えられる。
4
今後諸潮流が合流してゆく上で、その協議や発展を保証する必要条件として、大体、以下の観点が必要と思われる。ただし、この内容は、諸潮流の協議を通じて検討・具体化すべき対象である。
1、階級闘争を権力問題やまたは「社会」領域変革のどちらかに還元せず、権力奪取―プロレタリア権力利用の不可欠の意義と、「社会」領域変革の独立した意義とを承認すること、
2、プロレタリア国家の国有生産手段を、生産関係の質的変革の終着点ととらえず、その変革の必要とその具体内容を認識すること、
3、労働者大衆の組織性の側面のみを進歩性ととらえる受動的集団主義ではなく、組織性・共同性と個別性との双方の共産主義への進歩的要素ととらること、
4、官僚主義と闘い、多様な見解の包摂、党内思想闘争やその公開、そのための党内グル―プ形成など党内民主主義を条件に形成され成長する党的統一・結束の獲得、
【1、権力問題または「社会」領域変革のどちらかへの還元・集約が前提とならないこと。体制変革が権力問題に還元されるならば、労働者大衆内部の相互関係の変革・発展の課題(たとえば労働者大衆内・共産主義組織内の差別克服の闘いなど)を前者に従属させることや、それらの諸課題をめぐる論議を基本的に「解決済み」とすること(権力奪取への寄与の度合いで意義が確定されるととらえること)におちいる。他方、「社会」領域変革の重視は(これを軽視・抑圧したスタ―リン派を初めとする共産主義潮流への反発にも加速されて)従来、この方向に一面化され、権力問題・党の軽視や、一貫した革命路線を軽視する性格をもった。このいずれの傾向も、階級闘争の発展を保証せず、労働者大衆の広い政治・社会認識の成長を阻害する。
2、1の一部でもあるが、権力奪取後のプロレタリア権力による国有経済を、体制変革の一応の実現ではなく、国家死滅の段階に向けて自覚的に変革・廃絶する対象であることを承認すること。国家死滅が共産主義運動の課題であることは、スタ―リン派を含むどの共産主義潮流も認めるが、これらの多くは、国有経済を変革の一応の実現ととらえることによって国家死滅を具体的な変革目標から事実上除外する思想に立ってきた。それを前提とすることはできない。国有経済の質的変革の具体内容を検討し深める作業が必要である。
3、労働者大衆の集団主義、組織性のみを進歩的ととらえることは、受動的集団主義の強要であり、歴史認識として正しくなく、官僚主義の土台となる。共同性と個別性・個性の双方の発展を歴史的な進歩性としてとらえる前提が必要である。
4、1―3のいずれも、階級闘争におけるプロレタリア―トの強固な結束と広い社会意識成長とを要求する。それに対して、スタ―リン派の党は、執行機関の下への上意下達的統制と党外運動への一方的統制の性格をもち、党内思想闘争やその公開の抑圧、同意見者の横断的交流や結合への禁止・制約など、党綱領の基礎上での党員の自主的な判断・選択に対する官僚的抑圧・弾圧を一般化した。他方、それを分散主義に置きかえることは、党内での官僚主義的振るまいをチェックする条件を失い、隠然たる官僚主義成長の条件となった。
建設すべき党組織は、これらの官僚主義的・統制的性格と闘う性格をもち、その前提上で、党的結束・集中と党内民主主義とを、あるいは統一と多様な思想・実践の包摂とを追求することが必要である】
以上は、大体の目安であり、しかも、主として消極的条件(……すべきではない、……に一面化すべきではない)の規定である。国家―「社会」にせよ、共同性と個別性にせよ、組織の統一と多様性の包摂にせよ、いずれも、どちらかへの一面性を克服しなければならないということは、その相互関係をめぐる解釈や活動の様々な内容が現れ、成長し、しばしば発展的に闘わされる必然性を意味している。この承認は、真理には到達できないという強調一般にとどまる不可知論ではなく、真理への無限の豊富化=接近・発展を可能性を意味する。同時に、スタ―リン派をはじめ従来の共産主義諸潮流の多くが競いあった、あらゆるものを演えき的に導くことができる「解決済み」の処方せん・図式の独占的獲得などを批判的な点検対象とすることを意味するものでもある。それゆえ、合流・統合に向けた結集軸は、共産主義運動の再構築をめざす諸潮流の協議や諸運動経験を通じて練りあげられるべき課題である。
共産主義運動の再構築をめざし、そのために、従来の共産主義運動を点検し、諸潮流との協力・協議を追求する姿勢をもつ共産主義諸潮流・共産主義者を、できるだけ広く結合することが現在の課題であり、そのため、結集の枠をあらかじめ狭いものにすることは適切ではない。共産主義運動の再構築と、そのための諸潮流・諸運動間の協力・協議の姿勢をもつならば、現在、1〜4で否定した諸傾向のいずれかに立脚している諸潮流が相互に合流を追求することは、多くの場合、阻害要因ではなく積極的である。むしろ、従来の運動性格への真剣な立脚と、その真剣な総括の姿勢は、場合によっては、非常な先進性の条件にもなる(我々自身も、1〜4の条件を充全に実現できているわけではない。たとえば、官僚主義を完全に脱却できてきたわけではない…等々)。
ただし、上述の一面性をもつ思想は、こうした協議の場を、「解決済み」の自己の思想を同心円的に拡大する場としかとらえられず、官僚主義的統制をもちこむ条件が強く、協議を阻害する可能性を強くもつので、その思想への分界線が要求される場合がある。それは、し意的になされるべきではなく、主として、1〜4を基準または参考になされるべきであろう。
5
以上から、この決議の課題とした〈展望〉の内容と、諸潮流の合流・統合追求過程でのあつかいについて、我々は次のことを確認する。
@、〈展望〉は、諸潮流の合流・統合の結集軸とは考えない。
A、〈展望〉の思想を、できるだけ分りやすい簡明なものへと発展させて提出する努力を払う必要がある。それは、
a、異なる経緯、思想をもつ諸グル―プが合流する際に、互いの思想・運動性格を、その違いを含めて充分知ることは、疑心暗鬼をとりのぞき、組織的信頼を形成する不可欠の条件となる。
b、また、〈展望〉の思想は、様々な形で労働者大衆・諸潮流の討議、諸運動の点検・検証にかけられる必要がある。
a、bのためには、〈展望〉を含む我々の思想を明快なものとすることが我々の義務である。それは、この決議「1」「2」を一つの糸口として、今後練りあげてゆく。
B、合流・統合の結集軸は、この決議「4」を概括的な一つの参考とし、諸潮流との今後の協議や、運動経験に委ねてゆく。
(以上)