規約−党組織論をめぐる歴史的教訓

English Page  1998年12月24日




規約−党組織論をめぐる歴史的教訓

          1998年12月13日 津村 洋(『国際主義』編集会議)

       目  次

   1、はじめに
   2、「34年規約」におけるスターリン主義的民主集中制
   3、反対派排除から生まれ、大粛清をもたらした「34年規約」
   4、スターリン主義的規約の影響とその実例
   5、建党協「組織テーゼ」について
   6、規約−組織論をめぐる先進的試み
   7、「民主と集中の弁証法的統一」という理解について
   8、今後の組織論の検討に向けて



   1、はじめに

 四分五裂し、分散・衰退してしまっている共産主義運動の現状打破を目指し、新たな革命党への合流の水路を切り開くために、協議会がなすべき課題・任務は多い。

 とりわけ、これまで分立してきた共産主義諸グループ・諸個人が、様々な弱点・限界を有していても、それぞれに積極的・革命的要素を分散して保持していること。分有されてきた肯定的側面に互いに着目し、合流・統合を図っていく努力が何よりも必要であろう。

 また、そのような協議を発展的に押し進めていく上でも、組織的な共同ルールに煮つめられるべき組織観の共有が不可欠である。なぜなら、スターリン主義に批判・反対してきた諸勢力・諸グループ・諸個人においても、スターリン主義的組織観の呪縛はそうとう強力に残存していると思われるからだ。また、これまでの統合や分裂という諸グループの経験を総括する場合にも、組織論的反省は重大な位置を持つに違いない。

 その意味でも、協議会を発足させる上で、組織論の整理はきわめて大きな意義を持つ。以上の点で、規約に体現される組織論に引きつけて、総括のポイントを提示したい。


   2、「34年規約」におけるスターリン主義的民主集中制

 マルクス・エンゲルス時代の規約・組織のありかたに関しては、加藤哲郎『社会主義と組織原理I』窓社1989、レーニン時代のそれとしては、藤井一行『民主集中制と党内民主主義』青木書店が参考になると思う。(他に、この点で有用な文献があればぜひご紹介下さい。)
 ここでは、スターリン時代の規約・組織のありかた・組織論の検討から始めたい。

 これまで共産主義運動でもっとも流布され、影響を与えてきた党組織論の代名詞=民主主義的中央集権制(民主集中制)は、1920年代から30年代にかけてスターリンが定式化したものである。ソ連邦共産党第17回党大会における「34年規約」がその代表であり、コミンテルンを通じて、各国共産党の規範となり、いまだに生き続けている。
 「34年規約」における民主集中制の「四項目」の基本原則は、以下の通りである。

 (1)党の指導機関の選挙制、(2)党組織にたいする機関の定期的報告制、(3)厳格な党規律、多数者への少数者の服従、(4)上級機関の決定の無条件的拘束性。

 この民主集中制の核心といわれる「四項目」基本原則は、上から下への指令・指導と服従・拘束を最大の特質とするものであり、それ自体が「選挙制」の形骸化をもたらす官僚主義的集中制を示している。


   3、反対派排除から生まれ、大粛清をもたらした「34年規約」

 「34年規約」の問題はそれだけではない。
 まず前文において、党を「一枚岩」と規定することで、フラクション主義・グループ主義を否定し、なおかつ修正主義や教条主義の排除まで規定している。

 さらに規約のスターリン主義的諸条項には問題が山積みである。
 たとえば、決定の採択までは、党の諸会議や党の刊行物で意見をのべることができるという規定によって、採択後やそれ以外の場合に意見を述べる機会を排除している。また、全党討議を、中央委員会が必要と認めた場合、フラクション形成や分裂の試みの可能性をのぞくという限定で規定している。

 かかる規約の諸条項は、1926年第15回党協議会の決議「全連邦共産党(ボ)における反対派ブロックについて」の骨格を34年規約に取り入れたものである。

 「34年規約」は、第1に、1920年代の党内闘争を通じて反対派を排除する組織のあり方の延長上に結実したものであり、それまでのレーニンとボルシェビキの組織論の解体の上に成り立っている。(ただし、1921年の分派禁止の秘密決議はきちんと総括しなければならない。私は、分派禁止の決定は誤りであったと考えている。)

 第2に、恣意的に「修正主義」「教条主義」と断定して排除できる規定やフラクション、グループや分派にたいする徹底した抑圧・排斥は、30年代における大粛清を基礎づけている。

 第3に、34年のスターリン主義的規約は、各国共産党に移植され、今日まで反スターリン主義的左翼にまで多大な影響を及ぼしている。私たちにとって、特にこの点での自覚が必要である。


   4、スターリン主義的規約の影響とその実例

 日本において、日本共産党やソ連派、中国派においてスターリン主義的規約−組織観の影響がみられるのは当然であろう。問題は、スターリン主義を批判してきた諸グループもまたその影響を引きずっていることである。

 たとえば、革共同系、中核派や革マル派は、同一意見者のグループ、分派の存在を許さず、反対派を追及・査問・打倒する熱意に燃えた組織であろう。革共同系には、規約に基づいた実効的な組織活動が、あるいは規約そのものがが存在しているのだろうか?疑問である。

 ブント系では、規約に基づいた活動という発想が弱いだけでなく、権力闘争と軍事的な観点から官僚主義的集中制を成長させていった傾向が強いように思われる。70年代当初までの段階で規約−組織問題を真剣に総括しようとしていたのは怒濤派と73年当時の戦旗派北海道地方委員会ぐらいではないだろうか?(以上の点で、違う評価、資料があればぜひ教えていただきたい。)

 ここで、すでに「革命党組織における公開制と分派活動について」で最近言及したことではあるが、戦旗・共産主義者同盟の実例をとりあげてみよう。たまたま資料として戦旗派の規約を発見したから取り上げただけだが、スターリン主義型の組織観をみごとに浮かび上がらせている。

 『理論戦線』14号(1980年11月号、戦旗社)によると、その規約は、官僚的な規制で貫かれており、とくに「<C> 同盟の組織原則」において、党内の基本組織の系列を越えた横断的な結合を露骨に禁止している。以下のようである。

 「組織闘争は、・・・同盟内の横の交流をとらず、上級へ提起することにより各級機関・組織内で解決するようつとめ、・・・」(<C>の(4)項)

 「各級機関、各細胞に生じた問題は原則として、その機関、その細胞内にて解決しなければならない。上級機関に提起する以外は、それを機関ごとの横の結合、細胞ごとの横の結合がとげられるかたちで同盟内に広めてはならない。」(<C>の(6)項)

 「中央委までを含むあらゆる同盟員は日常活動の遂行において、所属(ないしは上級)機関の承認がないままに勝手に自分の所属以外の同盟内諸組織と交渉をもつことはできない。」(<C>の(7)項)

 以上は、スターリン主義党組織と同一で、いっさいの分派形成を排除したいという意図が貫かれている規約である。


   5、建党協「組織テーゼ」について

 他にも、これまでのあるいは現在の諸組織の規約−組織観を取りあげるべきだが、資料としても収集し、今後の検討課題としたい。

 さて、「組織テーゼ(案)」(『今、21世紀にむけて 日本社会主義の戸をたたく 1 建党協議会からの呼びかけ』共産主義者の建党協議会発行1998・4・10 pp.14-17)について簡単に意見を述べておきたい。

 一言で言えば、スターリン主義的な規約−組織思想との具体的な総括・対決の跡が見えてこず、道義的ないいまわしですませたり、とにかく非常に古くさいものを感じる。しかも、もしこれとは別の具体的な組織活動のルール=規約が存在しないなら、実践上あまり役にたつものとも思えない。

 「(七)党の矛盾」の項目では、これでは矛盾を克服する具体的な手だては見えてこない。

 「(八)組織原則−民主集中制」では、民主集中制と言えばスターリン的な解釈・理解が一般化しているにもかかわらず、そのことにたいする批判意識があまりに欠如している。「(8)項の『規律もあれば自由もある』という表現は再検討を要する。」という疑問・批判意見が紹介されているが、もっともだと思う。

 「(九)基本組織−中央委員会・細胞」の項は、「党の基本組織は、中央委員会と細胞である。それが中枢と基礎である。」と始まっているが、なぜ中央委員会が基本組織なのか理解しがたい。これは、かなり特異な規定であり、すぐ後の記述とも矛盾している。「党の組織活動の基礎は・・・とりわけ工場細胞にある。」という工場細胞論にも疑義がある。

 「(十一)合法・非合法」の部分の展開では、公然たる理論闘争や公開の原則を妨げてしまうベクトルが働いてしまう。

 「(十三)反官僚・反セクト」では、官僚主義と闘う手だてが見えてこない。

 「(十五)過渡的課題−統合と運営」は、もっとも具体的な共同ルールの確立が要請される部分であるはずだ。連合的性格を承認しながら、差異性を考慮したルールを具体化しなければ、協議会としての活動を互いにどう保障しあうのであろうか?

 以上の建党協議会としての組織論をめぐる立場は、同時期に進められていたゴルバチョフなどによるその試みと比較すれば、かなり立ち遅れていたと思われる。


   6、規約−組織論をめぐる先進的試み

 これまで、革命党組織の規約−組織観をめぐって、スターリン主義的な見地と格闘し、その克服を志向する様々な試みがなされてきている。そうした積極的努力からおおいに学び、はらまれた弱点を乗り越えていく作業が求められている。

 第1に、1970年代に共産党系の流れから生み出されてきた藤井一行さんに代表されるレーニンの民主集中制を復権させようとする動きがある。

 第2に、ブント系では、戦旗派内における北海道地方委員会の規約−組織論は、1973年当時としては水準の高い内容を含んでいる。

 第3に、革共同系では、中核派から分岐した「勝利に向かっての試練」派による1980年代初頭の精力的な組織論総括の作業がある。

 第4に、国際的には1980年代末に進められたゴルバチョフのペレストロイカ路線における組織論の評価が問われる。

 もちろん、その他にも1990年代に入ってからの社労党分裂をめぐる組織論上の積極的な教訓化がなされているだろうし、着目すべき試みが他にもあるはずだ。(この辺にかんしても、いろいろ積極的に検討すべき試みのご紹介、資料の提供をお願いします。)

 以下ひとつの具体例として、1973年夏段階の共産主義者同盟北海道地方委員会の「我々の規約草案」(『プロレタリア戦旗』No.15 北海道共産主義者同盟発行 1978・9・25)から抜粋しておきたい。

「上級機関の路線や方針に対し、同盟員は反対意見の表明ないしは意見の留保を行うことができ、討論の完全な自由が保障されるが、決定の遂行段階においては行動上の完全な統一が保障されなければならない。」(第三章、8、イ)

「同盟員はその意見書を上級機関に提出し大会を含むあらゆる同盟諸機関にそれを原文のまま配布するように要求することができる。提出された上級機関が一定期間それを実行しないとき提出者はその責任において候補を含む全同盟員に意見書を配布する権利を有する。」(第三章、8、ロ)

「・・・同盟員及び候補はその相互の意見交換・交流を特別の場合を除いては自由に行うことができるが、それは組織系列を通じることを基本とし、特殊に系列を越えてなされるときは所属組織及び上級機関に報告しなければならない。・・・」(第三章、9)

「全ての同盟組織は地方的諸問題の決定を自主的に行うことができる。」(第3章、13)

「地方委員会からその同意なしに委員を排除し、又新委員を参加させる権利を中央委員会はもたない。」(第七章、27)

「厳格な同盟規律は全ての同盟員と全ての同盟組織との最高の義務である。同盟決定は迅速かつ正確に遂行されねばならない。同時に同盟内における同盟活動の諸問題の討論は、それが決定されるまでは完全に自由である。」(第八章、28」

 以上、現在からみれば限界を感じるが、当時において組織論的な総括を真摯に追及し、シビアな党内闘争に具体化しようとした先進的な地平から学ぶべきものは少なくない。


   7、「民主と集中の弁証法的統一」という理解について

 1980年代後半のソ連邦におけるゴルバチョフの路線の全体的な性格は支持できないし、批判的に捉えているが、組織論に関する問題提起には正当な側面があると思える。(以下、藤井一行『共産党組織のペレストロイカ』窓社1989参照)

 少なくとも1988年のソ連邦共産党第19回党協議会でゴルバチョフが定式化した組織論の考え、「民主主義的中央集権制の原理が一定の段階で官僚主義的中央集権制にとってかわられたこと」および党機関、幹部にたいする党員大衆の不断の統制というレーニン的要求が侵害されてきたこと、あらゆる問題の自由な討議と決定採択後の行動の統一という掟が崩されてきたことの告発と総括・転換の姿勢は評価できる。この点では日本の共産主義諸グループのほうがだいたいにおいて立ち遅れていると考えられるからである。

 とりわけゴルバチョフ路線下における組織論に関して注目すべきは、党中央委員会のイデオロギー部員であるオニコフと党中央委員会の党建設部コンサルタントであるマシャーギンの間の論争である。この論争自体の具体的な評価にはここでは踏み込めないが、次の点にとくに注意を促したい。

 オニコフは、「民主主義的中央集権制とは民主主義と中央集権制との二つの対立物の弁証法的統一である。」といい、これは、トロツキイの「民主主義的中央集権制について」(1937年)と基本的に同じ見地だという。非常に重要な問題は、こうした見地を揚棄し、乗り越えることではないか。つまり、「民主」と「集中」とか、「自由」と「規律」とかの折衷的な、バランスや振り子的な発想を食い破ることである。

 党的な統一や集中は、権力を獲得し、ブルジョアジーのありとあらゆる攻撃に対抗して革命を遂行しようとする真面目な意志のある党組織にとっては、不可欠な要件である。党的な統一や集中は、同一意見者のグループ形成、つまり分派や論争の公開という具体的な手だてなしには実現しようもないことである。それを集中が官僚主義を生み出すから、民主の側面も強調してというような発想であたるからいけないのである。

 なぜなら、集中制と分離された民主の強調の主観的善意は不可避的に別の官僚主義を生み出すからである。実際のところ、レーニン主義に、あるいは党派一般に反対する運動の側からも官僚主義はくり返し再生産されている。また、民主主義を強調し、あるいは共産主義を捨て去った党派自体が隠微な官僚主義を温存し、ブルジョア的な裏政治に腐心している実状も珍しくない。

 逆に言えば、スターリン主義的な官僚的集中制は、プロレタリアートにとって少しも集中制ではないのだ。官僚の、あるいは官僚個々人の分散的な利害に左右されるものでしかない。

 ゴルバチョフの路線は、スターリン主義にたいする全般的な革命的批判を欠如させながら、組織論的な一面での民主的側面の拡大を真面目に追求しようとしたものであった。そうであるかぎりスターリン主義の解体をもたらさざるを得なかった。この構造を理解することもまた重要である。

 いずれにせよ、以上のような点での民主集中制にかんする具体的な検討・論争が絶対に必要不可欠であろう。


   8、今後の組織論の検討に向けて

 統合や分裂の総括を押し進め、新たな革命党の建設を目指す限り、まずもって不可欠なことは、規約−組織論におけるお互いの経験のすりあわせであり、共同の組織的ルールの確立である。だれもスターリン主義的規約や組織観の影響から免れているものはいないのであるから、相互の資料提供、経験の交流と総括の共有化とその公開が必要である。その上で、協議会的な組織から党的な組織に転換する際の具体的な共同ルールや困難な課題を煮つめていく必要があろう。

 その意味で、どのような領域の議論をするにせよ、議論や論争が生かされ、プロレタリア大衆の積極性、自覚を促す形で公開の協議会活動を展開していく必要があろう。

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