前回12/20の定例会のミニシンポで津村さん が提出された文書・資料についての意見

English Page  1999年2月10日



前回12/20の定例会のミニシンポで津村さんが提出された文書・資料についての 意見  橋本里子  1/30

 この2つの文書は、今から15年以上前のものであるが、当時の左翼運動の一端 を示すものであり、これらを点検し直すことは、その後、左翼運動が急速に衰退 していったことの原因をつきとめる上で必要なことだと思われます。津村さん も、「忌憚のない批判・意見をお願いします。」とあるので。


[資料]今、全共闘の時代をどううけとめるか(1982年)について

 全共闘は学園、学生を中心にした闘争ではなかったのか。それが、5ページの 中段より上の所で、「他方、帝国主義本国の労働者大衆は、自分達が抑圧民族で あることを科学的に自覚することによって、大衆的戦闘性を発揮できる。全共闘 やパリ5月革命は、このことを大衆的な実践をもって示したこと、ここにこそ重 大な意義があった。……」また、同じページの中段以下―全共闘運動の意義と限 界の所で、「特に、既成左翼に対する厳しい路線的批判を大衆自身が認識し…… 労働者大衆の理論的関心は前例のない程成長した。」とあるのですが、「学生」 が政治闘争を闘ったことが、何故即座に「労働者大衆は」というふうに、置きか えられるのですか? 学生も、労働者も同じ存在とみなしているのですか?

 そして、又、全共闘運動を発展させられなかったのは、「党派の理論・路線的 限界によって、全共闘大衆は、彼らがつかみかけた核心を、科学的認識に高める ことが出来ず、霧散をよぎなくされた」とあって、すべて、党派の指導力―理 論・路線に問題があったように記述されているのですが、それでは、全共闘自身 のもっていた限界性や問題点を内部切開したことにはならないのではないか。 又、全共闘運動を発展させるためには、ボルシェビキ・レーニンの組織論、民主 集中制が最も必要だったという総括の仕方に私は批判的です。このことは、階級 闘争の主体であるはずの労働者階級をどうみるのか、どう捉えるのかということ と不可分です。労働者階級の中には、政治的意識の欠落した人や、反革命的立場 をとる者もいます。けれど、階級闘争の前進のためには、この遅れた部分をも含 めて、全体として総体的に前進すること無くしては、社会主義革命はおこし得な いと考えます。そのための、党の役割とは、労働者階級を「指導する」ことでは なく、労働者、大衆自身が資本主義を終焉させ、搾取、収奪、抑圧からの解放を 勝ち取っていくための条件・状況を準備し、作り出すこと、その革命の「手助け をする」位に考えた方が善いのではないか。


「レーニンは、政治闘争の中で、労働者大衆が階級関係全般、社会関係全般に対 する科学的認識を獲得し、支配階級と被支配階級の利害の非和解性を唯物論的に 認識してゆくことができる政治闘争だけが、全人民的政治闘争であり、共産主義 的政治であると強調している。」「政治闘争、諸闘争を思想変革・成長と不可分 に結びつけることは、唯一、レーニン主義的政治闘争論の厳密な研究、継承、発 展を基礎にしてだけ可能になること、このことを、……徹底して自覚しなければ ならない」「マルクス、レーニン主義の科学的世界観に裏打ちされた全人民的政 治闘争論として結集させ、発展させることが求められているのだ」とあるのです が、科学的世界観をもって、世界を科学的に認識していくことによって階級闘争 を推進させるというのには、私は、賛成しかねます。それでは、科学的認識を一 番多く持っているのは党の指導者ということになります。これでは、党は特権階 級化してしまいます。党内と党外とをあまりに機械的に区分しすぎています。ま た、「科学的認識」をもったからといって、それだけで巨大な資本主義相手に権 力を打倒しようと決意できるでしょうか。たとえ、決意したとしてもさまざまな 社会的抑圧、矛盾から逃れられない以上、色々な制約や困難にぶつかるわけで、 どうやって運動を持続させればよいのでしょう。また、商品としての価値を高め ればそれなりの報酬を得られ自己のささやかな欲求を満たすことも出来たので す。自らを商品化しなければ生存できず、絶えず競争を強いられている労働者 は、「党」に入ったからといって、突然、特別の人間になるわけではないし、状 況は何も変わりません。ただ、党の任務が加重されるだけです。精神的、経済的 負担がかえって増えるだけです。

 私は、レーニン流のアジテーションをそのまま適用しただけのような、党と、 労働者の結びつきでは、今はだめだと考えます。共産主義運動は広がらないと思 います。党の指導による受動的な関係によるのではなく、労働者の自主性、創造 性を高め、相互に影響し合うものにする必要があると感じます。運動を、政治― 理論・路線だけを重視したものから、もっと、文化面、社会面での協働性、アソ シエイトが行われる自由にのびやかに開かれたものにつくり換え、その中に限定 して政治(理論、路線、戦略、戦術など)のみを扱う機関を設けるとか、したら どうでしょうか。もちろん、今の左翼が、合流し、無意味な対立をし合わないこ とが前提になりますが。議論や論争は常に存在するのは当然です。


 [資料]70年代 課題別戦線が先頭に立つ独特の階級情勢 ――で、課題別戦 線、大衆組織に受動的に依存した「経済主義者」と片や批判の対象となってい る、労働情報系と言われる、第四インター、共労党、戦旗<日向派>、せっ旗、 労調委などのその後の運動がどうなっていったかについて私はよく知らないので すが、そちらからの総括も必要だと思います。確か、多くは市民運動に流れ、マ ルクス主義理論の放棄に至っているようなことを聞いているのですが。教えて下 さい。


 普通、政治においての責任は党の指導部が辞任するという形をとると思いま す。労働者人民から不信任を受けている「党派」が、再度、各々の持っている党 派性を主張し合い指導力を競うという考え方自体、私には全く納得できません。

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