スパイM(宮崎学)と左翼の責任について

 Ver.1 1001/11/05 Ver.2 2001/12/18 津村 洋

津村文書への疑問:宮崎の言う「白いファシズム論」に対抗できるか? 佐野鷹男さんからの2001年12月20日付けMAIL


  は じ め に

 以下の文章は、本来ならば、去る9月2日に日比谷野音で開催された「個人情報保護法をぶっ飛ばせ!2001人集会」から日がたたないうちにまとめようと考えていたものです。9・11自爆・道ずれテロルの勃発以降、反戦運動にほとんどいっさいを集中してきた関係で、遅れに遅れてしまいました。いぜんとして忙しい日々が続きますが、少しずつでもバージョンアップしながら、まとめていきます。
 今回のスパイM(宮崎学)問題は、すべての左翼諸組織・革命運動、さらには社会・政治変革を目指す運動・諸個人にとって、けして見過ごすことのできない重大な出来事であり、厳格な見解・態度が求められ続けています。この問題にたいする態度表明が遅くなったことを謝罪しつつ、以下、明確にしていきたいと思います。

 なお、スパイM問題の最も信憑性のあるサイト上での情報資源は、宮崎学「スパイ」問題を糾察する会(http://miyazaki_kyusatsu.tripod.com/)といえます。様々な証拠、事実経過、論戦からメルマガ、リンクにいたるまで充実しています。具体的な分析・評価のためにはここの基礎データを参照ください。
 また、文献上では、社会批評社編集部編『公安調査庁スパイ工作集 公調調査官・樋口憲一郎の工作日誌』(社会批評社http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/shakai.htm2001年8月発行)がもっとも重要な権力側のスパイ工作を暴露する基礎資料となります。

1 わたしにとってのスパイM

 現代におけるスパイM(宮崎学)について、まず私としては、個人的な体験・かかわりから語っておきたいと思います。2000年から2001年にかけて、私の感覚からすれば、実に信じがたいことが生起しているからです。

1−1 やーさん防衛隊をひきつれて登場したM

 私がはじめてスパイMを目にしたのは、2000年の9・30東海村臨界事故1周年東京集会の会場、文京区民センターでした。この種の反原発の市民的集会にしては、そこだけ空気が凍りつくような異様な雰囲気がただよっていて、ほんと、びっくりしたものです。つまり、もろにやーさんとわかる人びとが会場内外をうろうろし、露骨にボディーガードしているその取り巻きの中心にいたのがスパイM(宮崎学)なのでした。
 私も従兄弟にやーさんがいて、弱いものをとことん食いものにしつつ、かつ強いものにはめちゃ弱いやーさんの生態は、子どものころからいやというほど肌身で知っております。ですから、やーさんには敏感で、そんなやつらがわがもの顔にうろつく市民的集会にはじめて遭遇し、なんなんだこれは???、って心底びっくりしました。
 また、他方では、かつて逮捕されたとき、覚せい剤取締り月間とやらで、たくさんのやーさんたちと知り合いましたが、権力にたいして「ウタウ」(「チャカ」などと同様のやーさん業界用語、左翼用語では「ゲロル」)脆さも、その意味では差別され、虐げられてきた末端やーさんの「シノギ」が大変だという悲哀も知りました。そのおりは、やーさんたちに向って「やくざの解体」を主張しつつ、取調べに対する「完全黙秘」を扇動し、けっこうやってくれました。部落民や在日朝鮮人・韓国人を含む末端やーさんは、本来は私たち左派の側に獲得すべき、職もなく、食い扶ちもない、抑圧された人びとであり、私たちの弱さゆえにやくざな仕事に追いやっている、っていう面も考えるべきかと考えさせられました。
 それゆえ、何よりも宮崎学のような会津小鉄エリートやくざは、権力のスパイかどうか以前に、私としては大キライ、まさに唾棄すべき対象です。末端ヤクザに「シノギ」のつらさを強制し、そのことを媒介として弱いとみなした庶民をトコトン食い物にするやから、それでいて情や、仁義を云々するやーさんの欺瞞は絶対に許せません。

1−2 共著『サイバーアクション』の製作過程で

 井口秀介・井上はるお・小西誠・津村洋『サイバーアクション 市民運動・社会運動のためのインターネット活用術』(社会批評社 2001年7月)出版の話は2000年夏に呼びかけられ、その秋から実際に動き出しました。もっぱらメールでの打ち合わせを中心として、時々節目に打ち合わせの会議を設定しつつ、紆余曲折を経ながら出版までこぎつけたしだいです。わたしが宮崎学が公安調査庁のスパイであることを早めにしれたのはこのおかげでした。
 すでに2001年3月には「別冊宝島Real・公安アンダーワールド」(宝島社)が出版され、名指しはされていなくても、「公調協力者の弁護士」が三島浩司であり、彼を介して公安調査庁に秘密情報を提供している「誰もが知っている超有名文化人」が宮崎学であることが明らかになり始めていました。さらにネット上では、メルマガ「サイバッチ!」やメルマガ「ESPIO!」などで2人のスパイMについてその正体が公然と暴露されていきました。
 それは、ちょうど『サイバーアクション』製作過程の最終局面に入りつつあった時期で、その原稿に「電脳突破党」http://toppa.org/を紹介する項目があったのですが、編集長小西誠さんの政治的判断で削除が提案され、共著者全体がそれに同意しました。6月のことです。楽屋落ちネタですが、その部分を執筆担当していた井口秀介さんは「今回の原稿に関しては、旧態左派のネット利用や運動の方法論のふがいなさに対するあてつけ的なニュアンスで、宮崎を嫌う井口の本心とは違った形で不当に持ち上げたところがありますので、ボツになるのは執筆者として全然問題ないところです。全面的に賛成します。今」と述べています。
 公安調査庁から流出した文書(後に社会批評社から8月に出版されることとなった『公安調査庁スパイ工作集 公調調査官・樋口憲一郎の工作日誌』の原資料)によって2人のスパイMの実態が動かぬ証拠として明白でしたから、この時点で共著『サイバーアクション』から「電脳突破党」項目を削除した政治判断は正当なものでした。
 また同時進行で5月から動き出していた「勝手連」を呼び水とする宮崎学参議院選出馬の画策、その政治的狙いもはっきりしました。
 宮崎学自身は「政治家は汚い奴、自分はそんなもの絶対にしない」と公言しており、筋を通すためには「自ら立候補する」ことができませんでした。そのため宮崎学を出馬させるための「勝手連」を自作自演的につくりあげるしかなかったわけです。つまり、スパイMとしての本性が暴露されてきたため、運動圏への広範なかかわりから、白川勝彦率いる新党からの参院選立候補=制度圏への転進、これを狙ったのです。
 運動圏でのスパイMとしての汚い振る舞いをごまかし、立つ鳥後を濁しつつ、制度圏に転進して「汚い政治家」として居直ろうという画策、これは人びとの意識性・判断力をなめきった目先の延命策にしかすぎません。いくら「有名人」であっても、人びとがそんな「汚い」という点でだけ筋を通す人物に支持を寄せるほど甘くはないのです。結果はご存知の通り、幸いにも宮崎学はたった1万数千票しか集められず、白川新党の大惨敗に終わりました。

1−3 スパイMについての特徴的な反応

 2001年6月の段階で、スパイMの実態はかなり明らかになり、運動圏にも浸透していき、ネット上でも様々な議論が展開されるようになっていました。この6月から8月にかけてのスパイM問題にたいする特徴的な反応を以下三つに分けて整理しておきます。

 第1に、最も打撃を受け、衝撃が走ったのは情報を売られた中核派であり、中核派系の大衆運動でしょう。
 中核派が、初めて宮崎学との経緯と彼にたいする態度を公開したのは、やっと8月27日付けの機関紙「前進」(http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no01/f2019sm2.htm)でのことです。ずっと沈黙を通してきた間、中核派は5月から8月にかけて宮崎との討議をし、宮崎に対し自己批判要求を行っていたようです。宮崎は当初は嫌疑を否定し、後に「謝罪」をしたが、中核派は「口先だけのもので信用できない」と判断し、「宮崎自身の思想問題にまで深めた全面的自己批判の表明」「一切の大衆運動から身を引くこと」を最後通牒し、関係の決別を通告したとのこと。
 中核派のこの態度表明についての批判は後に改めて展開したいと思います。
 宮崎学が代表・世話人・呼びかけ人から講演などの形で関係してきた運動は、盗聴法から反原発運動にいたる広範な戦線です。そこでは、権力との対決、スパイへの対応をまじめに考えようとする志向から、スパイMを運動から追放し、彼と決別を宣言する動きがじょじょに拡大していきました。
 第2に、宮崎学などもともと「そんなもん」「やっぱりな」であるというさめた見方、あるいはそもそもそういう人物とお近づきになる政治感覚がだめ、という反応です。
 6月の時点で、宮崎学=公安調査庁のスパイがはっきりした段階で各方面にメールでこの事実を伝えたのですが、その時の返信にはこの傾向がよく出ていました。以下、その一つの健全な反応として、ワーカーズ・ネットの阿部さんの返信を抜粋・転載しておきます。

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 宮崎学の話、なるほどな、やっぱりな、という感じで聞きました。彼は、自分自身の思想や理論や政治的主張や実直な仕事などで生きている人ではなく、他から仕入れた借り物の情報、その情報のひけらかしや横流しや操作などで生きている人だなという印象を持っていました。投機的で野心的で、小ずるそうな印象、社会に対するルサンチマン、ニヒリズムを抱いている印象も受けました。とにかく、お近づきにはなりたくない人の代表格のひとりでした。我々庶民、労働者のこうした直感は、あんがいと的を射ていたわけです。新左翼系の人たちは、どうも、こうした種類の人にあまいようです。中核派や生田氏らには、お似合いの人物とも言えます。我々は、これからも、自分の直感を信じて活動していこうと思います。
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 ついでに言えば、またこの時点で、ネット上のいわゆる共産趣味者界隈でも、もっぱら「まぁあいつならそんなもんだろう」ってことで、誰も驚きもしないし、スパイMという話題に食いついてこないって感じでした。

 第3に、「スパイM、だから何なの?」って調子の受け止めで、宮崎学を擁護する反応です。これには二つの流れがあります。
 一つは、電脳突破党や「勝手連」など宮崎選挙運動を支援した宮崎ファン、宮崎信者です。この人たちは、宮崎学が公安調査庁のスパイであり、情報を売っていたことそのものを、「それで?」って調子で問題にもしないのです。それは一面で、権力のスパイかどうかに関係なく親分・教組をひたすら信じ、それにつき従うやくざ的・カルト的メンタリティの反映です。多面では、権力に情報を売るスパイ行為そのものを悪いという価値基準を欠いた、あるいはむしろ逆に肯定してよしとする右翼的政治性格を示すものです。つまり、<左翼・反権力運動は公安に情報をつかまれているので打撃を受けない>とか<今の左翼はダメだからその情報を売ることはいい>といった反動的な発想です。
 今ひとつは、意図的・意識的に宮崎学=公安調査庁のスパイ問題を後景化させ、二次的問題に消極化させるか、あるいは積極的に謀略論をとって居直るかで、宮崎学を擁護する左派的世界での反応があります。

1−4 元『情況』編集長古賀さんとのバトル

 実体験から話しましょう。
 7月20日の発行日前に、7月14日に共著『サイバーアクション』の最初の小部数を受け取りました。それを当日のアソシエ21の憲法問題をテーマにした催しに持参して販売したかったのですが、集会自身には間に合わず、2次会に合流して10部ほど最初の販売をしました。その席でスパイM問題で深刻なバトルとなってしまいました。
 その飲み会の席で、元『情況』編集長の古賀さんは、完全に宮崎学擁護の立場で、権力の謀略論を展開。わたしとしては宮崎教信者だけの問題ではないって事態に初めて直面し、びっくりぎょうてんでした。とうぜんにして論争・対立が激化し、そんな腐った運動やりたいならアソシエと一切縁を切るから・・・って、ステゼリフを残しつつ、ケツまくって立ち上がって帰ろうとしたら、周りにトリオさえられ・・・ってことに。で、それ以来、哀しいことに古賀さんとは決裂状態です。
 古賀さん自身が事実をどの程度調査し、理解していてのことか、それとも理解もしていずに無理やり宮崎学擁護の論陣をはっているのか?それは定かではありませんでした。が、たとえ公安調査庁から流出したデータをあたっていなくとも、電脳突破党サイトやロフトプラスワンなどでの宮崎学自身の一連の言説をたどっただけでも、彼がいかに信用がおけない人物であり、スパイという指弾にたいして完全に居直っている事実は隠しようもありません。
 にもかかわらず、なぜ古賀さんは宮崎学を擁護するのでしょうか?運動のためには、少々問題があり、汚いことがあっても、かつげるものはかついで運動を、っていうか、その意味である種のブント的大衆運動主義のノリといえようか、そういう発想でかたくなに宮崎擁護してる、と推測しうるくらいです。

 さらに、問題は古賀さんだけではありません。この間、最もスパイMをおおっぴらに擁護しているのは、元共産同(ブント)叛旗派の味岡=三上さんです。
 そもそも、宮崎学自身が9月5日の時点で公式サイトにおいて、9・2集会欠席を開き直ったついでに、味岡=三上さんを賛美しているように、以前から強固な関係性があったようです。(http://www.zorro-me.com/2001-09/0905.htm
 味岡=三上さんは、この間、あいかわらずロフトプラスワンにて、10月4日と12月10日宮崎・三上の定例トークイベントを開催しつづけています。宮崎学は10月のときは、「(高調に)3回しか会っていない」という弁明(6月27日)がウソだったことなどを自認して開き直っています。12月はインフルエンザを理由に欠席しています。
 さらに味岡=三上さんは、9・2実行委総括会議(9月11日)に、宮崎学を擁護する二つの文書を配布・公開しています。(http://miyazaki_kyusatsu.tripod.com/mikami/01.html http://miyazaki_kyusatsu.tripod.com/mikami/02.html)これは影に隠れて裏政治的に動くかたちではなく、おおっぴらになったという点で画期的な文書です。すでに宮崎学「スパイ」問題を糾察する会サイトでは、これにたいする鋭い批判がいくつも投げかけられています。(http://miyazaki_kyusatsu.tripod.com/mikami/index.html)この二つの文書は、宮崎擁護の点だけでなく、それに関連した革命論・運動論としても批判を展開すべき対象です。

 また、政治党派の中では、左翼陣営からマルクス的共産主義に敵対する陣営に乗り移ってひさしい元ブント日向派=荒派(戦旗・共産主義者同盟)が唯一宮崎学擁護の動きを展開し続けています。
 いまだにブントを名乗るSENKI派は、8月の時点ですら「グラン・ワークショップ」に宮崎学を招待し、スパイM問題での開き直りの場を提供し、(http://www.bund.org/senki/senkinew.htm#4th)9月5日付け機関紙「SENKI」(http://www.bund.org/senki/1052senki.htm#4th)でも宮崎擁護の側で論陣をはっています。さらに、9月24日の反戦集会(代々木公園で「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動」が開催)では、この時点でもなお宮崎の写真入りの宣伝ビラを配布しています。
 しかも、最近出版された荒岱助著『テロと報復とコミュニズム』(http://www.jissensha.co.jp/shinkan/shinkan.htm)には、驚くべきことに、8月の宮崎との集会を全文収録しています。SENKI派が、この期におよんでこれを収録するのは、あくまで宮崎学擁護を貫くという宣言に他ならないでしょう。

 以上からして、元ブントの人びとがなぜスパイM擁護の論陣をはるのか、この根拠を分析・切開しないわけには行きません。(続く)

(以下、暫定目次 変更あり)

2 9・2日比谷集会、その前後

2−1 中核派、革マル派、解放派の不誠実な対応について

2−2 9・2集会「日比谷戦争」戦後秘話

2−3 おおかたの左翼諸党派の沈黙が意味するもの

3 革命運動とスパイ問題の原則について

3−1 スパイ、反革命、謀略を乱造する左翼運動の腐敗

3−2 マリノフスキー・スパイ事件とレーニンの対応

3−3 スパイにき然たる態度をもち、かつおおらかな大衆運動を


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