【復刻】 中東戦争とパレスチナ問題  (無署名)

【以下は、共産主義研究会「大道」14号1973.11.1からの復刻文書です。イスラエルによる暴虐・虐殺が野放しにされている現在、パレスチナ連帯の基礎的理解に役立つことを願ってデジタル化していただきました。ご参考になれば幸いです。 津村 洋】

【復刻】イスラエルの歴史と性格 中東問題理解のために 池上和夫

 第四次中東戦争が勃発した。

 一○月一六日、エジプト、シリアとイスラエルが、スエズ運河周辺、及びゴラン高原を中心に交戦状態に入った。
 六七年第三次中東戦争以来、軍事力の圧倒的劣勢を伝えられてきたアラブ諸国は、一般の予想に反し、緒戦を有利に展開し、エジプトはスエズ運河を越えてイスラエル占領下のシナイ半島に部隊を進撃させた。
 アラブ諸国は、アルジェリア、モロッコ、ス―ダン、クウェート、ウガンダ、イラク、と次々に参戦し、アラブの親米国とみられ、重要な位置を占めるヨルダン、サウジアラビアも開戦後一週間を経て参戦を明らかにした。
 米ソはそれぞれイスラエル、アラブに武器援助を行い、国連では緊急安保理事会が開催されて停戦を呼びかけた。
 この戦争の過程で、アラブ諸国の、いわゆる「石油戦略」が発動された。開戦直後のイラクの米石油二社の国有化を端初に、中東産油国六ケ国が原油価格の二一%値上げを発表すると同時に、0APEC(アラブ石油輸出国機構)は、イスラエル支援国に対する対抗処置として石油産出を毎月五%減らしてゆくことを決定した。更に、アブダピ、リビア、サウジアラビア、アルジェリア、クウエ―ト、カタ―ル、バーレーンは、対米石油輸出を禁止するに至った。
 戦争の長期化の中でのイスラエルの疲弊、米国のアラブ諸国への影響力の低下、ひいては解放勢力の台頭を恐れる米帝は、停戦に向けた調停の先頭に立った。 又、対米関係の悪化を望まないソ連も、米帝と共に、停戦工作にカを注いだ。
 米ソによる「説得」の下で、二二日、アラブ、イスラエルは、それぞれ国連緊急安保理の停戦決誘を受諾し、第四次中東戦争は、一応、戦場での武力闘争を主軸とする闘いを終了させたのである。

 第四次中東戦争の性格は、第三次中東戦争によるイスラエルの占領が継続しでいる状況下で行われたことに大きく規定されている。 中東戦争は次のような歴史を辿っている。 第一次(一九四八年)、米帝とシオニスト(ユダヤ人パレスチナ回帰・建国運動実践者)の結託により、パレスチナの半分以上をユダヤ人が獲得する分割案が国連で強行可決されそれを契機にパレスチナは戦争状態に入り、イスラエルが建盟を宣言する。パレスチナの残り四割のアラブ地域は、イスラエルとヨルダンの交渉によって両国に併合され、イスラエルを追放音れたアラブ人がパレスチナ難民として大量に形成される。
 第二次(一九五六年―いわゆる「スエズ戦争」)、エジプト・ナセル政権によるスエズ運河国有化宣言に対し、革新色を持つナセル政府打倒を目指して英・仏がスエズ派兵を行い、イスラエルもシナイ半島に侵攻した。しかし、スエズ運河に殆んど権益を持たない米帝が、これを、中東から英・仏を後退させる機会として捉え、エジプトの後押しを行い、イスラエル軍を占領地から撤退させた。ナセルは戦争に敗け、米―英・仏の対立を利用し政治で勝った―としばしば語られている。
 第三次(一九六七年―いわゆる「六日戦争」)、イスラエルとアラブ諸国は国境紛争を繰り返してきたが、六七年、イスラエルの挑発でイスラエル―エジプト間の緊張が高まりエジプトの要請で国連軍が撤退した直後、ダヤンの 「電撃寄襲」によって、イスラエルはシナイ半島(エジプト)、パレスチナ全土(ヨルダン)、ゴラン高原(シリア)を六日間で占領し、中東におけるイスラエル軍事力の圧倒的優勢を見せつけた。国連は、イスラエルの占領地域からの撤退を決議んたが、イスラエルは、撤退後の自国の安全が保障されないことを理由に占領を続け、ユダヤ植民・キプツ建設など占領地の併合化をすすめてる。パレステナアラブ人の追放を辞さずに強大なユダヤ国家建設を日指し、その終果激化するアラブとの対立に対処するため一層の大国化・領土拡張を求めるというシオニストの悪無限的な拡張主義は、イスラエルを支える米帝の中東・アフリカに於る反共・反革命戦略と相まって、中東のいわゆる「戦争でも平和でもない状態」の根拠をなしてきたのである。
 第四次中東戦争も、イスラエルの拡張主義の矛盾の爆発に他ならなかった。

 六日戦争は、パレステナ人民をより悲惨な状況に突き落とすと共に、又、アラブ諸国は自国の軍事的劣勢を見せつけられ、消極的な姿勢に陥った。こうした事態は、パレスチナアラブ人に、自ら闘う必要を自覚させ、パレスチナ解放の開いの激化を余儀なくさせた。
 パレスチナ解放勢力は、パレスチナ政府機構としてアラブ連盟に公認されているパレスチナ解放櫻構(PLO)に加盟している。PLO傘下のいわゆる「パレスチナゲリラ」組織は、パレスチナ解放運動(アルファ夕)、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)、パレスチナ解放民族民主人民戦線(PDFLP)、サイカ、パレスチナ解放軍(PLA)など三〇程に及んでいる。これらの組織は、マルクス・レ―ニソ主義を掲げるPFLP、PDFLP以外の組織も含め、しばしば宣伝されている如く「ユダヤ人を地中海に追い落せ」といった排外主義的スロ―ガンを唱えているわけではない。各組織の目標或は当面の課題は、シオニスト打倒によるアラブ人ユダヤ人の差別のない(人民)民主義的パレスチナ国家とされており、どの組織も、ユダヤ人一般を敵視したり、或は解放の際に追放する意図がない事を公言している。
 こうしたパレスチナ解放勢力は活発な活動を展開し、パレスチナ問題の存在を世界にある程度まで伝えることが出来た。しかし、イスラエルとアラブ反動支配階級の間で極めて困難な闘いを強いられている解放勢力が、いくつかの弱点を示してきたことも間違いない。米帝・CTAと結託したヨルダン・フセイン反動政権による一九七〇年の解放勢力大弾圧(黒い九月事件)に際して、対イスラエル闘争を重視する解放勢力は、アラブ反動勢力の過少評価から有効に対処出来ず、大きい犠牲を払い、退却を余儀なくされた。又、前述の、シオニストとイスラエル国民一般の明確な区別という思想も、戦術への具体化は力量にも規定されて易いものではなく、「アラブゲリラ=反ユダヤ排外主義」という帝国主義・シオニストの宣伝を許す条件もつくっている。
 しかし、レバノンに逃避した解放勢力は、黒い九月事件の総括と最大組織アルファタの左傾化傾向などの中で、PLOの下に結束を強め、新たな前進を模索しょうとしている。第四次中東戦争は、パレスチナ解放勢力の発展にとって一つの条件を為している。

 第四次中東戦争に際して、米ソを中心に行われた調停は、こうしたパレスチナ解放運動の前進を保障し、パレスチナ人民の自決権を擁護するものではない。米帝の狙いは、イスラエル軍の占領地域からの一定の撤退と引きかえに、アラブ諸国にイスラエルを公認させ、イスラエルの存在を安定させることである。アラブへの石油依存が膨大な西欧・日本は六七年国連決議=占領地からのイスラエル軍撤退を支持し、アラブの側に立つポーズをとることを余儀なくされ、今のところ中東の石油にさ程頼っていない米帝(八%)と対立を深める要因をつけ加えたが、その目標は、パレスチナ解放ではなく、中東の安定・現状維持の前提に立つ帝国主義支配の強化である。
 第四次中東戦争は、最終的にはアラブ諸国が押されていたとはいえ、イスラエル軍事力の「飛躍的優位」の神話は打ち砕かれ、アラブ諸国は自信を回復している。又、「石油戦略」の発動、アフリカ諸国の雪崩うつ対イスラエル断交など、中東・アフリカ諸国が結束を強めつつあることを示した。
 今次戦争のアラブの戦い――善戦といっても良い戦いは、支持・評価し得るものである。
 そのことは、決して、ヨルダンなどをはじめとするアラブ反動支配階級を支持し免罪することを意味するものではない。
 アラブ=イスラエルの矛盾が、帝国主義間の抗争ではなく、帝国主義の利害を反映するイスラエルの拡張主義によってもたらされている以上、中東の階級闘争の発展にとって、イスラエルの存在と、その拡張主義は、重大な阻害要因である。アラブの反動階級・買弁階級は、アラブの強さにではなく、その弱さに自己の存立基盤を見出しており、彼らの一掃は中東の帝国主義支配打破と不可分である。
 又、今のところ極少の共産主義組織を反シオニズム運動の指導部として持つにすぎないイスラエルユダヤ人の階級闘争にとって、政府が煽動する拡張主義政策が挫折させられることが重要な発展の条件を成している。
 しかし、同時に、アラブの前進を口実とするパレスチナ問題の切り縮めを許してはならず、それは結局アラブの前進ではない。
 我々は、パレスチナ解放運動と、その当面の目標である人種差別なき民主パレスチナ国家建設を支持し、叉、アラブ、アフリカ諸国のイスラエルと対決を強めつつある基本的動向を支持し、米帝―イスラエルを軸に展開される中東・アフリカの帝国主義支配、狂暴(ママ)な後進国抑圧を糾弾しなければならない。
 イスラエルという「尖兵」の活躍で、反帝闘争・解放関争の成熟が遅らされた中東も、帝国主義世界の危機の深化の中で、新たな発展の段階を迎えようとしている。


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