報告:反グローバリゼーション国際集会に参加して

 −社会主義キューバで今何が起きているのか 太田次郎

【以下は、太田さんの了解を得て、アソシエ21ニューズレター2001年1月号から転載させていただきました。】


昨年の11月10日から14日までの5日間、ハバナで開催された「第2回キューバ国際友好連帯会議」に、アソシエ21の会員である私が、たまたま参加する機会を得た。この体験をアソシエ21の会員のみなさんに、ぜひお伝えしたいと思い、12月9日に中央大学駿河台記念館にてアソシエ21主催の報告会を開催させていただいた次第である。

 「反グローバリゼーション国際集会に参加して・社会主義キューバで今何が起きているのか」をタイトルに、元ハバナ大学非常勤講師の新藤通弘氏、音楽評論家の福田カズノブ氏のお二人に講演・トークセッションをお願いし、キューバのスライド上映を交えた楽しい企画となった。


「社会主義キューバで何が起きているのか」報告集会

 国際連帯集会の報告スライド上映の後、最初に音楽評論家の福田カズノブ氏に、キューバの音楽事情・文化についてお話をしていただいた。まず、昨年から日本国内でも爆発的ヒットとなったキューバ音楽を舞台とした映画「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」とその背景について、キューバ音楽を世界的に広めた功績は大きいとしながらも、アメリカの商業資本の目線で捉えた「キューバ音楽」であり、必ずしもキューバの人々、音楽家の視点から表現されたものではない、という指摘があった。確かに、映画の構成は、アメリカのギターリスト・ライ・クーダーが古き良き(革命前の)キューバ音楽と老音楽家を「発掘」して、最終的にニューヨークのカーネギーホールで喝采を浴びるという展開になっている。しかし、実際には、彼らは、革命政権後も活発な音楽活動をしてきたのであり、また、他の多くのミュージシャン同様、国の手厚い保護を受けながら活動しているのが実態である。むしろ、キューバは、他のさまざまな社会保障制度とともに、自国の音楽文化を大切にする政策をとっており、この事実を欠落させたアメリカ側の独断的視点は、あたかもアメリカ大陸やキューバを「発見」したといわれるコロンブス的理解にすぎない、と福田氏は話す。米国主導のグローバリゼーションは、音楽の世界でも貫かれているのである。

もともと、キューバ音楽の基盤と層はきわめて厚く、革命前、革命後を問わず、優れたミュージシャンを輩出してきた。かつて日本では東京キューバンボーイズなどによってマンボ、チャチャチャなどのリズム、ペレズプラードなどの音楽を通じて「ラテン音楽」というジャンルでキューバ音楽が紹介されてきた経緯がある。すでに世界中を席巻するほどのパワーをもっているのが、キューバ音楽だというわけなのである。

 福田氏は、アシスタントの冨士田香鶴さんとともにCDで実際に音楽を流しながらのお話でとてもリアルで楽しく興味深いものであった。

 次に、元ハバナ大学非常勤講師で、「現代キューバ経済史」(大村書店)の著者である新藤通弘先生に「社会主義キューバの現状」について、講演をお願いした。新藤先生は、冒頭、福田氏の話を引き継ぐ形で、キューバの音楽家が収入的には一般の公務員より高いレベルで優遇されていること、音楽に限らず、ダンスやスポーツ、芸術家、映画関係者などを処遇するため、日本の文化関連予算の割合とは比べ物にならないほど、高い予算を投じていると話していた。とくに、社会保障制度の充実ぶりを詳細に説明され、教育(日本と同じ9年制の義務教育)は大学まで無料、光熱費、通信費、居住費の無料化を実現している実態、国民の収入は給与明細にこうした社会保障費の控除分が記載されていないため、非常に低収入とみなされている誤解について話された。キューバへの偏見を断ち切るお話である。

 ついで、キューバ社会主義の現状である。

ソ連・東欧圏の崩壊で輸出入の3分の2を失い、91年から94年をピークに極端な経済的打撃を受けたキューバは、90年代、自力で立ち直るための悪戦苦闘が続けられてきた。(キューバは「平和時の非常時」と規定)東欧やソ連の「社会主義」が解体したとき、キューバの貿易は根本的に破壊され、麻痺してしまった。「私が訪問するたびにキューバ人の体が痩せ細っていた」と先生はいう。

そこでキューバはソ連に頼らない自立経済の建設をめざした。その基本は、経済の開放政策である。93年には外貨の保有を合法化することを決定、観光産業の育成をはかり、外貨の獲得を狙った。その他、経済再建のためにとられた政策を列挙すると、食料増産の緊急措置として都市農業の育成、協同組合の労働者に国有地の58%を無料貸与、補助市場を認め、農業・畜産,工業製品に自由価格を設定するなど、相次いで自由化政策を打ち出してきたのである。とくに革命直後から試行された国営万能論を見直し、協同組合農場への転換を図ったのが、生産性をあげるきっかけとなったという。72年のコメコン加盟後もソ連との取引に有利な生産体制を築き、自立的、自給的経済の建設が遅れたこと、革命前のモノカルチャー経済からの脱却がうまく進まなかったのは、「革命前はアメリカに頼り、革命後はソ連に頼る」という依存経済に問題があったと先生は振り返る。

最後に、現在のキューバを「混合経済」(国家所有と私的所有の混在)と規定し、マルクス主義の概念からいえば社会主義への過渡期社会であると、先生はキューバの現状をこう結んだ。(詳しい内容は、大村書店2000年3月刊「現代キューバ経済史」参照)


国際友好連帯会議報告  118カ国、4000名が参加

 さて、報告会ではスライドで説明した国際連帯会議の様子も報告しておこう。前回は92年に開催されたというから、実に8年ぶりの開催である。11月10日から14日までの5日間開催された「国際連帯会議」には、全世界118カ国、4000名が参加した。日本からは、私を含めて20人ほどが参加。新社会党、ピースボート職員、ボランティア団体などであった。主会場となった「カールマルクス劇場」には、さまざまな国々から参加した多彩な人々で満杯となった。政府の代表者、政党代表者、市民団体、個人と参加者のレベルもまちまちである。

 最初の全体会では、キューバ政府の最高幹部の錚々たる顔ぶれが並んだ。人民友好協会(ICAP)代表のセルヒオ・コリエリがまず挨拶し、次いで、外務大臣フェリペ・ペレス・ロケ(30代の若手指導者)、去る12月に来日したリカルド・アラルコン全国人民権力議会議長、そして、キューバ経済再建の立役者ともいわれているカルロス・ラヘ国家評議会副議長(40代)と続く。ポスト・カストロと目される面々である。

 そして、最後の最後、閉会式になって初めて登場したフェデロ・カストロ首相。実にふるった演出で否が応でも盛り上がる。顔を見せただけで聴衆はスタンディング・オベイションである。フィデル!フィデル!の大合唱となり、観衆を鎮まらせたカストロは、ドミニカ共和国代表団に向かって「ドミニカでは散髪代はいくらなの?あまり高い値をいわないでね。キューバの散髪屋さんがみんな亡命しちゃうといけないから」ときわどいジョークをとばしたものだから、会場はドッと爆笑が沸き起こった。それを皮切りにアメリカの経済封鎖と亡命キューバ人問題を淡々と話し始めた。演説は夜7時に始まり、延々5時間、夜中の12時過ぎまで続いたらしい。(私は途中で退席)翌朝、取材に来ていた赤旗の中南米支局の記者が「あの演説の長さはある種暴力だね」と苦笑い、途中周辺の閣僚たちが、演説を終わらせようとして合図を送るのを無視し続け、ついに全員が立ち上がって拍手して強行的に終わらせたのだそうである。74歳、いまだ健在である。

 会議は、途中分科会を挟んでの進行で、私はアメリカの経済封鎖に関する分科会に参加した。分科会では最近の動きについて説明があった。米国においてキューバ制裁に関するいくつかの法案が10月に成立したというのである。もともとキューバ制裁の法的根拠になっている有名な「トリセリ法」やクリントン政権下で成立させた経済封鎖のための「ヘルムズ・バートン法」に加えて、あらたな米国の動きである。そのひとつが「人身売買・暴力の犠牲者保護法」である。多少ややこしいのは、このタイトルから想像される内容と異なり法案の中身に、米国銀行に凍結されているキューバ資産を反キューバテロ組織の犠牲者の遺族に補償金として支払うという内容が含まれている。次いで、「農業予算法修正案」ではキューバ制裁に関する具体的な法制化が盛りこもれていた。すなわち、@医薬品・食糧販売に関する大幅な規制、A公的、私的金融の禁止、相互貿易の可能性の排除、B米国人のキューバへの渡航禁止(これまでの制限規制を法的に成文化した)などである。

 この背景にあるのは、米国大統領選挙であるといわれている。つまり、激戦区となったフロリダ州の亡命キューバ人の得票を得るための民主党側の画策なのである。2年前のエリアン君問題で見せたクリントン政権の比較的寛容な政策を転換させたものである。結局、ブッシュ共和党政権の勝利で終わったことにより、キューバは警戒感を一層強めている。

 分科会ではこうした説明と意見交換が行われた。大会最終日には、ハバナにある米国在キューバ通商代表部前の広場で集会とデモが行われ、「米国のキューバ経済封鎖を粉砕し、第三世界諸国の連帯でグローバリゼーションに対抗しよう」との決議が採択され、会議の全日程は終了した。


(追記)

 5日間の会議の合間、ハバナの街を一人歩いた。旧市街の美しい町並みは、旧スペインの植民地時代の建築物をそのまま残している。また、革命前、米国の成金たちが歓楽街として利用したカジノや酒場の毒々しい雰囲気もいまだ漂っている。だが、それはあくまで器だけで、国民の生活は貧しいがきわめて健全な社会を築いているという印象を得た。まず、感じることは教育水準の高いこと。識字率の高さは欧米並みで、中南米では一番である。そのことがキューバ人としての誇りにつながっている。治安の良さは、日本以上だろう。それも警官が保っているというよりは、市民の知的、文化的水準の高さに由来するように見えた。キューバは音楽の国でもある。ソンと言われるキューバのリズムをベースに、民謡、軽音楽、クラシックにいたるさまざまな音楽が街中に溢れていた。スペイン人とアフリカ系の奴隷たちの子孫によって構成される民族は、類まれな平等社会ともいわれる。差別を法的に禁じているこの国では、白人、黒人、混血の構成比を公表していないが、さまざま肌の色をした人々が一緒に働いていた。「赤い貴族」(ノーメンクラツーラ)が存在しないというのもこの国の誇りの一つである。いまでも閣僚級の人々が市民と一緒に配給所に並ぶという有名なエピソードさえある。法律上の賃金格差は4倍までと決められているそうだが、ドルが解禁となった現在ではその格差は広がっているという。現在の過渡的経済を乗り越え、すべての国民が幸せを享受できる社会主義への発展を願ってやまない。アソシエ21の読者もぜひキューバを訪ねていただきたいものである。


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