source: 『風をよむ』No.54 2001.01.25 編集:共産主義者同盟首都圏委員会
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日本からキューバへ行くためには、メキシコ経由となる。メキシコへの直行便は少ないため、アメリカのヒューストン、メキシコのカンクン、そして、キューバのハバナというルートが一般的である。約20時間の飛行、乗り継ぎを含めると30時間の旅となる。狭い座席のエコノミークラスの旅は結構つらい。(日本との時差は△14時間)
カリブの真珠といわれるキューバは、フロリダの南約145kmにある東西に延びる細長い島。面積は日本の本州の約半分、本島のほか1600余りの島や岩礁からなる、カリブ海最大の島である。人口は、約1200万人、ムラートと呼ばれるスペイン系とアフリカ系の混血が国民の87%を占める。
国際友好連帯会議に、118カ国、4000名が参加
ハバナのホセ・マルティ空港に到着したのは、夜の11時。この便で到着した日本人は私だけだったが、意外にも迎えのキューバ人が待っていた。キューバ外務省に勤めるエルミリオ君。駐日キューバ大使館の勤務経験のある若者で、今回の国際会議に参加する日本人担当なのだという。さっそくホテルまで案内してくれた。
翌朝10時、国際連帯会議のメイン会場である「カール・マルクス劇場」に向かった。日本でいえば日比谷公会堂を大きくしたような大劇場で、ハバナいちの集会場・イベントホールである。会議の正式名称は、「第2回キューバ友好連帯国際会議」。前回は92年に開催されたというから、実に8年ぶりの開催である。11月10日から14日までの5日間の日程の会議には、全世界118カ国、4000名が参加した。日本からは、私を含めて20人ほどが参加。新社会党、ピースボート職員、ボランティア団体などであった。会場は、さまざまな国々から参加した多彩な人々で満杯である。政府の代表者、政党代表者、市民団体、個人と参加者のレベルもまちまちである。共通しているのは熱烈なキューバ・ファン、カストロ・ファンということになろうか。カストロやゲバラの扮装をした中高年や若者がお祭り気分で参加している。
最初の全体会では、キューバ政府の最高幹部の錚々たる顔ぶれが並んだ。人民友好協会(ICAP)代表のセルヒオ・コリエリがまず挨拶し、次いで、外務大臣フェリペ・ペレス・ロケ(30代の若手指導者)、さる12月に来日したリカルド・アラルコン全国人民権力議会議長、そして、キューバ経済再建の立役者といわれているカルロス・ラヘ国家評議会副議長(40代)と続く。ポスト・カストロと目される面々である。
そして、最後の最後、閉会式になって初めて登場したフェデル・カストロ首相。実にふるった演出で否が応でも盛り上がる。顔を見せただけで聴衆はスタンディング・オベイションである。フィデル!フィデル!の大合唱となり、手を大きく広げて観衆を鎮まらせたカストロは、ドミニカ共和国代表団に向かっていきなり、「ドミニカでは散髪代はいくらなの?でも、あまり高い値をいわないでね。キューバの散髪屋さんがみんな亡命しちゃうといけないから」ときわどいジョークをとばしたものだから、会場はドッと爆笑が沸き起こった。それを皮切りにアメリカの経済封鎖と亡命キューバ人問題を淡々と話し始めた。演説は夜7時に始まり、延々5時間、夜中の12時過ぎまで続いたらしい。(私は途中で退席)翌朝、取材に来ていた日本人記者が「あの演説の長さはある種暴力だね」と苦笑い、途中周辺の閣僚たちが、演説を終わらせようとして合図を送るのを無視し続け、ついに全員が立ち上がって拍手して強行的に終わらせたのだそうである。74歳、いまだ健在である。
中南米諸国との連帯を要にするキューバ
会議は、各種の分科会を挟んでの進行で、私はアメリカの経済封鎖に関する分科会に参加した。分科会では最近のキューバの立場について説明があった。
キューバ経済の自立促進にとって最大の障害はアメリカによる経済封鎖である。前回書いた通り、その法的な根拠になっているのは「キューバ自由民主連帯条例」(ヘルムズ・バートン法)である。1996年、クリントン政権が打ち出したこの政策は、自国の禁輸のみならず、他国の貿易に対してさえ制裁を行うという横暴なものである。このため即座に国際世論からの反対を惹起した。とりわけカナダ、メキシコ、EUの反発は強く、毎年のように国連の場で論戦が闘わされている。キューバの外務大臣フェリペ・ペレス・ロケはこう話す。
「キューバにとってこの制裁はつらいが、この事態によって国際法を遵守しているのがどちらの国かを明確にした。米国政府は、キューバへの渡航を禁止することで事実が暴露されることを恐れている。大国のエゴを押し付ける敵対行為を繰り返している米国は、ベトナム戦争同様の誤りを犯している。グローバリゼーションという名のもとに、ベトナムの苦い経験を21世紀にまで持ち込もうとしている」と。
いっぽう、ロケは、「キューバ外交の最優先課題はラテンアメリカの団結である」とキューバの外交戦略について説明する。98年にはラテンアメリカ統合連合(ALADI)に加盟、イベロアメリカ・サミットでは主導的役割を果たした。昨年のG77(先進国サミットに対抗した南サミット)はハバナで開催され、キューバのイニシアチブを印象づけた。とくに、ソ連崩壊以降、カリブ諸国、中南米諸国との連携を強め、それらの国々への医療援助、研修生の受け入れなどは非常に積極的に進められているという。医療大国ともいわれるキューバでは、(国民一人あたりの医者数は日本の倍)中南米の貧しい山間地帯に数多くの医者を派遣しているという。現に、最終日の経済封鎖に反対するデモには、在ハバナの中南米医学生、研修生が動員されていた。中南米でいま一番キューバとの関係を深めている国は、99年に成立したベネゼイラのチャベス政権である。石油の取引量が急速に伸び、中南米最大の貿易相手国になっている。その他のラテンアメリカ諸国とはイベロアメリカ首脳会議などを通じて関係を一層強めている。アメリカに対抗する中南米の基盤作りがいまキューバの外交戦略の要になっているようだ。中南米の連帯(ソリダリダ)という言葉がしつこいほど繰り返されていた。
「市場要素の導入」とそのゆくえ
そして、外交政策の次は、キューバ社会主義の現状をアピールする。先のカルロス・ラヘ国家評議会副議長の話や、他の幹部たちの説明を総合すると、経済再建の道筋は一応軌道に乗ったという印象だった。これは、街の様子からみても良くわかる。基礎食糧を配給する配給所では、列を作るほどではなかったし、自営の店舗には食料品、生活物資は溢れていた。通り沿いに並ぶ屋台にも、アイスクリームやハンバーガー風のパンなどの品揃えは充実していた。犬猫病院にはペットを連れた市民で賑わっていた。ハバナ旧市街の貧しい町並みを歩いても、中南米にはつきもののホームレスや物乞いの姿はなく、人懐っこく寄ってくる子どもたちは、写真をとってくれとは言っても、物をねだることは一度もなかった。国民の平均月収は223ペソ(1ドル21ペソ・2000年8月現在)米ドルに換算すると10ドルちょっとである。月収1200円では驚くべき低収入と思われるだろう。しかし、キューバには「ペソの魔術」という言葉がある。二重価格制度である。例えばキューバのラム酒のカクテル(モヒート)が私たち外国人には3ドルであった。だがキューバ人は同じカクテルを3ペソで買う。この換算でいえば、キューバの平均月収は、27000円近くということになろうか。キューバの社会保障はご存知の通り、教育、文化全般にわたる無料化を実現しており、生活に必要な住宅費、光熱費、通信費などもほぼ無料に近い。基礎食糧の配給もある。そのことを加えれば、貧しいとはいえ、生活の最低限度は保障される仕組みになっているのだ。
だが、90年代の経済再建の切り札となった「市場要素の導入」による経済開放の路線は、不安定な要素を数多く孕んでいる。カストロは99年の「ネオ・リベラル・グローバリゼーション」に関するハバナでの講演会で次のように語っている。
「キューバという小島にあってわれわれは最小限の外国人所有権(投資)と資本を欲っしている。それは革命を救うために、必要に迫られたことだったが、同時に物質的不平等はキューバ社会に作られてしまった」と、率直に語っている。
法律上は、労働者の賃金格差は4倍を限度とされる。だが、いまでは8倍にも達しているという話も聞いた。ハバナのような都市部では、ドルを得る機会は多く、タクシーの運転手や観光産業など外国人と接する人々は、チップだけで普段の所得の数倍を稼ぐという。もともとチップの制度はなかった国だが、今では常態化していた。亡命キューバ人縁者からのドル送金が公然化し、一部の家族がドルで潤ういっぽうで、ドルを持たない政府関係者、医者、教師、研究者などは、賃金格差に当然不満を持つ。これらが職業上の汚職を生み、モラルの低下に繋がっているという。「治安の良さは日本以上」といわれた街にも近年は犯罪が増えているのだそうだ。反体制の運動は、一時の米国の後ろ盾による亡命キューバ人に限られていたようだが、昨年だけでも少なくとも3回のデモがあったという。(これがどういう性格のものかは不明)
これらの不安定な要素をはらみつつ、引き続き開放経済の政策は進行している。外国資本の導入の実態を見てみよう。例えば、私が宿泊したホテルは、革命前は旧ヒルトンホテルである。前はスペイン資本との合弁だったというが、今はドイツとの合弁に変わったという話を聞いた。90年代は外国資本が次々と導入された。在キューバ日本大使館の発表によると99年末の時点で、374の合弁企業が32の分野で活動している。内訳はEU52%、カナダ19%、ラテンアメリカ18%となっており、主要国はスペイン、カナダ、イタリアである。これらに対するキューバ政府の姿勢はどうだろうか。
トロピカル・ソシャリスモの健全な発展に期待しよう
「キューバの外国投資開放は新リベラリズムに鼓舞されたものでもなく、資本主義への移行を遂げるためのものでもない。これは社会主義を防衛し、これを発展させるためのものだ」(95年全国議会での政治声明)あくまでも経済再建の「補完」である、と強調する。社会主義をめざす以上、当然の立場だとは思うが、市場メカニズムをどのように管理し、調整するのか、市場経済がもたらす収入の格差をどう抑制するのか、投資案件についての厳しい監視だけでコントロールできるのか、課題は山積している。
政府内部での議論は当然活発になる。ある情報によればカストロと副議長のカルロス・ラヘの大論争が国営テレビで放映されたそうである。59年の革命組とラヘなど若手ポスト世代の確執は今後も続きそうだ。キューバの社会主義はポスト・カストロからが正念場である。
それでも90年代は多くの亡命者を生んできた。アメリカが積極的に亡命工作した結果だとは言え、経済格差の歴然とする国境の海を越えようとする人々を止めることは難しい。かつては亡命の際に、親戚一同がハバナの海岸に集まって、盛大な宴会を開いた後に船で海を渡る光景がたくさん見られたそうだ。現在ではハバナにある米国通商代表部で手続きをとれば、合法的に出国できるようになった。
大らかで明るい「トリピカル・ソイアリスモ(南国の社会主義)」。この健全な発展に期待したい。
(追記)
5日間の会議の合間、ハバナの街を一人歩いた。旧市街の美しい町並みは、旧スペインの植民地時代の建築物をそのまま残している。また、革命前、米国の成金たちが歓楽街として利用したカジノや酒場の毒々しい雰囲気もいまだ漂っている。だが、それはあくまで器だけで、国民の生活は貧しいがきわめて健全な社会を築いているという印象を得た。まず、感じることは教育水準の高いこと。識字率の高さは欧米並みで、中南米では一番である。そのことがキューバ人としての誇りにつながっている。悪くなりつつあるという治安だが、それでも日本よりましだろう。それも警官が保っているというよりは、市民の知的、文化的水準の高さに由来するように見えた。
キューバは音楽の国でもある。
ソンと言われるキューバのリズムをベースに、民謡、軽音楽、クラシックにいたるさまざまな音楽が街中に溢れていた。スペイン人とアフリカ系の奴隷たちの子孫によって構成される民族は、類まれな平等社会ともいわれる。差別を法的に禁じているこの国では、白人、黒人、混血の構成比を公表していないが、さまざま肌の色をした人々が一緒に働いていた。「赤い貴族」(ノーメンクラツーラ)が存在しないというのもこの国の誇りの一つである。いまでも閣僚級の人々が市民と一緒に配給所に並ぶという有名なエピソードさえある。