( 情報ソース:「人民新聞」 http://www.jimmin.com/ )
心ある人々が危ぶんでいたように、建国宣言を延期したにもかかわらず、新たなイスラエルの挑発が一気に戦争状態を作り出した。
「パレスチナ建国を宣言すれば公然と武装併合、建国宣言を延期したら和平交渉の息の根を止める」―「約束された地」首都エルサレムを和平交渉の議題にしたことで、「和平交渉を破壊する」と公然と主張していたリクード党のシャロン党首の考えは明快だ。彼の歴史は一九八二年レバノン侵略、ベイルートのサブラシャテーラ難民キャンプ虐殺の指揮官である経歴を誇りとして現在の地位を築いてきたのだから。バラク政権はシャロン党首によって作り出された戦争を収拾できず、その責任を一方的にアラファト議長、パレスチナ側に押し付け、挙国一致内閣によって政権維持をもくろんでいる。
「イスラエルは何も変わっていない。イスラエルに平和は似合わない。銃による『平和』はもうたくさんだ!」―パレスチナ人民の声は石つぶてに替わって、公正な平和を求め続けている。
<目 次>
1 パレスチナの声
シャロンの挑発 / インティファーダが協同を育てる
2 呼応するレバノン解放運動
3 シャルムエルシェイク緊急首脳会談
闘いの継続だけが公正なパレスチナ人の権利を作る
4 インティファーダ=人民は、新たな戦略を求めている
1 パレスチナの声
「自治政府発行の今のパレスチナ旅券を、九月一三日以降パレスチナ国家の旅券に切り替える準備をしている」と誇らしげに語ったパレスチナの自治政府の友人たちも、一三日の建国を見送った後、少し元気がなかった。「多少の時間を待てば公正な和平が訪れるわけではないのに、国際的な力関係の中では、我々は『正義』しか持ち合わせがない」と少し自嘲ぎみに語ったあと、気を取り直すように「正義は人民の力の源泉だ。人民が支持している限り国際社会も正義をしぶしぶでも承認するさ」と語っていた。
「建国宣言」を発しなかったことがパレスチナ勢力内に緊張を拡大させていた。内実のない形式的建国を語るよりも自らの運命を闘いとるべきだというイスラム主義勢力の声は、ますます大きくなった。
「イスラエルは、銃を突きつけてパレスチナ人を無権利状態に固定化させることを『和平』と称している」と一般的なパレスチナの人々が考える以上、自治政府はもはや譲るものを何も持ち合わせてはいない。「『建国宣言』を発したとしても、物量と欧米支援を受けたイスラエル優位の武力併合戦争が引き起こされるだけだったのか」という自治政府の人々の苦悩とは裏腹に、「公正な和平交渉は、石つぶてのインティファーダだけが解決の道だ」と、緊張の中で人民の戦いの要求は天を衝く勢いだ。
シャロンの挑発
そんな中、東エルサレム旧市街にあるイスラム教の聖地であり、イスラム教管理下に置かれているハラムアッシャリーフ(予言者マハマッドが昇天した場所とされ、岩のドームとアルアクサ・モスクがあるイスラム教の聖地)に九月二八日、リクード党首のシャロンが武装したお供を引き連れて足を踏み入れた。それはEU
など国際社会も非難するしかない挑発行動だった。シャロンの行動に抗議したパレスチナ人たちに向けられた銃口は、東エルサレムの衝突を皮切りに、全占領地、自治区、アラブ、レバノン地域にまで広げた。イスラエル警察隊がイスラム教聖地に突入し、二〇〇人以上の死傷者を出した。三〇日にはパレスチナ人の抗議は西岸地区、ガザ地区へと拡大し、パレスチナ警察も人民を防衛してイスラエル軍と銃撃戦を交えた。自治政府の人々は、もともと解放の戦いの担い手も多い。イスラエルの物量で人民が殺戮されたら黙ってはいない。
九月三〇日、さらに怒りが頂点に達した。ドラム缶の陰でイスラエルの銃撃を避けていた親子が銃弾に倒れる様子の一部始終を、フランスのジャーナリストが世界中に映像として伝えた。アラブ全土で悲しい映像が繰り返し放映され、怒りを増大させながら人々の胸中に焼きついていった。親子の死はイスラエル国籍を持つパレスチナ人社会も動かし、「イスラムの聖地を守ろう」とイスラエル治安部隊との衝突が始まった。イスラエルは、ヨルダン川西岸とガザ地区に戦車を投入してビルやパレスチナ治安施設を攻撃し、一挙に全土が戦争状態に陥った。これまでの「和平」という名のイスラエル防衛の交渉が一挙に崩れ始めたのだ。
インティファーダが協同を育てる
国家権力を発動したイスラエルと、仲間と家族と祖国を見殺しにしない石つぶてのパレスチナ人民の戦争は、自治政府の人々を解き放った。「次々と虐殺される人民を見殺しにしていいのか!ユダヤ人入植者が武装してイスラエル軍と行動を起こしているというに!」。かつての解放勢力として
PLOを形成していた組織が民兵組織を拡大させ、ハマスのイスラム武装勢力と共同し始めた。アラファト議長のファタハも一〇月一〇日、民兵組織を結成した。ファタハも、このままでは人民の支持を失うことを悟ったのだという。インティファーダが、パレスチナ勢力間の協同を育てている。
その後一〇月一二日、西岸地区のラマッラで二人のイスラエル兵がパレスチナ警察に捕まり、押しかけたパレスチナ住民に殺された事件が起こった。それを口実に、報復としてイスラエルは、パレスチナ自治政府の建物にミサイル攻撃を開始し、戦争はアラブ全体を巻き込んだ。
一方、バラク首相は政権維持に向けて動き出した。「アラファトは、もはや和平のパートナーでない」と宣言し、「非常事態挙国一致内閣」結成をめざし、挑発者リクードのシャロン党首に連立政権を要請した。アラファト議長も「我々パレスチナ人は、強固な民族だ。パレスチナ独立国家の首都、エルサレムに向けて行進を続ける」と宣言した。
「和平は死んだ」と交渉当時者たちは苦悩している中、「イスラエルは何も変わっていない、銃による『平和』はもうたくさんだ!」「戦いの中から、公正な和平が始まるかもしれない」「戦いはみなを平等にする!」と、人々は生死の狭間を生きながら希望に燃えている。
2 呼応するレバノン解放運動
占領政策に対決した人民の正義の戦いは、拡大し始めていたパレスチナ勢力内の対立を、協力と相互支援に置き換えた。イエメンでも一二日、連帯行動として米駆逐艦攻撃が行われたように、各地のアラブ青年たちをかきたてた。
レバノンでは、南部解放の主力であり、アラファト路線に反対して「自らの力で解放を勝ち取るべきだ」と主張していたヒズボラ=神の党が行動を開始した。
投石していたパレスチナ青年二名をイスラエル兵がレバノン領内から射殺したため、七日、神の党はイスラエル撤退以降初めて夜間待ち伏せ攻撃に出て、イスラエル兵士三人を捕虜にした。「これほどのときに、捕虜を捕られるイスラエルの間抜けぶりがとってもうれしい」、「いや、あっぱれ神の党だ」と、パレスチナ難民キャンプの人々は手を打って喜んでいる。
神の党の指導者=ナスラッラーは、「この作戦はヒューマニズムに基づくものだ。イスラエルにいわれなく捕らえられているレバノン人一九人の釈放、解放の殉教者たちの遺体の返還、被占領地に捕らえられているパレスチナ政治犯の釈放を助けるための戦いだからだ。この戦いは虐殺された少年モハメッド・アルデュラに捧げられる」と語った。
そして、緊急首脳会議前日の一五日、また神の党が新たにイスラエル空軍将校を拘束し、「この作戦の成功を抵抗運動を闘うパレスチナ人民と殉教者たちの戦いへ捧げる」と発表した。首脳会議の会場でバラク首相は「予備役の元大佐でビジネスマンであり、スイスで民間会社の仕事をしていた民間人を拉致した。国際法違反だ」と非難し、首脳会議出席中のアナン国連事務総長に釈放のための協力を要請した。アナン事務総長も拉致を非難し、イスラエルでは首脳会議以上に大騒ぎだ。「民間人がスイスから拉致され、イランの飛行機でベイルートに送致された」と語られた。
神の党のナスラッラーは「とんでもない。以前から、彼は神の党に潜入する目的で我々の仲介者に接触していた。抵抗運動を損なわない情報を与えて信用させてきた。彼は自分の足でベルギーから偽旅券でベイルートに入国したのだ。我々はレバノンで彼を拘束した。国際法にも違反していない。この人物は、一九八二年のベイルート侵略のときも参加し、現在、我々神の党の破壊工作を担当しているイスラエル諜報機関員だ。私は不思議に思う。二〇年以上、たくさんのアラブ人が囚われながら、そのときには騒ぎもしなかったのに、今一人のイスラエル将校のために即座に国際社会が騒ぎ立てるのはいかがなものか。いわれなくイスラエルに囚われている一九人のレバノン人、被占領地に捕らえられている政治犯、殉教者の遺体の返還を求めて、我々は五年でも一〇年でも粘り強く交渉する。捕虜となっているイスラエル兵士の家族たちよ、あなたたちの政府は一切あなたたちの息子たちに関して動き出していない。非人間的だ。我々は交渉の用意があるし、いつまでも待つ」と語った。
また、ドルーズのジョンブラット、進歩社会党(
PSP)もイスラエル内のドルーズコミニティーに対して「被占領地のパレスチナ人民のインティファーダを支持・支援し、パレスチナ人を弾圧する兵役を拒否するよう」声明を発表した。
3 シャルムエルシェイク緊急首脳会談
クリントン政権にとって、中東での和平の成果が戦争にとって代わることは、大統領選の行方を左右しかねないばかりか、石油の急騰からアメリカ経済の失速を招きかねない。すでにニューヨークの株価が急落し始めた。クリントンは、国連、
EUと共に、アラファト議長とバラク首相に緊急首脳会議の開催を説得し続けた。
アメリカは明確にイスラエルの保護者として立場を露にしている。イスラエルは、(1)パレスチナ側の「暴力」の停止、(2)イスラム主義ハマスの活動家逮捕、(3)ファタハ民兵組織の解体、(4)イスラエル兵リンチ責任者の処罰、などをアメリカ主導の調査委員会設置をもって行うことを要求している。一方、パレスチナ側は、(1)国連決議の履行、(2)国連による調査委員会の設置、(3)イスラエルの過剰攻撃の中止と軍の撤退、(4)閉鎖された自治区の解除、を求めているが、会議の開催は人民の憤怒を、希望に代える展望が見えない。
「アメリカとイスラエルのねらいは、首脳会議を宣伝戦の場として、インティファーダを圧殺すること。行くべきではない」という声が高まり、各地で首脳会議反対のデモが始まった。ガザ自治区でのアラファトの支持デモのスローガンは「妥協するな」。反アラファト勢力はインティファーダの継続を求めてデモを繰り広げ、シリアも「サミットはパレスチナの抵抗運動を無力化し、パレスチナの権益を損なうもの」と批判した。エジプトでも一万人のデモ、テヘランや、バグダッドなど、中東各国の首都で、数千人の人々が、エジプトで行われている中東首脳会談に対する抗議活動を行った。
闘いの継続だけが公正なパレスチナ人の権利を作る
レバノンやヨルダン、シリアなど各地のパレスチナ難民は、「イスラエルの占領に抵抗するパレスチナ人の行動を停止させようとする、いかなる試みにも反対する」と宣言した。また、チュニスでも、三〇〇〇人以上がデモ行進を行った。
レバノンでも、緊急首脳会議に反対して、「パレスチナ人民に連帯するアラブ民族主義者とイスラム民族主義者の合同会議」が、虐殺された一二才の少年モハマッド・アルデュラの名において開催された。全アラブ地域から二〇〇人が参加し、被占領地からイスラミックジハード、ハマス、レバノンからはナセル主義者や神の党、首相のサリーム・ホスも参加して開かれた。「緊急首脳会議の目的は、新たな人民の戦い=インティファーダを押しとどめるためのものだ。我々はパレスチナ自治政府がパレスチナ人民の要求に従って占領に抵抗する道を選択するよう求める」とし、一〇月二一日のアラブサミットに向けて、政治的宗教的違いを乗り越えて、対イスラエル抵抗運動に協同、支援することを求めると決定した。
「闘いの継続だけが公正なパレスチナ人の権利を作る」と、レバノンのパレスチナ難民キャンプでも戦いを熱烈に求めている。
4 インティファーダ=人民は、新たな戦略を求めている
一方に人民の権利を求める死を賭した戦いがあり、他方資本を呼び込む経済の再生が問われ、レバノンもパレスチナも厳しい条件にさらされている。正義と公正のない経済援助は支配を強めるだけだと、人民の意思はますます急進化している。
今日、首脳会議がアメリカの体裁を整えるための「合意」を披露し、停戦の実行と二週間以内の和平交渉の条件づくりを合意として閉会した。インティファーダは、引き続きクリントンや首脳会議参加者の思惑を超えて続くだろう。
エジプト・シャルムエルシェイクでの停戦声明について、批判声明があちこちから出されている。パレスチナ解放人民戦線(
PFLP)は、「首脳会議は、インティファーダやアラブ民衆の抗議行動、カイロで開かれるアラブ首脳会議を無力化しようとするもの」と批判した。パレスチナ民主戦線(
DFLP)も、「侵略者と犠牲者とを同等に扱うものだ。米国の圧力にかかわらず抵抗は続く」と語った。自治政府の大臣も「合意は満足ではない。しかし人民の命を守らなければならない」と語っている。同時にこの会議で非公式に
CIAと自治政府、イスラエルの間で治安合意がなされ、ハマスなどイスラム勢力の共同取締りに合意したと言われており、アラファト派内部からも批判が出ている。
果たしてこれまでのイスラエル優位の和平交渉の枠組みが、地域に安定と恒久的な平和をもたらすのか
九月二八日のシャロン党首の挑発からシャルムエルシェイク首脳会議までに、一〇三人のパレスチナ人の命が奪われ、数千人の負傷者を数えている。すでに多くの人々が、「これまでの枠組みは価値を失った」と明言している。ユダヤ人が望む同じ人権をパレスチナ人に認める公正な枠組みを、イスラエル、アメリカ、日本を含む国際社会が認めない限り、公正で包括的な和平の道は拓かれない。
インティファーダは、イスラエルのみならず、自治政府、国際社会に対しても包括的和平と国際支援のあり方を再考する新たな戦略を採るよう求めている。
今日、レバノンでも新国会が開催された。首相指名と組閣が始まろうとしている。西側が武装解除したい神の党は、レバノンでの信任をはじめアラブ全体の信任を得ながらインティファーダの後ろ盾として戦う決意を表明し、レバノンの新しい政治の侮れない規定要素としての位置を確立している。神の党の支持は武装闘争の継続的勝利によって成されたと言う人が多いが、それにも増してかつて毛沢東が示した「三大規律八項注意」のような、人民に対する態度にあると私は思っている。そうした姿勢なしに、また戦いも継続できない。平和が命がけの戦いである地域がここにある。
神の党の集会に招待された岡本同志がナスラッラーのねぎらいを受けていることも、新聞記事を飾っている。
(おわり)
もくじ
1、建国宣言延期をめぐる攻防
パレスチナ中央評議会
パレスチナ人への同化政策
2、経済再建を焦点としたレバノン総選挙
ハリーリー新政権もグローバル推進政権
キャンプデービット会談が七月下旬決裂して以降、アラファト議長は国連ミレニアムサミットまでの間、国際社会に建国支持を求めて主要援助国、イスラム諸国への外交を展開した。一方、アメリカ、イスラエルも、アラファト議長に一方的建国宣言は失うものはあっても得るものがないことを警告し、建国を押しとどめようと外交戦を展開してミレニアムサミット迎えた。九月一三日のパレスチナ建国宣言が秒読みに入った段階の九月一〇日、パレスチナ中央評議会で建国宣言延期が決定された。一方、レバノンでは八月二七日と九月三日の二回に分けた総選挙が実施され、現政権の批判勢力が圧倒的な強さで議席を獲得した。中東の二一世紀の和平の中身をめぐる攻防としてこれらの動向がある。
1、建国宣言延期をめぐる攻防
パレスチナ中央評議会
パレスチナ自治区ガザで、建国宣言をめぐってパレスチナ中央評議会(PCC)が二日間開催された。九月九日、会議が始まる頃、会議場を包囲してハマス(イスラム主義)、PFLPやDFLPの支持者が「アラファトよ、闘争の道に戻れ」「妥協するな」などと、建国宣言を要求するデモが続いた。レバノンでもパレスチナ建国宣言とパレスチナ難民帰還の権利を主張して国連事務所の前でデモが行われ、サイダ難民キャンプでもエルサレムをパレスチナの首都として一三日建国宣言を引き伸ばさないよう求めるデモが行われた。これらのデモは、PFLP、DFLPの左派勢力によって行われている。
和平交渉に反対しているハマスは「恵んでもらうのではなく、我々の解放運動によってしかパレスチナの権利は回復できない。形式的な建国は意味がない」と、パレスチナ中央評議会への参加を拒否した。PFLPのアブアリ議長は「建国を見送れば、イスラエルの横暴を勇気づけ、パレスチナ内部は深刻な分裂に見舞われるだろう」と警告した。これに対し、主流派ファタハは「現状で独立宣言をしても失うものが多すぎる。次の期日を設定することも新たな問題を抱えることにつながる」と述べ、将来の宣言の期限も明示しない方が好ましいとの見方を示した。
PCCは、最終的に最後の和平のチャンスとして、少なくとも二ヵ月建国宣言を見送ることを決定し、一〇日、会議最終日に声明を発表し、次の点を確認した。
@エルサレムを首都とした独立国家を樹立するパレスチナ人の権利に基づき、国家樹立に向け適切な準備を進める権限を一一月一五日までパレスチナ解放機構(PLO)執行委員会に付与する。
APLO執行委は憲法制定や経済・金融制度、選挙制度、司法制度など、パレスチナにおけるイスラエル占領地に主権を行使する準備を行う。
B一一月一五日までに次回のPCCをガザで開催し、PLO執行委の準備状況を確認する。
C我々はイスラエルとの和平交渉の戦略を継続し、イスラエルの国連決議の履行を求める。暫定的な自治期間が今月一三日に終了しても、イスラエルは軍の追加撤退や政治犯釈放の義務を負っている。
パレスチナ人への同化政策
PCC閉会後も、PFLPとDFLPは、パレスチナ独立国家宣言の遅れはパレスチナ人の権利に否定的な影響を与えるだろうと主張し続けた。DFLPのハワトメ議長は「イスラエルとアメリカはアラファトから更なる譲歩を引き出す為に時間稼ぎをしており、延期はパレスチナ人の権利を実現する為にはならない」と主張し、ハマスは「抵抗運動―エンティファーダによってこの危険な時期を乗り越える」よう主張している。
イスラエル側は「妥協」する考えがないばかりか、バラクの和平交渉に反対するシャロンリクード党をはじめ、イスラエル右派は、好戦的に「和平交渉」をぶちこわす動きを拡大している。
「一方的建国をすれば自治区を武装併合する」と豪語していたイスラエル側は、PCCが建国延期を宣言した今もパレスチナ側に妥協を強い、緊張は拡大し始めている。
アメリカの関心は自国の大統領選での民主党勝利にあり、ユダヤロビーからの支持を求めて副大統領候補に初めてのユダヤ人を指名したばかりか、イスラエルのバラク政権の崩壊を食い止める為に、パレスチナ側に妥協を強いている。
バラク政権は、六七年戦争で占領した土地を返す気はない。特に、併合した東エルサレム占領は土地だけではない。かつて日本がアジア侵略、併合を行った如く、そこに住むパレスチナ人の同化政策として進められている。
東エルサレムには、二〇万人のパレスチナ人がおり、そのうちの三三〇〇人が既にイスラエル国籍を取得している。ユダヤ人の東エルサレム市長は、「望む全てのパレスチナ人にイスラエル国籍を与える」よう政府に要請している。「国籍を取得することで海外旅行の自由と、社会保障が貰える」と、土地の併合だけではなく、イスラエル国籍のパレスチナ人を大量生産することによって、パレスチナ人の権利の抹消として政策化している。パレスチナ自治区政府のフェイサルフセイニは、「イスラエル国籍を取る者は裏切り者だ」と警告している。実際ヨルダン川西岸地区より平均収入の多い東エルサレムのパレスチナ人は、パレスチナ民族としての権利を守る為に住宅差別や迫害に曝されるか、金銭と快適な生活を取るか、日々揺さぶられながら尊厳を貫いている。リクード党などバラク反対派は、エルサレム問題を議題としていることにも反発し、東エルサレムをはじめとしてパレスチナ側への一切の譲歩を拒否したままだ。
帰還の権利認めぬイスラエル
また、故郷から追われ難民として半世紀近くを暮らしているパレスチナ人の帰還の権利という、エルサレム問題に勝るとも劣らない重要な点も合意に至っていない。国連登録統計では三五〇万人、それ以外に一〇〇万人はいると数えられているこれらの人々に対して、イスラエルは帰還の権利を決して認めようとしない。レバノンでも「三〇万パレスチナ人の帰還の権利をなくしてレバノン国籍を与える代わりに、レバノンの国の膨大な借金と帳消しにしようとする西側政府の企みがある」と、警戒論が始まっている。
「イスラエルとアメリカの態度から、今の和平交渉ではパレスチナ人に有利な決着はない。今のまま和平が『妥結』するということは、エルサレム問題では土地の主権を曖昧にしながら、『国際管理』という形で決着をつけ、難民問題は経済の取り引きにされるのではないか?」―だから、レバノンのパレスチナ人たちは、「帰還の権利」を強く今、主張し続けている。パレスチナ支配層がグローバル資本と共同して新国家建設を謳歌し、国作りに問われる資本の為にグローバル経済に従属を強いられる中東和平の今後を危ぶんでいる。
2、経済再建を焦点としたレバノン総選挙
8月27日と9月3日の二回に分けて、レバノンの総選挙が行われた。結果は、ベイルートでは、現内閣を担うホス首相派が破れ、ハリーリ前首相派の圧勝になり、南部レバノンでは、南部解放の原動力だった神の党が圧勝し、南部ベイルートの山岳地帯では、シリアに批判的なドルーズ族のジョンブラッド派が圧勝した。シーア派アマルで国会議長のナビハ・ベリはハリーリ、神の党と連合を組み、全員を当選させた。宗派別の議席割当てが決まっているレバノンの総選挙だが、今回の選挙はその内実が変化していることを示している。
変化の特徴は、第一に南部が解放された事によって対イスラエルの政治から、国の経済再生として選挙があった事、第二に、その事が10年以上にわたった内戦時の敵対グループ同士が現政権批判勢力として連合した事、第三にシリアとの関係の変化の兆しとして今回の選挙があった事である。
国連軍が南部の解放された地域へ展開を開始する前日7月27日、「解放地域の再建、レバノン全土の再建のための援助金拠出国会議」が開催された。これには38カ国、16の国際機関・研究所の参加。緊急援助の2億6千万ドル、五カ年の13億4千万ドルの援助を決める会議であった。欧米日の主導のもとで、レバノンへの投資を活発化させようとするものである。つまり、中東版マーシャルプランの一環としてのレバノンの経済再建構想を進めようとしているのである。
今回の選挙で国民が、ホス現首相ではなくハリーリを選んだということは、現在の経済停滞に何の手も打てなかったホス政権への批判としてあった。本当はハリーリが政権を運営していた時に220億ドルもの国の借金を作った結果なのだが、ハリーリが、外国資本を呼び込んで経済を活性化させるのではという期待があることを示した。実際に、欧米諸国は露骨にホス内閣に対して、援助と投資を遅らせてきていた。欧米特にアメリカの目論見は、レバノンとシリアとの関係を分断することである。ホス内閣とラホード大統領の政権は、シリアと歩調を合わせて進んできた。レバノンとシリアの関係は連邦的共同関係にあり、この政治的な関係が急速に変化することは当面ないだろう。しかし、アサド大統領の死を経て、ハリーリの主導のもとで、グローバル資本との共同で、「経済再建」を進めることは、シリアの経済状況にも影響を与えざるをえない。アサド死後急速にイスラエルとシリアの和平交渉の進展が見込まれない中で、経済の根幹からシリアを変えていこうと米欧はその企画を進めている。
またアメリカとイスラエルにとって、イスラエルのレバノンからの撤退は、シリア軍のレバノンからの撤退を迫るステップでもある。政治的に、シリアとレバノンの関係の分断を図っていくこともまた、アメリカとイスラエルは継続するだろう。レバノンのメディアの中にも「シリアからの自立」「シリア軍の撤退」を求める論調が見られるようになってきている。すでに、旧大統領のブシール ガマイエルが暗殺されて18年目、集会がもたれ、シリア批判が公然と開始され、禁止されている右翼レバニーズ フォーシズ(LF)も集会を開き、拘留されているサミール ジャジャLF司令官の釈放、シリアと敵対してフランスに亡命した旧レバノン軍司令官のアウンの帰国要求、シリアの軍の撤退を求めて動きを活発化させた。
ハリーリー新政権もグローバル推進政権
10月17日新議員による国会が召集され、首相が大統領指名によって決定される。圧勝したハリーリが首相に任命されると言われている。(現大統領は98年就任時、当時首相だったハリーリからホス首相に交代させた本人でハリーリとライバル関係にあると言われているが「民意を尊重する」と表明している。)
ハリーリ新政権になっても、反シリアの立場をとってあえて政治的な矛盾を作り出す事は無いだろう。しかし、ハリーリであろうと他の誰が新政権を担おうと資本の不足した中で、グローバル推進政権としてEUとアメリカそして日本と緊密な関係を維持する事を強いられる。その事は、グローバル資本にとって有利な条件を形成していくだろうし、シリアとの関係もそれにふさわしいものに徐々に変わっていくだろう。南部解放の挙国一致の時代から、経済再生の新しい国づくりに、人民の意思をどう反映していくか、どの宗派も人民の社会基盤を無視できない分、人民の要求と資本の要求の中で真価が問われる新しい政治の時代が始まる。
ハリーリ政権時の97年、日本政府の金と共同したハリーリ政権の一部の力がJRA5同志逮捕を演出したが、人民、解放勢力のJRA支持の反撃で送還が出来なかった。ホス政権は公式の送還を拒否せざるを得ず、日本政府のシナリオに沿って「追放」拉致送還劇が実行されたが、一方岡本同志に政治亡命を与えた。レバノンでどの政権になっても人民の正義と公正を求める政治攻防が、国の独立と尊厳を維持するだろう。それは、パレスチナ建国にも言えることだ。
グローバル支配に抗して、人民の政治攻勢の時代として21世紀を勝ち抜きたい。 (おわり)
1 キャンプデービット会談の決裂をパレスチナ人民は熱狂的歓迎で迎えた
2 パレスチナの政治状況 PLOの人民イニシアティブの復権を
3 「人民解放路線を被占領地における社会政治闘争として狙い、民主主義の
拡大をもって民主パレスチナを築く」とPFLPは語る
4 パレスチナ建国宣言
1 キャンプデービット会談の決裂をパレスチナ人民は熱狂的歓迎で迎えた
クリントン大統領が一度はキャンプデービット会談の決裂を宣言しながらも、
G7サミットを挟んで会談は続行されたが結局合意には至らなかった。
オキナワサミット地域問題声明で「中東和平プロセス」に触れたが、合意の中身は問わない「合意」の形のみを期待したサミット政治宣言の採択に終わった。
「国連決議二四二、三三八、そしてマドリッド合意、オスロ合意に基づいた包括的和平合意達成の真の可能性がある。関係諸国が、この目的に向けて和平過程を前進させるべく努力を重ねていることに対して、我々は強い支持を再確認する。(中略)クリントン大統領の計らいで、最終的地位等の全問題について合意に到達せんと努力を傾注したことを賞賛する。交渉を継続せんとする勇敢な決定を歓迎し、そうした努力への支持を確認する。また、和平合意の実現を支援すること、和平合意が合意された暁には中東和平諸関係国による合意実現努力に国際社会が参加するよう呼びかける。他国間交渉の発展は二国間交渉に関連しており、二国間交渉を補完するものであるので、他国間援助国会議の活動の再開意義をここに強調する。中東和平過程に過激派やテロリストが如何なる暴力的な介入を試みることをも弾劾し、そうした暴力を支援する事を止めるように呼びかける」。
しかし、交渉は決裂した。合意に失敗してパレスチナに戻ったアラファト議長は英雄として迎えられ、バラク首相は政権の危機を迎えて悪戦苦闘中だ。
パレスチナ人民は、レバノン人民イニシアチブによって闘い取られた南部解放を熱烈に歓迎した。イスラエルやアメリカに「お願い」するのではなく、自らの運命を自ら決定する闘いが隣りのレバノンで実現したことに勢いづいている。「エンティファーダで人民イニシアチブを築こう!」と、バラク首相と会談中の議長に呼びかけ続けていた。「パレスチナの主権、パレスチナの公正な権利が認められないのに妥協するな!」、アラファト議長を英雄として迎えたパレスチナ人民のメッセージは、妥協を許さないというメッセージでもある。
2 パレスチナの政治状況PLOの人民イニシアティブの復権を
パレスチナ自治政府の位置は、パレスチナ自治区を統治する機能としてあり、ヨルダン川西岸とガザ地区の四二%を現在統治している。被占領地の外から活動していた八〇年代のPLO
とパレスチナ自治政府がどういう関係にあるのか、簡単に見てみたい。
全パレスチナ民族の最高意思決定機関は、国会に当たるパレスチナ国民会議(
PNC-PALESTINE NATIONAL CONGRESS)である。自治政府は
決定に基づいて被占領地の領域に関するオーソリティという位置にある。
PNCは被占領地を含む全ての地域の全パレスチナ人を代表する七〇〇人の代議員によって構成されている。そこから選ばれて、「民族中央評議会」(
NATIONAL CENTRAL COUNCIL)が一二九人で構成される。政治政策を作る中央決定機能を持っている。
執行委員会( PLO EXECUTIVE COMITTEE )は一八人で構成され民族中央評議会の決定を執行する。被占領地の議員による被占領地の自治区内の立法議会があるが、
決定に沿った被占領地内の最高意思決定機関としてある。被占領地当局は、そこから選出された自治政府の役割を担っている。
PFLPによると、
「 PLOが執行機能を発揮できなくなったのは、PLO議長であったアラファトとファタの秘密交渉によるオスロ合意に端を発している。PLO執行委員会としてはオスロ合意に反対したが、アラファト議長独断で進んだ。それに反対したファタ系以外の勢力がオスロ合意撤回を求めて
PLOが分裂し、機能停止状態になっていた。アラファト議長がオスロ合意のあと、被占領地の立法議会を作り、その中に国外の人間も招請してファタ多数派で固めていた。
PNCの役割をそこに代行させようとした。しかし「立法議会はパレスチナ人民の決定をする最高意思機関ではない」ともめた。
左派は、PNC とPLO の強化を主張してきた。現在でも『オスロ合意反対』という立場はあっても、自治政府の実体化を受け、『パレスチナ民族総体に責任を負っている
PLO機能を復権させ、パレスチナ民族の合意をもって建国を実現しよう』と、アラファトのファタと
PFLP・DFLP などが PLOの機能回復に努力してきた」と、その経過を説明している。
アラファト議長も、ハマスなど原理主義勢力が和平反対の人民意思を表現しており、それらの勢力を無視できない。こうした状況で挙国一致を目指して、
PLOの役割が客観的にも求められた。この間、和平交渉に向けて民族中央評議会を開き、基本原則を決定してきた。レバノン人民の解放の闘いも影響し、アラファト議長が易々と妥協できない枠が作られてきた。
PLOの中央評議会として決定した基本はパレスチナの公正な権利を求めて、「妥協しない」ということ。その中身は、
@エルサレム問題。パレスチナの首都として妥協しない。
A帰還の権利。今、被占領地のパレスチナ人のみに旅券や身分証が発行されているに過ぎない。全ての追放されたパレスチナ人が、将来作られるパレスチナ自治地域内へ帰還できる権利を得られることを要求する。(今回決裂した交渉では、イスラエルが数万人に帰還の権利を与えると申し出て、その他の四〇〇万人には、移民として西側に少し引受けさせ、その他は難民として居住してきたアラブ国家で国籍を与える他、金銭的賠償などが話し合われたと言われている。)
B全ての西岸とガザ地域をパレスチナ政府の統治下におく。
C全てのユダヤ人入植地域の撤収要求(交渉では、既に入植した二〇万ユダヤ人の飛び地の統治はパレスチナ当局の統治から除外されるというイスラエル側主張)。
D水源、経済などイスラエルに依存しないパレスチナの自立を実現する。
以上が、ファタを含むPLOの基本合意のメインポイントである。
PLO合意枠に基づいて、アラファト議長率いるキャンプデービット交渉が行われた。この確認に沿えば、クリントンの示す案はあまりにイスラエル寄りで、その立場を全面的に代弁しているに過ぎなかった。アラファト議長が合意なしに帰ってきたことで彼は英雄扱いされ、みな歓迎した。それは人民の「妥協は許さない」というメッセージとして歓迎の意味があった。パレスチナ代表団は
PLOに直接アクセスしており、上記五つのポイントを維持する限り、国連決議の方向に沿った解決に向かうことになり、アメリカの誘導する方向に沿わないだろう。
「現在のパレスチナ自治政府は、西岸とガザの四二%を統治しているが、我々は西岸とガザの全域の統治を要求している。それでもそれは全パレスチナの二二%に過ぎず、国外にいる四〇〇万人のパレスチナ人の問題は解決されない。解決は唯一、全パレスチナに民主的政府を樹立すること。それは長期戦であり、イスラエルは多くの領土的野心で交渉しているので、『和平交渉』が終わったとしても闘争は長期に渡る。パレスチナはパレスチナ人自身の決断で運命を決めたいのだ」と、
PFLPの同志たちは語っている。
3 「人民解放路線を被占領地における社会政治闘争として狙い、民主主義の
拡大をもって民主パレスチナを築く」とPFLPは語る
PFLPは二〇〇〇年四月、第六回党大会を開催した。採択された新綱領では「民族解放闘争を社会問題の関連で発展させる」ことがメインテーマであり、政治理論、社会分析、組織改革など抜本的な討議を行った。その結果
は、重点を被占領地内に移した活動を行う。(現在の被占領地の組織状況としては、最大がアラファト議長のファタ、次がイスラム主義のハマス、その次が
PFLP。)
武装闘争に関しては、その権利を放棄しない。しかし、状況と条件が他のやり方を重視することを要求していると判断している。
「我々は、パレスチナの民主国家樹立を求めて闘う。実現に向けた戦略として、第一に、オスロ合意の破棄を求め、第二に法治――憲法に基づく社会形成を求める。第三に、その人民イニシアチブを通して民主主義を実現する。
PFLPは、パレスチナの民主主義に関して役割を果たし、人民と共に自治政府当局に反対していく。我々が求める民主主義とは、第一に、全てのパレスチナ人による選挙を要求していること(被占領地だけではなく、四〇〇万難民地位の人々を含む選挙)。また、地方選挙を主張し、民主的自由、社会、政治的自由を要求して、三権の分立した統治体制を主張している。第二に、政治的逮捕に反対する。アラファト路線反対勢力への逮捕弾圧に反対する。第三に、住民福祉の充実―教育、住宅、健康、雇用、生活など解放闘争の地平を社会運動へと広げ、推し進める。それ故、二つの闘争対象と闘っている。一つは占領当局のイスラエルで、主要な敵。もう一つはパレスチナ人民の立場に立って、パレスチナ自治政府当局に対して政策反対闘争として闘っていく」
という立場にある。特に占領政策が続いていることと、パレスチナ自治政府がブルジョアジーの手中にあると階級分析し、民主パレスチナの戦略的展望の下に闘っていくという立場にある。
同時に、民族的合意として PLOの原則、パレスチナ国民憲章の原則を守り、原則に基づく和平交渉を強化する為に、
PLOを今後も強化していく。アラファトの自治政府への入閣要請を断り、人民解放闘争の地平を民主主義を貫く社会政治闘争として新しい闘いを目指そうとしている。当面、
PFLPは、パレスチナ左翼連合形成に向けて民主主義を人民イニシアチブとして作る闘いを担おうとしている。
4 パレスチナ建国宣言
レバノン南部解放勝利後、連日の祝賀集会が被占領地で行われ、人民は人民闘争による勝利の確信を強くした。アラファト反対派の声を拡大させ、抵抗運動によってイスラエル占領を終わらせるべきだという声が強まった。その分、アラファトはキャンプデービットでも妥協の余地がなかった。パレスチナ人民のムードはレジスタンスを支持している。パレスチナの権利を何も売り渡さないことが当局には問われる。その意味で、南部人民解放の勝利は、大きな影響を与えた。
交渉決裂後、アラファト議長はアラブ国家、イラン、西欧、南ア、ロシア、中国、日本に至る友好国、支援国を精力的にまわり、交渉期限の九月一三日の建国宣言の準備を開始している。イスラエルは「建国宣言するなら自治政府も認めず併合する」と恫喝している。クリントン大統領は、「もし、イスラエルとの合意なしに九月一三日、一方的建国宣言をしたら、君たちは得るべきものも失うだろう。アメリカ政府はこれまで控えてきたアメリカ大使館のテルアビブからエルサレムへの移転を行う。約束した援助も撤回をするしアメリカの同盟国にもその立場を求める」と、パレスチナ側を脅迫してきている。クリントン大統領は自己のメンツとしても、民主党の選挙戦勝利のためにもユダヤ寄りを一層露骨にするだろう。ブッシュ候補の優勢が伝えられる中で、ゴア候補は副大統領候補にユダヤ教徒の上院議員リーバーマンを指名するという賭けにでた。
ミレニアム国連と銘うった国連総会が九月六日から始まるが、それを焦点として攻防は複雑に進行するだろう。国連の仲介を「大儀」として受け、建国宣言をいったん取り下げ、戦争を回避したいと願うアラブパレスチナ側支配層の戦術も討議されている。イスラエルの力の制圧で併合されれば人民イニシアチブが拡大し、無政府性も含めて自治政府の現在の政策をゆるがせるだろう。シリアも総体的和平を求める立場から早期の建国を支持していない。
建国宣言を抑し止めようとするイスラエル、アメリカの圧力と、アラブ支配層の思惑、逆にパレスチナ人民の建国の熱烈な意思を背負って、
PLO中央評議会は九月八日か九日、ガザで決断を下すと言われている。
こうした流れの中で、レバノンでは、八月二七日と九月三日に国会議員選挙が行われる。米欧日の意向に沿ってレバノン再建を導こうとするハリーリ派と、イスラエルに対峙しつつレバノンを改革しようとする神の党をはじめとする潮流との対立を焦点に、選挙戦が闘われている。
こうした緊迫した状況の中で、岡本支援委員会を中心に岡本支援の人々は、夏休み返上で、支援活動をオープンに繰り広げ、岡本同志も支援の人々と共にこれまでの救援支援に対する感謝の挨拶のために組織、友人を訪ねていると、新聞でも伝えられた。
もくじ
■次々と潰走するSLA軍
■解放と涙の再会
■中東の新しい時代の到来
■これからの中東和平
イスラエルの一方的撤退宣言に対して、「敵の敗走を早めよう!」と、各地で人民が立ち上がった。イスラエルに南部が占領されて以来二二年、数え切れない爆撃と逮捕に、難民としてベイルートやあちこちに避難していた数万の住民が、最後の解放戦を繰り広げる武装勢力の後を追って南へ、南へとマーチを続けた。味方は正義を実現する自信に溢れ、イスラエル兵と共同してきた
SLA(南部レバノン軍)は、動揺と混乱が拡大した。いち早くパリに脱出し、「最後まで徹底抗戦」を主張するアントーンラハド
SLA司令官への反感も募り、 SLA軍は戦意を喪失してしまった。
南部地域は各村ごとに、ドルーズの村もあれば、パレスチナ人もおり、キリスト教徒もいれば、イスラム教徒もいる、フランス、イギリスの植民地支配によって国境が引かれる前から住んでいたそうした人々は、この二二年、生きていくために、多くがラテンアメリカなどに移住した。また占領下の南部からイスラエル北部に日々国境を越えて出稼ぎに行って生計を立てる人もいた。イスラエルの商品も流通していたし、レバノンの農産物もイスラエルで売られていた。こうした状況を社会経済生活として持ちながら、イスラエル占領下で毅然と闘う人もいれば、密かに闘う人もいたし、服従をしながら時を待っている人も、またイスラエルを同盟者と見なす人もいたし、生活のためにイスラエルに迎合する人もいた。
■次々と潰走するSLA軍
「SLAのモラルは地に落ちている。祖国に投降するか、イスラエルに逃れるか、どちらかしかない。
SLA軍はもはや存続し得ない運命にある」。神の党のナスラッラーが宣言し、イスラエル軍が撤退計画の準備を終わらないうちにシーア派の神の党とアマルの両勢力が共同で武装解放を拡大し戦線がさらに拡大した。
SLAはキリスト教徒の軍と言われていたが、シーア派イスラム教徒も
の三〇%以上を構成していた。こうしたシーア派系の
SLA軍に対し「宗教的良心に立ち戻り、先祖と家族の過去と将来のために抵抗をやめるように」という呼びかけは功を奏し、最初の解放勢力の攻撃に見舞われ、雪崩をうって投降しはじめた。シーア派のこれらの人々はイスラエルに逃れる気はないからだ。
拡大した戦場に南部住民が戻ってきて「あの村も解放された」「次はこの村」と解放の行動計画をあちこちで村人同士で伝え合う。
SLAは、村人のマーチに圧されて武器を捨てて逃走するか、投降する。人民の力が武装勢力の線を面でカバーしながら次々と村を取り戻していく。一〇年も、二〇年も会えなかった両親、兄弟達が再会し涙を流し踊り、そして次の村の解放を目指してどんどん村人の数が膨れ上がっていく。
イスラエル国境で厳重な検査のために、手に持てるだけの物をもって入国を待つ
SLAとその家族の姿が TVで報道されたために、投降者がさらに増えた。レバノンのキリスト教司教も、「祖国を捨てないで罪を償ってレバノン人として生きるよう」呼びかけた。
こんなふうに住人から住人へと広がった自分の村に帰る戦いによって、村は犠牲者を最小にして解放された。
レバノンは不思議な国で祖国に住む人数(四〇〇万人)より、移民しているレバノン人(一〇〇〇万人と言われている)の方が多いし、南部解放であちこちから戻って来る人、特にラテンアメリカのレバノン人たちがインフラを含む南部復興に早々と基金を提供し始めている。
■解放と涙の再会
武装勢力は自己犠牲的に数十年戦いながらも大統領と首相にその解放の主役の位置を与え、控えめな役割を果たそうとした。しかし、神の党の指導者ナスラッラーが南部を訪れたときは、村人がひしめきあい礼を述べ踊ったり大騒ぎは続いたが、概して意識的に神の党は政府を支える役割に徹した。
占領されていた自分の村を知らない帰ってきた若者たちは、イスラエルの放置した戦車に乗り切れないほど乗って凱旋し、小銃などの武器を集めお祭り騒ぎだ。「挑発をしないこと」とされていたが、たまらずオレンジを投げつけ、イスラエルと隔てる鉄条網をかいくぐって、一〇bほど離れたイスラエル側鉄条網まで神の党の旗を立てに行って楽しんでいたが、頭に来た目の前のイスラエル兵士がとうとう乱射して十数人が早くも負傷し、神の党が駆けつけて人民を説得していた。
またこれは、一九四七年に追放されて難民として暮らしていたパレスチナ人にとっても朗報で、被占領地の家族とレバノンに追放された家族の再会という幸運を作り出した。最初、被占領地のパレスチナ家族が国境地帯に来て「○○という人に会えないだろうか」とレバノン住民に伝え、気の良いレバノン人が家族を連れてきて再会が実現されたという。それからは、第三国経由の電話で国境の鉄条網のもっとも接近した地域の位置を知らせあいながら時間を指定して五三年ぶりに対面した家族が次々と
に映し出された。鉄条網に傷つきながら手を握りしめあい、頬を寄せ合い再会に涙する家族の感動の姿は、パレスチナ人の背負わされた不当な歴史を凝縮している。公正な正義が実現されるまで人々はこれからも戦いつづける意志に溢れている。解放は自己犠牲の労苦を希望に置き換えたのだから。
■中東の新しい時代の到来
南部解放で沸きたつレバノンに、六月一〇日、アサド大統領の死去が突然、衝撃的に伝えられた。中東が新しい時代に入っていくことを象徴する出来事として、レバノン人民による南部解放とアサド大統領の死去が二〇世紀の最後の年に起こっている。シリア大統領の後継者としてすでにレバノンとの交渉を取りしきってきた息子バッシャールは、シリア国民の支持を受けてスムーズに後継問題を進行させるだろう。
アサド大統領の圧倒的指導力は「中東で毎年クーデターの起こる国」と言われたシリアを安定させ、中東の要の位置を築いてきた。「妥協しない戦略家」として批判勢力も認める中東の指導者として長期政権を築いてきた。イスラエル被占領アラブ全領土の返還を求める一貫したした姿勢を貫き、レバノンに対イスラエル政策における統一した原則を求めて来た。八九年の東欧崩壊以降、湾岸戦争を経て、現在に至るまでその姿勢を貫きながら包括的和平を求めつづけた。
■これからの中東和平
これからの中東和平を巡る動きはどうなっていくのだろうか
第一に、今後の中東和平の問題。アラブ側もイスラエル労働党政権も和平を戦略として選択した以上、和平を達成するまで紆余曲折を経て進むだろう。今後アラブ側がどう包括的な統一交渉体制を整えられるかが問われてくる。当面、パレスチナ交渉を要としつつ、シリア交渉はゴラン全土返還を求めるシリアバース党の政策は変わらないだろう。
パレスチナ交渉では本質的な部分(国境、難民の帰還の権利、首都問題)になっていく分、対イスラエル交渉に向けてアラファト派は
PLOを復権させつつ挙国一致体制でハマスなどイスラム勢力と対決、妥協しつつ、建国を形として進めるも、イスラエルが譲歩する姿勢を示さないため、実態的な交渉は積み残しながら進まざるを得ないだろう。
また、シリアとレバノンの対イスラエル交渉は、イスラエル側が「すでにレバノン全土から撤退した」と主張しており(レバノンは、ゴラン高原斜面の農地をレバノン領土として返還未了を主張)、今後、「シリアとレバノンの交渉の性格が変わる」と、分断を画ってくるだろう。
しかし、難民帰還の問題に示されるように、パレスチナ交渉の枠で語れない問題が、レバノン、シリア、ヨルダンにあり、アラブ側がアサド大統領死後の和平においてどう包括的な連帯を作り出し、対イスラエル交渉を進められるかが、アラブ人民の望む公正な和平の不可欠な要素となってくるだろう。
第二に、シリアとレバノンの対等な関係の再規定の問題。シリアの強い影響の下でレバノンの政治が営まれてきたが、西側はイスラエルの撤退とシリアの同時撤退を主張してきたし、今後もレバノンへの資本投下を通して分断を画ってくるだろう。
レバノンにおいては左派勢力が解放を導いたことで、レバノン政府も統一した対イスラエル政策を強化している。政府と神の党を中心にして、@イスラエルに拘留されているアラブ政治囚の釈放、A六七年に占領されたレバノン領土返還まで武装闘争の継続、Bパレスチナ難民の帰還の権利実現、C二二年に及ぶ占領と爆撃の損害賠償をイスラエルに対して掲げて、国連の調査団によるイスラエルの撤退照合作業を見守っている。しかし、今後、新しいレバノン、シリア関係が求められるだろう。イスラエルの撤退発表以来、右派はレバノンからのシリア軍の撤退を求める論調と行動を開始している。
「現政権は比較的進歩的な政治的立場を貫いてきた。こうしたときにこそ、主導的にレバノンとシリアの対等な関係性を再規定し、シリア駐留軍の撤退を含む問題の再設定をすべきだ」、と左派は非公式に主張している。左派自身が解放の勝利を国の再建に根付かせ、シリア軍撤退を射程に入れて人民政策を実行していけば、財政基盤を武器とする右派勢力に対して公正な国づくりと、友好的なシリア関係を作っていけるだろう。事実、神の党が武装解放で果たした人民防衛の徹底した規律性と、政党活動としての丁寧な社会福祉政策は、急速に神の党の支持を拡大させたし、西側のテロリスト攻撃を粉砕してしまった。これからだ! 人々は華やいでいる。
そんな中、岡本同志もみんなの勧めで南部見学を予定し、五月三〇日は、共に戦ったバーシム奥平とサラーハ安田の墓に献花し、徐々に亡命生活を実感している。
もくじ
★イスラエルの一方的撤退は和平の破壊
★新たな緊張の高まり
★パレスチナ難民帰還問題
★「和平への悲観主義」をふりまくイスラエル
★
★イスラエルの一方的撤退は和平の破壊
三月下旬のアサド―クリントン首脳会議で、クリントンがイスラエルの主張を代弁する結果となってシリア―イスラエルの和平交渉再開に向けた道筋が遠のいたと言われている。四月一一日訪米したバラク・イスラエル首相はクリントンと会談し、「シリアとの交渉の可能性は遠のいた」として、レバノン南部撤退問題や、パレスチナ最終地位交渉の見通しなどについて討議した。バラク首相は「七月までにレバノン南部からイスラエル軍を撤退させる」構想を示し、クリントンはそれを支持し、「我々は可能な援助を行う」と述べ、イスラエルの安全確保を財政的軍事的政治的に支援することを約束した。
四月一七日、イスラエルは国連に正式に七月七日までに、七八年以来の占領地域からの撤退を通告した。
レバノン・ホス首相は、「イスラエルの南部撤退は、レバノンの解放闘争の勝利によってもたらされたものだ。しかし、イスラエルは、道理に合わない和平への悲観主義≠作り出し一方的撤退を宣伝し、我々の勝利と、イスラエルの敗北を、あたかもイスラエルの勝利のような巧妙な移行を謀っている。国連がイスラエルの罠にはまらないよう警告する」と語っている。イスラエルの「一方的撤退」は、和平交渉の前提となるアラブ領土の返還を認めなかったイスラエル側の、地域の平和達成の放棄と自国の利害の実現の動きだと人々は警戒を強めている。
レバノン南部占領地域からの撤退宣言は、イスラエルのシリアとの和平交渉の凍結に向かうと同時に、再びゴラン高原への二〇〇軒の入植家屋建設の許可として動き始めている(一九八一年に併合を国会決議したゴラン占領地には一万七〇〇〇人のシリア人住民がいるが、ほぼ同数のユダヤ人が占領後入植している)。
同時に、イスラエルは撤退に向けて、レバノン国境地帯の防壁と電子技術による軍事的防御工事を進めており、イスラエル・カイライ軍としてイスラエルと共同した南部レバノン軍のキリスト教徒軍家族にはイスラエルへの移住を勧めており、同時にアメリカの支持の下で国連軍の駐留条件の段取りを準備し始めている。
皮肉なことに、イスラエルとの共同によって成立していた南部レバノン軍(
)アントーンラハド司令官は、「我々は難民としてイスラエルで生きることを拒否する。あくまでもここに住み闘う」と表明している。イスラエルと共同したために国家反逆罪に問われている
約二五〇〇名は、恩赦を求めるか、イスラエルの国境の防御主力軍として生き残るか、戦闘を独自に続けるか厳しい選択を迫られ、戦意は落ち、西側へ移住を始める者もいる(イスラエル内のキリスト教徒は
の移住計画にも反対している)。
★新たな緊張の高まり
他にも問題がある。国連決議四二五による七八年占領地域からの撤退は、レバノンが六七年戦争で占領された地域、ヘルモン山斜面の肥沃なシャバー農地は含まれておらず、包括的和平による領土問題が解決しない限り、南部の解放闘争は継続される、と国会議長ナビーハベリ(シーア派アマルのリーダー)も明言している。
イスラエルの一方的撤退計画は、第一に、レバノン、シリアを含む中東和平の包括的合意をどう再開していくのか
第二に、イスラエルの兵力の撤退後の空白地帯をどう解決するのか
第三に、レバノンに滞在するパレスチナ難民問題をどうするのか
など、大きな問題を浮き彫りにし、緊張を逆に高める結果を作っている。
レバノンはこれまで、包括的和平合意に基づいて、第一に国連決議四二五のイスラエルの無条件撤退、第二に三五万人のパレスチナ難民の帰還の権利、第三に過去のイスラエルの破壊行為の補償を求める立場をとっていた。和平合意なきイスラエルの一方的撤退に伴って、イスラエルと呼応するアメリカは、イスラエルの兵力の撤退後の空白地帯に国連の常駐と解放勢力の軍事存在の規制、武装放棄、南部地域のキリスト教徒に対する安全確保を求めており、レバノンに駐留するシリア軍の同時的撤退を求める動きも出始めている。
★パレスチナ難民帰還問題
レバノン政府は、未解決なパレスチナ難民帰還問題についてのイスラエルの責任を求めつつ、国連軍の常駐化によって、パレスチナ問題が未解決のままレバノンに放置されることを恐れている(イスラエル、アメリカの構想はイスラエル内パレスチナ人口の抑制にあり、パレスチナ難民がその住んでいるアラブの地で国籍取得し、同化することによって難民問題を解決することを描いており、アラブ諸国は反対している)。
こうした問題が解決されない以上、レバノン政府もレバノン国境地帯からのパレスチナ解放勢力をも含むレバノン武装勢力の闘いの正当性を否定できない。イスラエルは、「撤退後も攻撃があれば、不退転にレバノンを攻撃する」と宣言しており、イスラエルは撤退によって兵士の被害を減らしながら、逆にフリーハンドを得てレバノンへの攻撃は引き続き強化するだろう。そうなれば、イスラエル軍撤退後の解放勢力の武装存在は、レバノン内の矛盾に転化していく要素でもある。それらは包括的和平交渉の進展抜きには解決できない点である。
イスラエルは、一方的撤退準備と軍事攻撃を同時に進めつつ、シリア軍の撤退の声を高め、、神の党など武装勢力の解体を求め、経済的国家再建の途上にあるレバノン、シリアへのプレッシャーと、シリア・レバノン分断を謀っている。
解放勢力は、引き続き和平と撤退を求めて武装攻撃を続けており、イスラエルの空爆は五月上旬の現在、激しさを増している。攻撃は再び停戦違反の民間施設である発電所を破壊し、新たに、シリアとレバノンを結ぶダマスカス街道沿いのシリア軍駐屯地区の近辺に空爆を加え、戦争を挑発している。
★「和平への悲観主義」をふりまくイスラエル
他方、パレスチナとイスラエルの交渉も暗礁に乗り上げ、交渉をめぐって、クリントンとアラファト会談が持たれた。最終地位交渉は、エルサレムの帰属や難民帰還問題などをめぐって難航しており、目標とする九月半ばまでの最終合意が危うい状況にある。米政府高官は双方の要請を受けて、米国のより強力な仲介を約束している。
しかし、パレスチナ和平交渉を語る一方で、ヨルダン川西岸やガザのパレスチナ地域に入植者家屋が拡大している。ベツレヘム南部においても「アラブ所有者から二二年前に買った土地だ」と入植者が政府の許可なしに三五〇の新たな家の建設を進め、それを阻止するイスラエル左派のピースナウ運動は「新たな入植は戦争行為だ」と入植者と対決している。
ピースナウ運動の調査によると、ヨルダン川西岸地区とガザ地区に一五〇以上の入植地があって約一八万人のユダヤ人入植者が生活しており、最近に七一二〇のユダヤ人の家が建てられたと告発している。そうした一方で、半世紀近くの間、難民待遇でアラブの各地に留まっているパレスチナ人の帰還の権利はパレスチナ問題の最大の問題としてありながら、何も解決されていないまま残されている。
譲歩なき和平を求めるバラク政権の和平と軍事の攻勢ゲームは、かつて労働党ラビン政権が示した全占領地返還の原則にたち戻るまで、シリアとの交渉においても、パレスチナとの交渉においても矛盾を解決できないだろう。「和平への悲観主義」を振りまくことによって、イスラエルの安全とイスラエルの占領地域を維持しようとするバラク政権の思惑に、「和平の扉が少しづつ閉まっていく」と、パレスチナ人もレバノン人も和平への希望を抱きながら懸念を示している。
★
三月一七日の四同志追放拉致送還と、三月二〇日岡本同志政治亡命許可釈放の新たな動きに対し、支援運動は四同志追放抗議の継続と、岡本同志の生活支援体制を継続的に連帯の闘いとして継続している。「四同志の政治亡命を実現できなくて申し訳ない」。一様にどの人々も謝罪の挨拶を送ってくる。お礼を言わなければならないのは、こちらの方ではないか。
三月のまだ寒い雨の中、連日徹夜のハンガーストライキの座り込みで亡命を求めて闘ってくれたレバノンの学生たち、抗議のデモで傷ついた友人たち、テレビの亡命を求める電話アンケートで九七・八%のイエス投票をしてくれた一般の市民のみなさん、みんなありがとう。
日本とアラブに五同志を分断したことが逆に、エネルギーを拡大し、日本とアラブの人民連帯を確実に育てている。アラブの連帯に甘えることなく、問われているのは、私達自身だ、とあらためて役割を捉え返している。
もくじ
アサド─クリントン首脳会議
イスラエル、シリア同時撤退要求
五同志への連帯運動
レバノンアラブ人民連帯として四同志救援・岡本支援を
■アサド─クリントン首脳会議
ローマ法王の中東訪問に続いて、シリア―イスラエルの和平交渉を再度軌道にのせるために、三月二六日、ジュネーブで、アサド─クリントン首脳会議が行われました。しかし、クリントンが新提案を持ってこれず、イスラエルの要求を呑むようにシリアに対して繰り返すに過ぎなかったことで、中東ではアメリカの役割に大いに失望しています。
ゴラン高原占領地の全面返還確認を交渉の前提として求めるシリアの立場に対し、イスラエルの要求そのまま(部分撤退する代わりに、イスラエルの水源の確保と国交正常化と平和条約要求)をクリントンは代弁したに過ぎなかったと言われています。
このことは、湾岸戦争後、ブッシュと争ってユダヤロビーの支持を得て政権の座に就いたクリントン政権成立時の中東政策を思い起こさせます。ここでは、シリア・アサド政権の本質は西側の利益に敵対する存在と位置づけ、反対にイスラエルはアメリカの利益を分かち合う特別な関係として位置づけています。
そして、「アメリカ政府はブッシュのときのように、友人であるイスラエルをあたかもシリアと等距離において仲介してはならない。イスラエルの後に立って、シリアに『和平』の道しかないことを示す」「シリアのアサド政権が和平の正当な当事者になれるか、それとも当事者たり得ないかを見定めていく」と、「頑強」な場合はアサド政権を打倒することも辞さず、という政策シナリオを描いていました。
クリントンが新たな提案を持たずに首脳会議を終わらせたことで、逆にイスラエル側が「和平は遠のいた」と主張してフリーハンドを得る「儀式」のような役割を果たしたわけです。そのため、軍事的圧力と一方的撤退によって戦闘継続の中で緊張が高まる可能性があると言われています。
また三月二三日、レバノンのアンナハール紙は、「レバノンに駐留する三五〇〇〇人のシリア軍の撤退を求める」論評を掲載しました。「七月迄にイスラエルが軍を撤退させる」というバラク首相の三月五日の発表を受け、首脳会議に呼応するような論評でした。レバノンとシリアは、兄弟条約でシリア軍駐留を法的に規定しています。「シリア軍撤退」を唱える論調は、キリスト教右派勢力などフランス亡命地からの動きはありますが、レバノン内部から公然と主張するのは、新しい動きとしてあります。
■イスラエル、シリア同時撤退要求
今後、和平が軌道に乗らない限り、イスラエルの一方的撤退に呼応して西側の求める「イスラエル、シリア同時撤退要求」の動きが活発化し、シリアとレバノンの分断が計られていく可能性があります。分断されれば、西側の保護の下に、資本を持つ亡命中の右派反シリア勢力がレバノンに戻って来るので、シリアとレバノン、シリアとイスラエル、シリアと西側の緊張が高まる可能性があると懸念されています。こうした動きに反対してレバノン政府内には、「イスラエルの撤退した後の空白地帯にシリア軍の駐留を求める」動きも出てきています。
ゴラン高原の全面返還を妥協しない原則でどう和平に道を引き戻せるか、それをどう汎アラブ主義的な結合を作りだして乗り越えていけるか、エジプトやサウジアラビア、イランなどと連動したシリアの手腕が問われています。アサド会談を経て、二八日、クリントンは、ワシントンでムバラクエジプト大統領と会談しました。そして、アサド会談について「前提的な違いがあり、討議再開の望みは小さい。討議再開は利益にならない」と語っています。
ワシントンポスト紙は、クリントンが中東和平とアイルランド問題の解決を自分の任期中に解決することで花道を目指しており、アサド会談でアサドの妥協を得られなかった点で失望していると語っています。
ムバラクは、「アサド大統領の立場は変わらない。変わると考える方が非現実的だ」と表明しつつ、アメリカが手を引かないようにとクリントンを説得し、特にシリアとパレスチナトラックにおける和平交渉は、アメリカが重要な役割を果たすべきだと強調しています。
シリアは「我々は和平を戦略と考えており、和平のドアは開いているし今後も和平を放棄しない。しかし、イスラエルは国際法に基づく交渉に利益を見いだしておらず、過激な方向へ向かっている」と批判しています。現状は、和平が遠のいた状態と言われていますが、イスラエルも「安定」を欲しています。
資本主義市場として中東地域を再構成しようとするアメリカによる国際社会の不公正な中東和平への関与が地域的緊張の外的要因となって、イスラエルの「戦争によるイスラエルの望むサイズの和平の獲得」の野望を促進しています。今、人民の反占領闘争がそうした野望を押し止めているのが現状です。人民の反占領の闘いの継続に裏打ちされて、緊張と南部レバノン戦闘を経つつ、シリアとイスラエルの和平交渉が進展していく可能性もまだ残されています。
■五同志への連帯運動
こうした状況の中で、私たちの五同志たちの動きも急展開しました。三月一日のレバノン政府の「送還拒否」を受け、支援の若者たち、解放勢力は勝利集会を開いてホス政権を讃え、「さあ、もう一息。五同志亡命を実現させよう!」と張り切っていました。そして亡命を求めハンストを三月六日から開始しました。レバノンの冷え込む夜、雨にうたれながら支援者たちがハンガーストライキで「
(日本赤軍)五同志の亡命を 」と訴える姿はレバノンからすべてのアラブ各国の人々に伝えられていました。
ちょうど同じ頃、イスラエルの空爆抗議と反占領闘争を闘うレバノンに連帯して、初めてアラブ外相会議がベイルートで開かれたため、多くの記者たちが来ていて、彼らがその役割を担いました。アラブ外相会議のため、亡命審査会議が延期され、その間ずっとハンストが続きました。
反イスラエル占領の論調で溢れるアラブ外相会議の後、一七日に再度亡命審査会議が開かれるということでした。
突然の変化は、日本に連行されるらしいという日本からのニュースで始まりました。「岡本同志の亡命は認められたが、四同志が追放された!」半信半疑ながら人々は街に出て情報確認と抗議行動を開始し、四人が日本に到着したというニュースを聞いて爆発しました。日本政府、ヨルダン政府、レバノン政府への抗議行動でベイルート中心部は泣きながら抗議する人や、写真を掲げて叫ぶ人や騒然とした状態だったようです。警備隊がデモの人々に衝突し逮捕と負傷者が広がりました。その後も、真相究明を求めたデモと抗議が続いています。
情報省のスポークスマンは、「ヨルダン政府が受け入れ表明し、トランジットではなく、二ヵ月のビザを発給したからヨルダンに追放した。若者たちの抗議の心情はわかる」などと歯切れの悪い記者会見を強いられ、「岡本の亡命は許可された。イスラエルが遺憾表明をしているように、岡本亡命許可の正しさが証明された。レバノンは、一切日本と取り引きしていない」と繰り返しています。三月二二日、日本大使は再び「岡本の政治亡命許可は遺憾。送還を要求する」とホス首相に会見を求め、首相から再度送還拒否を告げられています。四同志から引き離された岡本同志はレバノンの第一号の亡命許可による身分証を発行されました。支援の人々は、日本レバノン人民連帯の砦として岡本同志の支援救援を引き続き続ける宣言をし、日本に返された四同志の救援活動と連帯していくと表明しています。
■レバノンアラブ人民連帯として四同志救援・岡本支援を
五同志への連帯は、歴史的に共に闘ってきた国際主義の相互支援の結果であると誇りを感じます。大したことも出来なかった私たちであっても、アラブ人民と共に歩んできた結果です。それは翻ってまた、私たちが日本の人民の闘いと共に歩んでこれなかった結果として、日本において私たちに対する支援の困難さの現実に結果している点でもあります。教訓と反省を込めて二一世紀の人民の変革に向けた闘いの一翼を私たちもまた担えるよう国内の闘いと呼応して進みます。望まなかったとしても、日本の中に同志が戻った以上、新たな闘いの場として、人々と共に進むチャンスとして前向きに進みます。レバノンで引き続き闘っている
支援の人々が孤立した岡本同志支援を続けています。そして日本の獄中で四同志が新しい闘いを始めています。四同志の救援と共に、アラブの日本人民連帯として継続している岡本同志の支援を、日本の地からもレバノンアラブ人民連帯として共同して欲しいと願っています。
■イスラエルの側に立つアメリカ
■アメリカの軍事援助を求めるイスラエル
■鉄拳政策による「平和」をアラブは受け入れない
■イスラエルの側に立つアメリカ
二月に入って、イスラエル軍はレバノンへの空爆を拡大し、「市民への攻撃を禁止」した去年の停戦監視五者会議確認(アメリカ、フランス、レバノン、シリア、イスラエルによる監視委員会)を無視した「停戦違反」の暴挙を繰り返しました。発電所への空爆は、レバノン全土の半分以上の地域の停電状態を作り出し、市民の負傷者を拡大させました。停戦監視五者会議への出席を拒否したまま、イスラエル閣議では、さらにバラク首相にレバノン攻撃へのフリーハンドを与え攻撃を常態化させています。
この間、レバノン側抵抗運動の反撃で、イスラエル側被害が拡大し、特に
軍副司令官( は国境地帯でイスラエルの配下にあるレバノン人民兵組織)の戦死という事態でイスラエルは攻勢を拡大させたわけです。「神の党のイスラエルへの攻撃をレバノン政府、シリア政府が止めさせるまで我が軍はレバノンの非戦闘地域も含むターゲットに攻撃を行う」と、バラク政権は好戦的発言を繰り返し,レバノンへの戦争を拡大したのです。
「平和」と「人権」を常々主張するオルブライト米国務長官は、「平和の敵は神の党だ」と抵抗運動を非難しつつ、イスラエル側の民間施設攻撃に言及しなかったのでレバノン政府も国民も怒りを露にしています。
イスラエルとアメリカ政府側が「対立と戦争の原因は、神の党によるイスラエル北部への攻撃にある」と繰り返し主張しているのに対し、レバノン政府、アラブ連盟、アラブ諸国は繰り返し反論し、「イスラエルによる長期的なレバノン南部占領が全ての問題の原因であって、神の党の抵抗運動はイスラエル占領の結果である」と国連決議四二五(一九七八年、イスラエル侵略占領に対して無条件のイスラエル撤退を決議)の履行を主張しています。
イスラエルの攻撃が拡大する一方、神の党の被占領抵抗解放闘争は、レバノン政府、人民の支持の下に広がり続けています。日本なら、「神の党の攻撃のためにイスラエルの攻撃が拡大するので神の党の戦闘を止めさせるべきだ」という主張が出てくるかもしれないですが、ここでは逆に、人々の怒りは反イスラエル一点に集中しています。アメリカ政府の立場は後に、「市民攻撃は遺憾」と修正されながらも、神の党に問題の原因を求めるイスラエルの論理に立ち、神の党の戦闘を非難しているために、アメリカ政府に対する激しい抗議が殺到しています。学生たちは抗議デモを呼びかけ、町は騒然としています。
■アメリカの軍事援助を求めるイスラエル
何故イスラエルは、和平の弾みのつきそうなこの時期に戦争拡大を行っているのでしょうか
去年の暮れから始まり、一月に入ってすぐ行われたシリアとイスラエルの和平交渉は、一月中旬の交渉再開を棚上げにしたまま,スタートラインの設定を巡って中断状態に陥っています。
一月三日に米国のウェストヴァージニア州で第二回目の会議をもち、本格的な討議を開始してきました。議題は第一に、ゴラン高原からのイスラエルの撤退と国境線の確定、第二に、早期警戒システムや安全保障措置、第三に、水源地ガリラヤ湖などの水資源管理、第四に相互承認を含む両国関係の正常化が議題となっていました。一月一〇日まで継続しその後相互に本国に持ちかえり討議した後、一月中旬に再開が目されていました。その間、米国政府の調停案をイスラエルの新聞がすっぱぬいたこと、イスラエルがゴラン高原の返還を巡って何等の譲歩案を準備できない国内事情などから、一九日に再開される予定だった第二ラウンドはシリア側の要求で延期されたと言われています。
イスラエル側は、安全保障を理由にガリラヤ湖畔を確保すること、同時に安全保障措置としてゴラン高原の非軍事化、国連などの監視団の展開、早期警戒観察地点の確保を提案し、二〇〇〇年春以降、レバノン南部からの一方的撤退を示唆していました。
中長期的には合意が楽観的といわれ、一月中旬からの第三回の和平交渉再開後にはレバノン政府側も参加するだろうと言われ、ムル内相などの代表団の人選も語られながら、三回会議再開が頓挫しています。その再開を暴力で難しくしているのがイスラエルの今回の空爆です。
イスラエルとシリアの交渉において、まずもって全被占領地の撤退の意思を示すことが交渉の細部に入る前提とするシリア側と、保安、外交関係、レバノンの武装勢力問題をすべて解決しつつ、被占領地の問題を明らかにするというイスラエル側の主張が折り合わずにいます。
加えて、イスラエルは占領地撤退と引換に、多額のアメリカからの軍事援助(衛星システムや入植地に変わる建設のための軍に援助総額一七〇億j以上と言われている)をアメリカに要求しており、アメリカの在イスラエル大使エンディック(クリントン政権の中東政策ブレーンで、クリントンが大統領選に勝利した後、アメリカ国籍を得たユダヤ系オーストラリア人でイスラエルに長期留学していた。アメリカは歴代アラブに気兼ねしてユダヤ系の大使を選任していなかったが、初のユダヤ系アメリカ大使となり、クリントン在任中、二回目の大使就任をはたしている。国際ユダヤ資本の意向を反映していると言われている)までも、「イスラエルのおねだりにつき合っていられない」と発言する始末です。そういいつつも、包括的和平の進展の結果として、イスラエルとアメリカの戦略的防衛条約としてそれらは着々と設計されているのですが(むしろイスラエル側が防衛条約によって武器商売が制約されることを危惧している)。
バラク政権は権力基盤の弱さ故に、ゴラン高原返還問題をうまく国内世論に訴えなければ和平を進展させることができない状態にあります。
イスラエル政府は、かつてレバノン領から誘拐したり逮捕した神の党のメンバーを、ドイツの仲介で、暮れから正月にかけて釈放したりしていました。レバノンをシリアと切り離してレバノン問題として片づけ、ゴラン問題を棚上げにするか、さもなければレバノン問題をシリアとの交渉の付属物として片づけようとシリアに対して、レバノンの抵抗組織の取締まで要求するあり様でした。
バラク首相の小手先戦術に対し、神の党は釈放問題にも直接交渉を拒み、引き続き解放抵抗運動を続け、レバノン政府もシリア政府も、レバノンの抵抗組織に圧力をかけることはありませんでした。また、イスラエル占領政策が不正であることは、
を中心に国際的にも世論が形成されています。バラク政権は夏までのレバノンからの撤退を表明している為に、今回も攻撃を続けながら撤退も示唆しています。バラク政権は出口無しの状態を打開するために、軍事的攻勢に出るしか国内世論を統合できないし、また交渉の有利な糸口をつかむ意図で攻勢に出てきました。
■鉄拳政策による「平和」をアラブは受け入れない
レバノン政府の和平に関する立場は、第一に、イスラエルの占領地からの撤退(一九七八年の国連決議四二五の履行。イスラエルは、
四二五決議を無視して八二年侵略し、八四年からイスラエル領土に組み込んで
地域としレバノンの主権を認めていない)。第二に、レバノンに居るパレスチナ難民の帰還の保障。第三に、占領したレバノン南部リタニ川をイスラエルの水源としている問題の解決。第四に、長期にわたるイスラエルのレバノン領内破壊に対する補償問題としてます。
イスラエルの関心は、神の党などレバノン抵抗組織の解体と国境地帯の非武装地帯化にあります。有利にイスラエル、シリア交渉を再開する揺さぶりとしてバラク政権が計ったレバノン攻撃は、意図に反して、レバノン人民やアラブ人民を反イスラエル闘争に駆り立てています。また、二月一三日までの期限のパレスチナ─イスラエル枠組み交渉も打開できずにいます。
和平交渉は、戦争による軍事的解決の道を拒否したところから始まったのではなかったのでしょうか。イスラエルの態度は、レバノンに対してもパレスチナに対しても鉄拳政策で、「平和」をイスラエルの望むサイズに縮めようとしています。レバノン問題はイスラエルが考える程甘いものではありません。和平交渉再開は、ゴラン高原返還と不可分の難しさがあることをわきまえたイスラエルの態度にかかっています。バラク政権は、空爆に続いて打つ手は和平のテーブルに戻るしかないのですから。
1 シリアとイスラエルの和平交渉の動き
2 水、土地をめぐる戦争を和平の道へ
3 二〇〇〇年の私たちをとりまく状況
人民新聞のみなさん、 二〇〇〇年を迎え、新年を共にする連帯の挨拶を送ります。
二一世紀に向けて中東和平の新しい政治が動き始めています。こちらの人々は、「今世紀は負けたけど、来世紀はこっちが勝つ」などと八〇年代から言っている人々で、負けても深刻にならず、「ナファス タウィール!(持久戦だ!)」と負けたことを忘れたように言う楽観の人々ですから、考え方も長いのですが、二一世紀の流れを決する動きが始まっています。
1 シリアとイスラエルの和平交渉の動き
一二月初め、オルブライト米国務長官が再び中東訪問し、二〇〇〇年に向けた和平タイムスケジュールを、シリアとイスラエルの合意として確認しました。シリアが動きだしたことで、西欧から采配される「和平」ではなく、包括的な中東和平が動き出すかもしれないという実感を感じているようです。アラブ論調は、基本的にラビン労働党首時代に交渉してきた時点に戻っての交渉再開を主張したシリアの意志が通っただろうと推察しています。イスラエルのバラク政権側は、三年九ヶ月ぶりの交渉再開に際し、国内世論もあって基本的な立場は曖昧にしています。
しかし、当時の労働党政権は、イスラエルがゴラン高原の被占領地をアラブの土地であると認める事に合意する代わりに(すでに、一九八一年イスラエル国会で併合決議をしていたし、それに基づく軍事施設、水源確保、入植者拡大などイスラエルの領土としての拡張政策を続けていた)、イスラエルの安全保障として、シリアとの国交の樹立、ゴラン高地の一部の借地交渉、水源確保(砂漠での水源問題は水戦争と言われるほど深刻)、キャンプデービット合意後シナイ半島に駐留したように、アメリカの兵力引き離し軍の投入、などさまざまな仮定の想定に基づく要求交渉が、アメリカを中心にイスラエル擁護の立場から水面下で行われていたと言われていました。
シリア側は、ゴラン高原の併合を撤回し、ゴラン高原の全面返還の意志をまずもって交渉の前提とすべきという立場を取っており、その間、労働党政権が敗北してネタニエフ政権になって、交渉は実際棚上げ状態となっていました。
イスラエルの側も、国際ユダヤ資本の中東の戦略的基地として国の再構成が問われ、軍事戦争国家体制から転換を求められていました。イスラエルはまた、パレスチナ人の人口増加を制限しつつ、ユダヤ人口拡大政策を計ってきましたが、ロシア東欧のユダヤ人移民の大量増加を政策化したために、人口の一割に及ぶ移民流入に対応する経済の成長と再構成が問われていました。イスラエルにとっては戦時体制を維持して国内統合するメリットがなくなってきた訳です。しかも「平和と土地の交換」に関する国内世論は賛成反対が拮抗しており、今回の労働党政権の勝利は、ユダヤ移民の投票行動に規定されているのが現状です。
バラク政権は弱い基盤に立っています。交渉後、ゴラン高原返還に関する国民投票を主張しており、不安定な条件にあります。
2 水、土地をめぐる戦争を和平の道へ
シリアが主張する六七年ラインへのイスラエル軍の撤退は、イスラエルにとって軍事的に北東部戦線の戦略的要衝であるゴラン高原をシリアに引き渡すと同時に、経済的に生命線である水源の一部をシリアに引き渡すことをも意味します。イスラエル唯一の淡水湖のガリリー湖の水は、イスラエルの飲料水と灌がい用水の二五%を供給していますが、ガリリー湖は毎年一〇インチの降水と周囲(特にゴラン高原)の山からの三五インチの流入水を受けています。ここ二年はそれが三分の一しか水量がなく、水の確保はイスラエルにとっても死活問題となっています。ゴラン高原の位置は、戦時戦略拠点としての高地であると同時に、水源問題としてあるわけです。
六七年戦争時の国境線は、ガリリー湖の東岸際までがシリア領土でした。しかし、イスラエルは一九二〇年代、英仏で合意していた国境線、つまりガリリー湖東岸からさらに三〇ヤード東のシリア領に入った川幅に沿った地域が国境だと主張し、六七年戦争のゴラン高原からの撤退は、一九二〇年代の線までしか譲れないとして、ガリリー湖そのものを両国の国境とするのではなく、湖そのものをイスラエル領土の内側に取り込み、ガリリー湖を完全にイスラエルの支配下に置き、水の確保を計ろうとしています。
これは、シリアの主張する六七年戦争以来の全占領地の返還という要求とイスラエルの自国治安確保第一という要求の間で、アメリカが仲介を計っています。問題の国境線の地帯に非武装緩衝地帯を設け、シリアには、イスラエル軍の六七年ラインへの撤退とガリリー湖の水へのアクセスを認め、イスラエルには、水源の保証と、レバノン・シリアに隣接する北部東部国境の安全を確保する保証を計ることで、調整を試みていると言われています。
水問題は軍事的対立の要因であり、和平の要因でもあります。ちなみに、シリアは深刻な水不足に悩んでいますが、ヨルダンのフセイン王が死んだあと、その葬儀に参加したアサドは、シリアよりもさらに深刻な水不足に悩むヨルダンの新国王に対して、水の供給援助を約束し、シリア人民の支持のもとにその約束を実行しています。またトルコとシリアの対立の大きな要因として、ユーフラテス河の水問題があります。イスラエルが南部レバノンの占領を続けてきた要因として、レバノンのリタニ河などの水の横取り問題もあります。また、ここ数年、中東地域の水問題は深刻であり、イスラエルでも農業用水の使用量は四〇%減っていると言われています。
二〇〇〇年の今、二〇世紀を引き裂いて来た植民地支配を終わらせ、水と土地と平和の交換を通して、中東に住む住民にとっての平和が実現する可能性が、これまで以上に高まっています。
アメリカの次期大統領選に向けて、クリントン政権が和平の成果を獲得しようとしていること、第二に、二〇〇〇年七月の南レバノンからのイスラエル軍の撤退を約束しているバラク政権は、シリアとの和平合意抜きにはその実行はリスクにしかならないこと、第三に、二〇〇〇年九月までにパレスチナ自治政府との最終的地位交渉を進めていくためにもシリアとの和平合意は不可欠であること。
そして、最も根底的に、イスラエルのめざす経済支配としての「中東和平」の実現にとって、隣国の中で戦略的に最も障害になっているのはシリアであり、アラブの大義の原則を貫きアラブ諸国の政治展開の鍵を握ってきたシリアとの合意なしには、全般的な安定を確保でき
ないと考えていることです。中東和平の実現によってアラブ世界の市場統合に進むためには、シリアとの和平の実現はイスラエルならびにアメリカにとって最重要なテーマであるという認識を共に持っているでしょう。シリアにとっても、最も有利な条件の下で交渉を進めるという意味では、現在は好機ととらえられているでしょう。
二〇〇〇年は、二一世紀に向けた平和の兆しとして行動できるかどうか、これまでのような一方的なイスラエルの後ろでアラブと対決する姿勢を転換し、国際社会が公正な和平を支援し、関与するあり方として問われるでしょう。
3 二〇〇〇年の私たちをとりまく状況
二〇〇〇年は、こうした和平交渉の変化の中に、レバノン五同志達の動向もあります。レバノンのJRA五同志達に連帯し、政治亡命を求めるレバノンアラブ人民の闘いは、引き続き強化されています。国会議員、解放勢力を中心とした一一月の三〇〇人が参加した集会には、日本から救援関係の代表団も加わって行われました。座り込みや請願時、検事総長が「日本から正式の送還要請がない」と明言したことを受け、その後、日本政府は一二月になって、分厚い書類を持って強制送還を再び要請してきました。歴史的に共にしてきた友人、人民は、ラマダン(断食月)に入った一二月以降も連帯行動を繰り広げています。
三〇年近い歴史を共にしつつ、ささやかな力でしかなかった我々の連帯に応えて、過分な連帯を返してくれています。資本主義社会の日本では手練手管で愛想をつかされている政治というものが、ここでは、愛とか希望とか人間らしい政治が人民連帯として育まれ作られることを実感します。やっぱり日本にも、人々に対する愛や希望を託したり実現できる政治を育てたい。
レバノンアラブ人民、友人たちの連帯を力に、最善を尽くして亡命を求めて闘い続けます。力及ばず帰ってくることになれば、五同志たちは、日本の中から希望の闘いをさらに続けるでしょう。弾圧の巧妙で厳しい日本の闘いを担っている人民新聞のみなさんの健闘を祈り、共に新しい力を育てましょう。
市場至上主義の商品化一辺倒のグローバル支配から、文化と生態系の多様性に基づく共生を求める、人間らしい社会の二一世紀ミレニアムを築く架け橋となる二〇〇〇年として、二〇世紀を締めくくる気持で変革の志を送ります。
一、シャーメル・シェイハ合意
二、中東和平の現段階の特徴
三、イスラエルに対するアメリカの役割
四、パレスチナ勢力の転換の兆し
五、オスロ合意の今後
残暑お見舞い申し上げます。もう九月ですから、残暑ではないのかもしれませんが、こちらはまだ夾竹桃の咲き乱れる夏です。
人民新聞で、記事を書くよう催促されているのを読みました。こちらまで記事を呼びかけてくるのは記事が足りないのかなあ……などと余計なことを考えつつ、七一年以来交流してきた貴紙の連帯に感謝しつつ、挨拶を送ります。
■
今も、我が同志たち五人は、レバノン人民支援の熱い連帯を受けながら送還阻止の闘いを繰り広げています。
「岡本と友人達を支援する会」のレバノンの若者たちは、獄中五同志たちの描いた絵の展覧会をレバノン各地で行いながら、送還阻止を訴えています。この若者たちは、今年二〜三月のイスラエルの空爆攻防のとき、内部のイスラエルと結託したSLA(南部レバノン軍)占領地域でトーチカ攻撃にもひるまず、有刺鉄線を切断して占領された村の解放を行うなど、村人たちと連帯してがんばってきた人々です。このことで、レバノン大統領から表彰されました(イスラエルに対して闘ったら表彰されること自体、日本では考えにくいでしょう)。
歴史的に築いてきた連帯は政府の様相が変わっても人民の中で世代を継いで若者たちへ引き継がれている姿に、闘いは人々をつなぐこと、連帯のありがたさを実感します。ただ私たちが、レバノン人民の連帯の志を日本の人々に伝え、共に闘う基礎を作れていないのが残念です。これは、闘いの条件が違うという側面と、私たち自身が国内の人々と連帯する条件を十分作ってこなかった結果と反省しています。
五人の「刑期」の満期は二〇〇〇年三月七日です。日本政府は、レバノン政府への援助をちらつかせて送還阻止と連帯への妨害をエスカレートさせています(大使館は進歩的人士に至るまで面会を申し入れ、「JRAは、犯罪者で国内では嫌われもの。支援すべきではない。政府とJRAどっちを取るのだ。」とオルグ活動を大使自ら展開中)。
この間、中東の地では、和平プロセスが新しい段階を迎えています。パレスチナと、イスラエルの間でワイ合意(昨年一〇月、アメリカ政府の仲介とアメリカ療養中のフセインヨルダン国王の在席のもとで、当時のネタニエフイスラエル首相とアラファト議長とで合意した)を再度軌道に乗せるため新たな合意が発表されました。
一、シャーメル・シェイハ合意
九月二日、ムバラク大統領をホストとし、オルブライトアメリカ国務長官、アブダランヨルダン新国王在席の下で、昨年一〇月のワイ合意に基づくランド・フォー・ピース(「平和と土地の交換」によって中東地域の安定を作ると言う意味)のプロセスを進めることに合意するセレモニーが、エジプトのシャーメル・シェイハで行われました。
その基本合意内容は、被占領地西岸の一一%にあたる土地からのイスラエル軍の撤退を来年一月半ばまで二段階に分けて実行すること、拘束されているパレスチナ人政治犯三五〇人の釈放など、ワイ合意の修正的実施によって和平プロセスを再開しようというものです。もともと去年のワイ合意では、七五〇人の政治犯釈放が確認されていましたが、ネタニヤフ政権は二五〇人の釈放しか行いませんでした。パレスチナ当局側は、今回六五〇人の釈放を要求しており、イスラエル側は三五〇人の釈放を認めました。
今回の交渉は、政治犯の釈放問題に焦点が集中し、イスラエル軍の完全撤退問題やセツルメント問題は背後に追いやられています。
CNNやBBCが日曜日の朝、笑み満面のオルブライトやバラクの大写しと、釈放予定の青年の母親の喜びの表情を流し続けていましたが、西岸各地ではこの合意に反対するデモがくりひろげられていました。二二〇〇人といわれるパレスチナの獄中者が無視されていることに対する抗議です。エルサレムではゼネストが行われたと伝えられています。エルサレムのオリエントハウス前ではエルサレムの獄中者の家族親族が五日間座り込みを続けていました。
二、中東和平の現段階の特徴
特徴的には、第一に、バラクイスラエル新首相になって、アメリカとイスラエルの歩調が整いだしたことです。
和平を巡ってユダヤ人の間で路線闘争が激化していましたが、グローバル資本の意向を代表する労働党路線が、今再び軌道に乗ろうとしています。グローバル資本の中心をなす国際ユダヤ資本は、中東全域の経済支配を目指してオスロ合意、マドリッド会議を経て、「ランド・フォー・ピース」の政治イニシアチブと並行して、アラブ・イスラエルの経済協力体制を中東地域に打ち立てるべく中東経済会議を発足させてきました。
しかし、ラビン首相暗殺後に登場したネタニエフ政権は、「イスラエルの安全」を盾に和平を滞らせてきたために、グローバル資本にとって弊害となっていました。国際ユダヤ資本の意を政治的に実現するクリントン大統領は、イスラエルの選挙期間中、バラク陣営を支援するためにアメリカ大統領選の自己のブレーンスタッフを送り込んで労働党政権の誕生を支援してきました。アメリカの中東政策と共同歩調を取りやすい体制が作られています。
第二に、オスロ合意に反対していたパレスチナ勢力が、「拒否」から「反対」へと姿勢を転換しつつ被占領地内の政治過程に組織として野党的役割を果たし始めたことです。
イスラエルとの交渉を有利に進めていくために、アラファト議長はハマスなど「和平」反対勢力を武力で弾圧してきましたが、ますます指導の困難に直面していました。イスラエルからの譲歩が得られないまま、武装闘争への弾圧を繰り返すだけでは人民の支持を得られないために、かつてのPLO内のアラファト反対勢力を統合しつつ、救国的視野でイスラエルに対峙することが政治的に問われました。
一方、アラファトの政治基盤の確立と反対に、オスロ合意拒否を宣言した拒否勢力は、困難に直面していました。実体的には、被占領地には政府機能が徐々に確立されていくなかで、建国に向けた政治的立場と被占領地、パレスチナ自治地域内部に指導力を実現することがますます問われたのです。
第三に、オスロ合意の内容が問われ出していることです。
これまでのネタニエフ政権では、オスロ合意の実施が大幅に遅れ、実質的に無視されてきました。逆に西岸でのセツルメント建設を推し進めるなど、合意に逆行する政策を実行してきました。
オスロ合意で曖昧に合意した点として、パレスチナの首都問題(パレスチナの首都をジェルサレムにすることをイスラエルが断固拒否し、交渉に値しないとしている)、国境線を巡る問題、難民帰還の問題(イスラエルは帰還を拒否し、難民のいるアラブの国の国民となるべしとしている。アメリカなどはそれを支援推進し、パレスチナ人の人口増加を防ぎ、イスラエルに有利にしようと国連に働きかけている。各アラブ諸国は国籍を与えることで問題を解決することを拒否している)。
湾岸戦争でイラクを支援したことで孤立したアラファト派は、イスラエル承認と引きかえに部分的なパレスチナ建国に向けた直接交渉を個別に開始してオスロ秘密合意に至りました。合意不可能な議題は議題とせず曖昧にしてきた点が、今政治的な国際的認知を得たなかで、具体的に問われ始めています。今後、アラファト議長は救国的勢力の統合で、統一を軸にオスロ合意の具体的な内容を巡って政治生命を賭けたイスラエルとの駆け引きを進めようとしています。それらは、各々の目的意識性が違うために、違う質の攻防をまた生み出すでしょう。
三、イスラエルに対するアメリカの役割
クリントン政権になって以降、史上初めてユダヤ人のアメリカ大使が任命されたように、政権の成立からユダヤロビーをバックにクリントンは政権維持を行ってきました。ヒラリー夫人は、アメリカで逮捕され終身刑にあるイスラエルのスパイ、ホナサンの釈放送還を示唆しています。アメリカの国益より、ユダヤ資本イスラエルの同盟を第一に政権基盤を維持しているせいです。
クリントン政権は、二〇〇〇年までに中東和平の一定の実現で民主党大統領再選を目指し、二〇〇〇年九月までにパレスチナとイスラエルの「最終的解決」を計るというスケジュールをワイ合意で規定し、全体はその意向を反映して進んでいます。
現在のアメリカの政策は、「市場民主主義」の地球大の実現を政治理念として、冷戦以降の世界の構造的再編を急いでいます。それは必然的に市場に人間社会を隷属させ、グローバル資本の自由に基づいて国家と社会を再編することを意味しています。アメリカ等の意向で作られる国際法や国際機関の決定に各国の主権を従属させ、従わないと暴力で解決するという数世紀前の十字軍のやり方で軍事力を頼りに強制することによってますます世界を無秩序に導いています。
このアメリカの戦略は核、技術、情報独占に基づく「予防戦略」として軍事を軸に各地域の戦略的同盟国家と不可分な軍事的、経済的一体化を進め、地域をグローバル資本の経済的利害を軸に支配していきます。反ソ反共戦略の冷戦時代からアジアにおける日本以上にイスラエルの役割は、アメリカにとって重要な位置を占めていました。アメリカ内ユダヤ資本の位置が大きいからです。資本の自由を保障するためには、アラブ―イスラエル対決を解消させ、イスラエルの情報技術・軍事大国化を軸に、中東全体を経済支配するグローバル資本の意図がアメリカの和平関与として表れています。
アメリカとイスラエルの同盟的役割は、今後ますます深まるでしょう。各国の内的成長を無視した「市場民主主義」の強制は、望むと望むまいと各地域に無秩序を拡大し、その結果に再び暴力的介入を図るという矛盾の拡大で世界は無秩序を継承して二一世紀を迎える様相にあります。
四、パレスチナ勢力の転換の兆し
オスロ合意に反対してきた勢力の転換を象徴するものは、八月にカイロで相次いで行われたアラファト議長とPFLP、DFLP代表との会談です。DFLPのハワトメ議長とアラファト議長会談では、イスラエルとの最終的解決に向けた今後の交渉にパレスチナ側の統一戦線を形成すること、そのためにすべての被占領地内、海外パレスチナ人を代表する勢力の再結集の条件を作る方向で合意しています。ハマスなどイスラム勢力も含めた反対勢力の参加を呼びかけています。
ファタハとDFLPの共同声明では、「PLO執行委員会が最終的合意を監視する役割を担うだろう」と、PLOの復活再生を軸にパレスチナ勢力の統一を目指しています。さらに、建国を実現するために急ぎパレスチナ勢力の統一を目指すこと、パレスチナ―イスラエル問題の最終合意が行われる際には、離散した難民を含めた国民投票を行う可能性も討議した点を共同声明は明らかにしています。また、イスラエル政府への要求として、イスラエルの入植を止めること、六七年以降に占領したアラブの土地の返還要求を共同声明で表明しています。こうした動きは統一を進めることができるでしょうか。
今年中に西岸のラマラーで反対勢力が、イスラエルとの「最終合意」にむけたパレスチナ共同関係を討議する包括的会議をもつと予想されています。二〇〇〇年九月までにパレスチナとイスラエルの「最終的解決」をするというスケジュールのなかで、アラファト側も反対勢力も新しい模索を始めています。
オスロ合意やマドリッド会議への流れは湾岸戦争の結果、新しい闘いが求められて生まれてきたものです。
八九年以降の社会主義の崩壊は、民族主義政権、解放勢力を支援していた国家群が崩壊したことを意味し、武器の供給に至る困難を抱えていました。九一年の湾岸戦争は、アメリカの圧倒的な軍事技術力を見せつけ、人民の反米の意思があったとしても正規軍による同じ方法で対峙することができないことを示しました。しかし、物質力が弱いとしても、対等な権利を主張する立場を変えたわけではありません。
主権を守りながら包括的な中東の新秩序の形成に、政治的に呼応しつつアラブの権利を獲得していく、いわば柔構造に対応した体制として問われました。そのあり方を巡ってPLO内の分岐ができたとも言えます。
PLOは、パレスチナ組織の統一戦線体で指導機関としてあり、パレスチナ憲章に基づいてその枠での役割を果たしていました。PLOの綱領的基盤は、パレスチナ憲章の「全土解放路線」にありました。しかし、アラファト議長の率いるファタハが他のPLO組織に秘密にイスラエルと交渉し、全土解放路線を放棄し、イスラエル承認を前提とするオスロ合意を発表したために、PLOの中からアラファト路線反対の拒否勢力が形成され、PLOとしての機能が崩壊していました。その後イスラエルとの直接個別交渉を通して、国際外交や被占領地内での住民投票などでアラファト議長が合法的な立場を確立し、PLOはなし崩しに形骸化していました。
アラファト議長とシリアなどアラブ国家レベルでの基本的相違は、イスラエル国家を認めるか否かということではなく、アラブレベルの包括的和平か、それともイスラエルが要求する直接個別交渉の推進か、という点にありました。オスロ合意以降、イスラエルと直接個別交渉に突き進むアラファト路線への批判としてありました。
こうしたアラファト批判国家・批判勢力は、侵略や軍事挑発をさせない正当な政治的な闘争を中心として「国連決議の無条件履行」を求めながら闘い、かつ不当な占領にはゲリラ的に対峙する南部レバノンの闘い、被占領地の闘いとして続きました。
イスラエルとの個別直接交渉の政治進展を条件として、資本主義勢力が中東マーシャルプランと銘打って中東経済会議を軸にパレスチナのインフラ支援、行政機構の確立とアラファトの政治的地位の国際的向上などとして進行していきました。
被占領地内のファタハ以外のPLO各勢力は、各個人が議会などで政治的攻防を繰り返しつつ野党的な役割を実現してアラファト議長の妥協に対する批判、独裁的なあり方の改善、機構の民主化要求など、実体としては攻防を持続しつつ、被占領地内の組織としての役割を拡大していきました。
こうした被占領地内での政治攻防を経て、組織としての役割を宣言する時期として、新しいイスラエル首相バラクとの交渉に加わる意思を示すものとして八月一日、PFLPとアラファトとの対話、八月三一日、DFLPの合意が発表されています。
全土解放武装勢力ハマスを非武装化するためには、PLOの旧勢力の力が必要だったアラファト議長と、建国に向けたパレスチナ人民の闘いの場に政治的組織的基盤を必要としたPFLP、DFLPの相互の当面の利害がPLOの復権として展望されています。
しかし、反アラファト八組織のうち、ハマスなどは、まだ意向を表明していないし、ワイ合意に対しては、PFLPも批判を表明しており、統一を目指しつつ路線を巡る攻防は激化していく様相にあります。
基本的には、シリアレバノンの和平プロセスの進展と連動し、パレスチナ建国を巡る攻防を救国的な政治勢力の結集として進める限り、イスラエルとの対峙を有利に創り出す条件が生まれるでしょう。
その中で、アラファト路線と違う人民戦争路線を闘ってきたパレスチナ革命がその要素を継承した建国の内実を少しでも実現する方向が模索されています。
PFLP、DFLPなど、歴史的に闘ってきた人民主権の理念を包括的和平の中に位置づけて建国の闘争へと発展させ、グローバル資本主義の中東支配に抗するアラブ規模の戦線の形成として展望を打ち立てていく時です。すでに、イスラエル側は、オスロ合意への参加を表明したDFLPの政治犯を釈放し、ハマスは釈放しないというアラファト路線支援として行動しており、被占領地内で人民の広範な支持基盤をもってイスラエルと対峙してきたハマスも今後の政治展開の方向が問われてきます。
イスラエルに対する闘いをパレスチナ内部の問題に封じ込めようとするイスラエルに対して、パレスチナ建国を担いつつ、いかにイスラエルの圧政と対峙していくのか、パレスチナ指導勢力の統一した力で、人民的利害の拡大に向けた闘いが問われています。
五、オスロ合意の今後
今回のシャーメル・シェイハ合意に対する各勢力の見解と立場が示されました。
ハマスは、今回の合意を「新たな妥協」として非難しています。ハマスの創始者ヤシン師は、新たな合意はいずれも以前の合意の成果を失うものであり、追放された人々と被占領地の問題は、帰還を実現するか闘争を続けることによってしか解決しないと批判しています。
シリアは、暗殺された労働党ラビン政権時のゴラン高原返還交渉(その後、ネタニエフ政権によって中断状態だった)からスタートさせるよう求めています。オルブライト国務長官は、シャーメル・シェイハ合意に至る過程でダマスカスに立ち寄ってアサドと会談を持ちましたが、バラク政権が労働党としての過去の交渉過程に責任を取る立場に至ってないために、何の進展も得ることができませんでした。
オスロ合意そのものに反対するイラン政府やPFLP・GC派やアブ・ニダール派も今回の合意に反対です。真の平和は、イスラエルがアラブの土地の占領を停止し、パレスチナ難民が帰還することを通して実現する、という立場です。彼らは部分的な土地の「返還」や秘密交渉や、前の合意を修正確認するセレモニーという今回の合意のあり方に反対しています。
PLF(パレスチナ解放戦線)は、この合意は、被逮捕者問題、軍の再展開問題、建国宣言問題での大きな妥協であると非難しています。
DFLPも、この合意はバラク政権に都合のよいものでしかないとしています。また、イスラエルのパレスチナ被占領地におけるセツルメント建設の強行に触れていない点で大きな間違いを犯していると非難している人(パレスチナ人のコンタクトと情報のためのエルサレムセンター所長ガッサン・ハティブなど)もいます。
このように、今後当事者となる人々が、現在の譲歩を批判し、アラブの当然の権利として難民の帰還問題、首都問題、国境問題、今後攻防がイスラエルとのみならず、アラブ、パレスチナ内での政策路線、建国と、包括的和平の実現のあり方としてイスラエルのレバノン撤退問題などを含めて進ませようとしています。
バラク政権自身は、基盤の弱い連合政府であり、バラク自身もかつてPFLP作戦に対し、エンテベ奇襲作戦でゲリラ兵士を暗殺した指揮官であり、アメリカとの戦略的同盟を軸に「イスラエルの安全」の範囲での譲歩を行うに過ぎないでしょう。それは、バラク政権がユダヤ人入植問題を今後どうするか(入植地を撤収するか、凍結するか、拡大するか)で示されていくでしょう。
しかし、和平を選択したイスラエル国民の意思と、当然の権利を主張するアラブ、レバノン、シリア、パレスチナの不退転の対峙を通して、永続的包括的和平への転換をかち取っていくチャンスとしてあります。
それはまた、人民戦争路線をどういう建国内容として作り上げていくか、政治攻防を経つつ、人民勢力の新しい闘い方を創造するチャンスでもあります。