親愛なる同志のみなさん!
共産主義運動の創設者マルクス・エンゲルスによる歴史的著作『共産党宣言』発刊を記念して参集したすべての人々に、心からのあいさつを送ります。
みなさんがこの集会を契機に、日本での共産主義運動の再建を志向し、日本の真の左翼の人々・勢力の統一を目指していることを耳にし、大変嬉しく思っています。
私がスリランカの国会で代表しているスリランカのプロレタリア民衆に代わって、集会の成功を願っています。
プロレタリア国際主義万歳!
心からのあいさつをもって!
ニーハル・ガラパッティ (スリランカ国会議員)
フィリピンから革命的挨拶をおくります!
フィリピンプロレタリアートは、『共産党宣言』発刊150周年記念集会の日本の同志に合流する。
マルクス主義と『共産党宣言』は死んでおり、無効で、歴史的な間違いとして証明ずみだ、というブルジョアジーによる宣告にもかかわらず、今日の世界は、マルクス、エンゲルスが、『宣言』で書いたことを確証している。
ブルジョアジーが歓呼する”進歩”、”発展”にもかかわらず、依然としてプロレタリアートが貧窮の度を深め、その数が増大する事態に直面している。
資本主義は一層、生産手段の所有を少数者の手に集中させている。世界人口の年収の45パーセントが、350人の億万長者の財産と等しいのである。資本主義は、今もその墓堀人を生み出している。
プロレタリアートは、いぜんとして唯一の革命的階級である。韓国、フランス、オーストラリア、そしてその他世界中でストライキを闘う労働者が体現しているように、プロレタリアートの革命性と闘いへの準備は、今日に至るまで明らかにされている。
革命と社会主義は、資本主義によって引き起こされた貧困に対する唯一の選択肢として引き続き存在している。
1848年のスローガン「万国の労働者団結せよ!」は、資本のグローバル化と国際化の時代にも、我々のスローガンであり続けている。
同志たちよ!この小さな冊子の発刊を祝うあらゆる理由が、我々にはある。歴史は、『宣言』が正しいものであることを証明している。
それぞれの国でブルジョアジーに対して、労働者階級を覚醒させ、動員し、組織化することに我々が努力するにつれて、労働者階級が闘い歴史を作るにつれて、『宣言』はますます豊かになり、ますます有効なものとなるであろう。
万国の労働者団結せよ!!!
『共産党宣言』万歳!!!
日本の同志たち万歳!!!
国際主義の発展を!!!
世界社会主義革命の前進を!!!
連帯の意をこめて
ロミー・カスティーリョ(BMP副議長、国際部)
『共産党宣言』150周年を記念する日本の集会への挨拶
親愛なる同志の皆さん
親愛なる集会参加者の皆さん
私たちは、この集会の参加グループを知りませんし、この集会の基調文も知りません。私たちが知っているのは、この集会の「呼びかけ」だけですが、その精神は、私たちが支持できるものです。重大な敗北に導いた自分たち自身の運動の過ちに目を閉じることなく、あなたたちは、共産主義を擁護しようとしています。私たちは、あなたたちの集会が大きな成功をおさめるよう願っています。そして、日本の共産主義運動とより緊密な関係を打ち立てることが近いうちにできるよう期待しています。
この機会に、私たちが全世界の運動にとって決定的だとみなしている基本的な考えを何点か述べさせていただきたいと思います。
1)
『共産党宣言』の中で、マルクスとエンゲルスは、「共産主義者とプロレタリアとの関係は、一般的に言ってどのようなものか」と設問して、こう答えています。「共産主義者の党は、プロレタリア運動を何か特別な原理にしたがって形成しょうとするようなそうした特別の原理を持つものではない。共産主義者の理論的指針はあれこれの非現実的夢想家によって発見されたり、発明されたりしたどんな種類の思想や原理に基礎を置くものでもない。それは、ただ、我々の眼前で生起している現存の階級闘争と歴史的運動の実際的な状態の表現に過ぎない。」(ドイツ語からの訳による)
様々な傾向の共産主義運動が陥りやすい主要な問題の一つに、それが変えることが出来ないドグマや永遠の教義や世俗的な宗教に凝り固まってしまうと言う事実があります。マルクス主義は、主体と客体の統一を述べることで確立されました。その統一とは、革命的に行動することだけが革命的意識をつくりだすことができ、その逆も同様に、革命的意識だけが革命的行動をつくりだすことができるということであります。マルクス主義は、実践のための理論であり、それの生み出す諸結果に照らして発展させねばならない理論です。私たちは、運動を再建するために、まさにこのマルクス主義者としてのアプローチを再確立しなければなりません。
2)
私たちの歴史と敗北の原因が研究されなければなりません。歴史から教訓を導くことが出来る限りで、私たちは、共産主義運動の再建を成功裏に導き、世界社会主義革命という目標に到達することを望めます。
スターリン主義が私たちの諸問題の核心であったことは明白です。しかし、トロツキー主義や毛沢東主義あるいはゲバラ主義などのように、スターリン主義という世界革命の障害物を打ち負かす理論的、実践的試みは、ただ、部分的なものにとどまり、成功しませんでした。
公式の教義を突破した歴史の真摯な再検証だけが、私たちの闘争を前進させることが出来ます。
3)
今日、私たちは、かつてないほど分断され、ばらばらになっています。1989-1991年の大崩壊を生きのび、依然、プロレタリア独裁と世界革命のために闘っている人々が、実に様々な違った道を歩んでいます。この違いを人為的に克服することは出来ません。共通の運動、共通の理論、共通の指導、最終的には、共通の組織、新しい共産主義インターナショナルの再建は、長い過程を経て結実しうるものでしょう。近道を取るすべての試みは表層的なだけで、失敗が運命づけられています。
しかしながら、避けがたい政治的相違にもかかわらず、すべての共産主義者は世界的規模において、共通の敵、帝国主義者と資本主義者に対して、協働し、共に活動することを学ばねばなりません。
それゆえ、私たちは、共産主義者の国際連絡委員会の創設を提案します。それは、あらゆるレベルの帝国主義の攻撃(例えば、イラクの封鎖や新自由主義との対決、あるいは、メキシコやインドネシアの社会的、革命的運動の支援・・・)において、あらゆる機会をとらえて、共同で闘いを取り組む組織です。
熱烈な共産主義者の挨拶を持って、
アルフレッド・クレイン
国際レーニン主義潮流(ILC)常設ビュローを代表して
昨年、イギリスでは「共産党宣言」が6万部売れた。150年前の本としてはまさに驚異的な数字である。この本に高い関心が集まるのは一体どんな理由であろうか。]
東ヨーロッパのスターリニスト国家の崩壊以降、我々が聞かされたのは、資本主義自由経済に取って換わるものはない、歴史は終り、勝者は資本主義であると言うことであった。規制緩和と民営化とグローバリゼーションによって打ち立てられた資本主義の新しい時代、「新世界秩序」が喧伝された。日本と「アジアのトラ」達は輝かしい成功例として、打ち続く景気後退にある西側諸国に対比して、持ち上げられた。
しかし、突然に、何の警告や説明もなくアジア金融危機がこの地域を混乱に陥れ、それは全世界に衝撃をもたらした。西側では、多くの国で社民党政権が選ばれたにもかかわらず、その資本主義市場にもとずく経済政策は、約12パーセントという変わらぬ失業率と、ますます拡大する貧富の差をヨーロッパにもたらしてきた。昨年の調査では、最も富裕な386人が世界のちょうど半分の富を持っていることが明らかになった。「新世界秩序」の本当の姿は、ブルジョア経済学者が予言するような終わりのない成長などではなく、不確かさと危機に他ならない。
先進諸国において、親の世代が初めて直面しているのは、子供達にとって一層不確かで、あてにならず、教育の機会も悪く、もっと不健康な未来であって、それは、自分達が大二次世界大戦後に経験したものより更にひどいものである。発展途上国では、地方から工場に働きに来る人々にとって、生活水準はこの20年間のようにはもはや改善される見込みがない。労働者たちが目の当たりにするのは、危機のさなかに金持ちがますます肥え太っていく姿である。今やインドネシアの事態が我々に示すように、巨大な規模の変革が秘められている。
しかしこうした事柄の説明を何処で見出したら良いのか?ブルジョアメディアには、もっともっと規制緩和を、もっと労働者からの搾取を、もっと抑圧をと言う以外にどんな説明もない。今日の世界の最上の説明は、150年前に書かれた「共産党宣言」の中に見出すことが出来る。この本を読む時、マルクスがこれを書いた時代と今日の世界がなんと似ていることか、と驚かずにはいられない。かつて「共産党宣言」を読んだ人は、もう一度読んで欲しい。まだ読んでいない人は今、読んでください。未来に対するこれほど良い道標はない。
万国の労働者団結せよ、諸君は、鉄鎖のほか失うものは何もない。
社会主義労働者党SWP(イギリス)
『共産党宣言』150周年記念集会への挨拶
オーストラリア民主社会党(DSP)より『共産党宣言』150周年記念集会へ 同志的挨拶を送ります。
ここ数年の経済的、政治的発展は、『共産党宣言』が書かれた時代以上ではないとしても、現在に当てはまることを劇的に際立たせている。
資本主義は、『宣言』150周年という機会に、マルクスとエンゲルとに本当に適切な贈り物を与えることとなった。迫り来る国際的な危機の瀬戸際にあるアジアの経済危機は資本主義イデオローグの傲慢な自信を実際に揺さぶった。それは、「歴史の終焉」という路線にかたをつけた。
資本主義体制のすべての非合理性、諸矛盾、不安定性は、日毎に経済危機が進展し、広がり、より深まるにつれて、充分に立証されている。それは、我々にマルクス主義の多くの基礎的な主張と『共産党宣言』の核心的なテーゼの実例を示している。
その危機は、近年、ブルジョアジーとその代弁者達によって調達されている宣伝の反証を、我々の眼前に提出している。
社会主義の再生、すなわちソビエトの崩壊とここ数十年来の他の労働者階級の敗北の後で社会主義運動を再建すると言う我々の任務は、より一層、緊急のものとなっている。DSPによって始められたリンクスのような宣伝誌の創刊はますます緊要さを増している。これは、多くの異なった政治的経験を集約する討議と分析の為のフォーラムを提供することをねらいとしている。
最近のアジア太平洋連帯会議はこの新しい過程と討議の有益な一歩であった。そして、この地域で、或いは、世界中で、『宣言』の中で熱烈に求められた労働者と被抑圧者の真の連帯を推進するのを助けた。
インドネシアで進行中の事態は、我々を鼓舞する。そして、民主化闘争、とりわけ新しく登場した左翼組織、人民民主党と精神的、政治的、物質的に連帯をする特別な努力を喚起する。
労働者と被抑圧者の団結万歳!
共産党宣言万歳!
革命的な連帯の意をこめて
ジョン・パーシー(民主社会党DSPオーストラリア・全国書記)
親愛なる同志のみなさんへ
『共産党宣言』150周年記念に私たちが執筆した同封の論文をご覧ください。それは、あなたがたの関心を呼ぶことでしょう。
革命的挨拶を持って
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アラン・ウッズ
歴史は一風変わったやり方で、問題を解くものである。マルクス主義の思想は過去のものとなった、社会主義は議論の余地もないと宣告されているまさにその時、『共産党宣言』の予言が、資本主義体制の擁護者たちの間を徘徊する為に舞い戻ってきている。マルクス主義の中傷者たちのあらゆる努力にもかかわらず、今日、マルクス主義は、現代社会の正確な分析として、その変革のプログラムとして、その両面で、全面的な有効性を保持している。細かい点ではあれこれ変化してしまった面はあろうが、しかし、根本的な点で『共産党宣言』の思想はすべて、それが最初に書かれた当時と同じように、今日でも有効で真理なのである。実に、一世紀半前に書かれた膨大な数の書籍が、今日ではほとんど歴史的興味を呼び起こさないのに、幾つかの点で、『宣言』中に表わされた思想は、それが書かれた当時よりも、今日、一層、真実である。ひとつの例を検討してみよう。
マルクスとエンゲルスが執筆していた当時、巨大な多国籍企業の世界は、まだ、とても遠い将来の創造物に他ならなかった。それにもかかわらず、彼らは、どのようにして「自由企業」と競争が不可避的に資本の集中と生産諸力の独占とに導くのかと言うことを説明した。この問題についてマルクスがおかした誤りなるものに関しての「市場」の擁護者たちの見解を読むと、思わず滑稽さを感じてしまうが、実のところ、それはマルクスの最も輝かしく正確な予見の一つであった。
1980年代を通じて「スモール イズ ビューティフル」と主張することが流行となった。ここでは、大きい小さいあるいは中くらいという比較美学についての論議に入る余地はない。この点については、誰でも意見を持つ権利を与えられてはいる。しかし、マルクスが予見した資本の集中の過程は 進行し、現在も進行中であり、そしてこの十年の過程で、実に、前例のない水準にまで到達したことは、まさに議論の余地のない事実である。
アメリカ合衆国では、おそらくその過程が、特に明瞭な形で見られるであろうが、500の巨大独占が1994年の総収入の92パーセントを占めた。世界的規模では1000の最も大きな企業が、8兆ドルに相当する収入を得たが、それは、世界の全資産の3分の1に等しいのである。合衆国では、0.5パーセントの富裕な家族が、個人所有の金融資産の半分を所有している。合衆国の人口のうちで、最も裕福な1パーセントの層は、国民総収入に占める割合を1978年の17.6パーセントから1989年には、驚くことに36.3パーセントにまで増加させた。
資本の集中と集積の過程は、これまで思いもしないような割合にまで到達した。全ての先進工業国では、数多くの企業の乗っ取りが、伝染病の特徴を持つに至っている。資本の集中は、生産の成長を意味するのではなくて、まったくその反対物を意味するのである。どの場合においても、その目的は、新しい施設や機械に投資することではなく、生産を増加することなく、利幅を増やす為に、現存の工場や事務所を閉鎖し、数多くの労働者の首を切ることなのである。最近のスイスの二大銀行の合併を取り上げてみよう。それは即座に、13000の仕事を圧迫することに帰結した。
失業の厄災
「そして、ここで明確になっていることは、ブルジョアジーはもはや社会の支配的階級として存在することがふさわしくなく、また、至上の法律(法則)として、その存在条件を社会に押し付けることもふさわしくないと言うことである。支配するのにふさわしくないと言うのは、その奴隷に奴隷状態の中でさえ生存を保障する能力がないからであり、奴隷にやしなわれるかわりに、奴隷をやしなわねばならないような境遇に奴隷を落とし込めることを避けることが出来ないからである。社会は、このブルジョアジーのもとでは、もはや生存できない。」(共産党宣言)
大量の失業者が舞い戻り、現代社会のはらわたの中でしくしく痛むガンのように世界中に広がってきた。国連によれば、全世界の失業者は1億2千万をかぞえる。しかしながら、この数字は、全ての公式な失業者の統計と同じように、実状の重大な過小視を表わしている。もし、あらゆる種類の些末な「職業」にやむを得ず就いている膨大な数の男女を含めると、失業者・不完全雇用の実数は、10億を下ることはないであろう。
公式統計によると、西ヨーロッパだけで1800万の失業者があり、それは、労働可能人口の10.6パーセントにあたる。スペインではその数は、20パーセントと言う信じがたい数字である。しかし、ヨーロッパの強人ドイツでさえ、失業者はヒットラー以来、始めて、450万人となった。日本でも同じように1930年以来、始めて、失業者がはじけるように増大している。完全雇用のパラダイスとしての日本というイメージは、今や過去のものとなっている。公式統計に依れば、日本の失業者は、3パーセントに達した。しかし、これは偽りである。他の先進資本主義諸国のような失業者についての基準を用いるならば、本当の数は、8パーセントを下ることはなく、あるいは10パーセントにも達するかもしれない。
この失業は、不景気に現れ、経済が再び回復すれば消えてなくなるという、労働者が昔から良く知っているような景気循環的な種類のものではない。もはやその種の失業があてはまるような事態ではない。これを書いている時点で、アメリカ合衆国では、好景気が、6年以上にもわたって続いてきた。しかし、世界の失業者数は、意味のあるほどに下落したという兆しを見せていない。新聞は、毎日、しばしば上述の企業乗っ取りと関連した動向として、新しい工場閉鎖と首切り(はやりの専門用語を使えば「ダウンサイジング」)を報じている。それは、循環的な失業ではない。資本家の立場から見れば、過去に有用な役割を演じた、マルクスの言うところの「産業予備軍」でさえない。そうではない。これは、完全に新しい現象であり、恒久的で、構造的で、有機的な失業なのであり、好景気の時でさえ、著しく減ることのない失業である。
さらに、この失業は、かつて決して影響をあたえられることのなかった社会の各層、つまり、教師、医師、看護婦、地方公務員、銀行員、科学者、そして管理職にさえ影響を与えている。生活の不確かさは、実際、社会全体に一般化してきている。マルクスとエンゲルスの上に引用した言葉は、文字どおり真実となった。どの国でもブルジョアジーは、同じスローガンをあげている。「われわれは、公共支出を削減せねばならない!」と。それは、サッチヤーとメイジヤーのスローガンであった。今やトニー・ブレアーと労働党右派が同じ道をたどっている。これは、偶然のことではない。資本主義世界では、右であろうと「左」であろうと、すべての政府が実際に同じ政策を遂行している。これは、個々の政治家の気まぐれや無知あるいは裏切り(この同類がたくさんいるとはいえ)の結果ではなくて、世界の市場経済それ自体が直面する袋小路の生々しい表現なのである。
アジア経済の暴落は、深刻な警告である。それは、世界的規模での資本主義体制が、1945年以降、経験してきたことよりも、はるかに深刻な新しい危機と激動の時代に突入しつつあると言うことである。もっと考えのある資本主義の代表者たち(ソロス、ガルブレイス)は、体制的な失敗の危険を警告している。こうした警告に注意がはらわれていないという事実に、驚く必要はない。ヘーゲルはかつてこう喝破した。歴史が我々に教える唯一つのことは、誰一人として歴史から学ぶ者はいないということだ、と。このことは、株式市場の危機の歴史がはっきりと証明しているように、歴史から学ばない者は誰でも同じ事をくり返す運命にある、と語ったジョージ・サンタヤナのよく知られた金言と矛盾しない。大統領クリントンが、クーリッジとフーバーの演説(「(経済の)基本は健全である」)を無意識のうちに繰り返えしたちょうどその時、IMFのマネタリストによって荒治療が施されたが、それは戦前の政府によって行われた財政的な公平性と均衡予算と健全な通貨という宗教的な信念に基づく政策の単なる繰り返しに他ならない。今日、どの学生でも知っているように、こうした「賢明で分別のある」政策は、ただ、悪い状態をいっそう悪くしただけである。アジアでのIMFの政策の効果は同じ道をたどるだろう。さらに巨大な規模で。 不運なことに、ケインズ学派のマネタリズム批判には重要な対案がない。金融市場は「規制」されるべきであるという提案が、周知の事実に歯向かって飛び交っている。資本主義と計画経済は、二つの互いにあい矛盾する概念である。こうした訳で、このほぼ20年間、全体の動きは、逆に規制緩和が拡大に向かう方向にあった。資本の自由な運動の道にたちはだかるどんな障害物も無慈悲に一掃されてきた。ブルジョア経済学者でさえ、世界的規模で深刻な過剰生産(「過剰な生産能力」)の問題が存在していると認めているちょうどその時、同時に彼らは、国家支出に大なたを振り下ろすことで、需要を削減し、市場全体を狭めている。こうして、彼らは、来るべき時期の大規模な不況を準備している。このことは、前の時期に資本主義体制がその限界を通り越したという事実の必然的な結果である。マルクスが説明するように、資本家たちは、ただ、「より大規模でより破壊的な危機のための道を開くことで、そして、危機を回避する手段を減らすことで」、自らの危機を解決できるのである。
耐えがたい圧迫
信じがたいほどの洞察力を持って、『宣言』の著者たちは、全ての国の労働者階級が、今、経験している状態を予想した。当時、彼らはこう書いた。
「拡大する機械の利用と労働の分割によって、プロレタリの労働は、全ての個々人の個性を、従って、働く人間にとっての全ての魅力を失った。彼は、機械の付属物となり、単に、最も単純で、最も単調で、最も簡単に習得できる手際だけが、彼に要求されることである。この結果、労働者の生産費は、殆ど完全に、彼の生活を維持し、子孫を繁殖させるのに必要な最低限の収入にまで制限される。ところで、商品の価格は、従ってまた同様に、労働の価格も、その生産費に等しい。従って、労働のいとましさが増大するにつれ、賃金は、減少する。いやそれどころか、労働時間の延長か、与えられた時間内で強制される労働の増大か、或いは、機械のスピードの増加等などによる、機械の利用と労働の分割が増えるにつれ、同じ比率で、労苦の重荷も同様に増大する。」
今日、アメリカ合衆国は、マルクスの時代にイギリスがそうであったような、最も資本主義の発展した国という地位を占めている。こうして、資本主義の一般的傾向は、最も明瞭な形でそこに現れている。この20年の間にアメリカの労働者の実質賃金は、20パーセント下落し、10パーセントの労働日の増加が伴った。こうしたやり方で、今の好況は、主として労働者階級に犠牲を強いたのである。現在、アメリカの労働者は、年に平均で168時間の超過労働をしている。これは、ほぼ一か月の余分な労働に等しい。これは、自動車産業で著しく現れている実状で、そこでは、週6日、1日9時間労働が、当たり前である。アメリカ労働組合によれば、もし、この部門だけでも、週40時間労働に制限されるのなら、59000人分の仕事が生まれるだろう。
タイム誌(94年10月24日)の記事によれば、「労働者たちは、自分たちには、経済の拡張は、疲労困ぱいを意味すると不満を述べている。アメリカの産業のいたるところで、企業は、アメリカの労働者から最大限の労働を絞り取る為に残業を利用している。一周間の労働時間の平均は、現在、記録的な42時間に近づきつつある。それには、4.6時間の残業を含んでいる。」同記事は、ファイバー・オプティックに働くジョセフ・ケルターボンのケースを引用している。彼は、人員削減の結果、一日平均4時間の残業と3週間に一回の週末労働している。彼は、訴えている。「家に帰って何かする時間と言えば、シャワーを浴び、食事をし、そして、ちょっと寝ることがすべてである。暫くすると起床の時間だ。そして、全く同じことの繰り返しが始まる。」
残業、実質賃金の下落、生産リズムの増大などによって引き起こされる恐るべき圧迫が、労働者階級の家族の生活の質に深刻な影響をもたらしてきた。アメリカでは、他の国と同じように、出生率が、1960年代の始め、一家族平均 2.5人から、1980年の終わりには 1.8人に落ち込んでいる。離婚数は1970年代の間に倍増し、それは、1980年代の結婚数の60パーセントに及んでいる。1980年まで上昇してきた平均余命でさえ、停滞してきている。同じ状況は、イギリスでも存在する。サッチャー政権のもとで、250万人分の産業部門の仕事が破壊され、未だに、1979年と同じ生産の水準が、維持されている。これは、新しい機械設備の導入によってではなく、イギリスの労働者の過剰搾取によって成し遂げられてきた。1995年に、保健局長官ケネス・カルマンがこのように警告していた。「終身雇用制が無くなったことが、いろんな病気を引き起こすような伝染性のストレスを噴出させた。」
社会主義と国際主義
ここ数年、経済学者たちは、好不況の景気循環をひとまとめに無くせる万能薬と思い込んで、「グローバリゼイション」について多く語ってきた。こうした夢は、1997年10月の株式市場の崩落といわゆるアジアの虎たちの危機によって、閉ざされた。
このことは、日本の財政破綻がアメリカ合衆国を不況に追いやる事になりかねないがゆえに、他の世界にとっても深刻な意味合いを持っている。アジアの危機は、この地域に輸出品の44パーセントを売りさばいている日本に、特別の厳しさを持って影響する。株式市場の崩落の結果として、日本の金融システムの根深い弱点が前面に躍り出た。それなのに、日本は世界でもっとも重要なリーダーである。日本の5つの大銀行が、いま、実際上、支払不能になっていると見られている。日本の財政・金融日刊紙のトップである日経新聞によると、現在、日本の全銀行の不良債権は、驚くなかれ、1.5兆円になるという。金融崩壊の危険は、日銀の高官によってさえ認められている。その高官は、エコノミスト誌(97年11月22日)に「制度的な危機に陥る明確な状況が存在した。」と語った。もし、こうした危機が、アメリカからの大量な資金の引き上げに導くならば、破局的な結果をもたらすであろう。
これらすべては、「グローバリゼイション」の裏面を示している。資本主義体制が、世界経済を発展させる程度に応じて、同様に、壊滅的な世界不況の条件が、ある段階で準備される。世界経済の一つの地域での危機が、(この場合アジアであるが、)他の地域に急速に拡大する。グローバリゼイションは、好不況の景気循環を無くすどころか、危機をもたらし、危機に一層、発作的で、全般的な性質をさえもたらしているのである。
『共産党宣言』を読めば、誰でも、マルクスとエンゲルスが、150年も前に、こうした状況を見通していたことを知ることができる。資本主義は、世界体制として発展するに違いないと彼らは述べている。今日、この分析は、事実によって見事に確証されてきている。現時点において、誰も、世界市場の完全な支配を否定することは出来ない。実際、これは、我々が生きている時代の最も決定的な現象なのである。『宣言』が書かれた当時、事実上、こうした仮説を支持する経験に基づいたデータはなかった。ただ、イギリスでのみ、資本主義経済の本当の発展が存在したのである。フランスやドイツ(これらの国は、統一国家としてさえ存在していなかった)の初期の産業は、依然として、高い関税障壁で保護されていた。この事実は、経済解放の必要について、西ヨーロッパの政府や経済学者たちが、他の世界に厳しいお説教をしている今日では、都合よく忘れ去られているのである。
改革と革命
「これまで存在した社会の歴史は、階級闘争の歴史である」と、『宣言』はその最も有名なフレーズの中で述べている。長い間、この考えは、流行遅れであると多くの人にみなされてきた。第二次世界大戦後の資本主義が発展した長い期間、高度の産業経済のもとで完全雇用、生活水準の上昇、改革(福祉国家?を想起せよ)があり、実際、階級闘争が過去のものであるかのようにみなされた。当時の労働党の首相であったハロルド・ウィルソンは、我々はハイゲイト墓地(マルクスの墓がある、ここでは過去のマルクスの著作・主張のことを指している−訳者)の中に解決を探してはならないと、明言した。この時、到来したのは、1973 -1974のいわゆるオイルショック、つまり1945年以来初めての、本物の景気後退であり、同じように「過去のもの」と言明された大量の失業者の再現であった。それ以降、資本主義は、1980年代の一時的なレーガン景気にもかかわらず、1948年 -73年の黄金の歳月のような成長、雇用、生産的投資と同様の水準を決して回復してはいない。そしていま、1930年以来、初の、世界的不況の様相に直面している。新しい経済の下降の以前でさえ、ドイツの失業者は、ヒットラー以来、初めての450万になっている。フランスでは、失業した労働者が、職業センターを包囲している。もし、これが、現在の状況ならば、新しい不況が牙をむき始めた時には、一体、何が起きるのであろうか。 まさに、チャールズ・ダーウィンが、種は不変なものではなく、変化し、進化する過去と現在と未来を持っていると述べているのと同じように、マルクスとエンゲルスは、ある社会体制は永遠に固定化されたものではないと述べている。その事は、全ての時代の幻想なのである。全ての社会体制は、自分が、人類にとって、唯一つの可能な存在形態を表現していると信じている。その制度、宗教、道徳は語られ得る最後の決め言葉である。それは、人食い人種、エジプトの予言者、マリー・アントアネット、ツアー・ニコライがすべて熱烈に信じたものなのである。それこそ、ブルジョアジーと今日の労働運動の右翼の擁護者たちが、いわゆる「自由企業」の体制だけが唯一の可能な体制であると、浅薄にも請け合い、証明しょうと願望していることなのである。まさにそれが沈み始めているその時に。
過去20年間、経済についての決まりきった宣伝文句がくり返されてきた。それは、我々にこう請け負っていた。計画化された社会主義経済の思想は、死んだものだ。「市場」はそれ自身の働きによって、失業の問題を解決し、平和と繁栄を世界にもたらすであろうと。しかし21世紀のとば口にある今や、現存の秩序は、第三世界はもちろんのこととして、大多数の人々にたいして、最も基本的な人間の必要ごと−仕事、生活賃金、住居、世間並みの教育、健康保険、適切な年金、安全な環境、きれいな水と空気−さえ保証できないという真実が、人々の上にのしかかり始めているのである。こうした秩序は、確実に批判の俎上にのぼせられるに違いない。現存の秩序から甘い汁を吸っている人々が既得権益を守らんがためになすまがいものの議論の洪水に目をふさがれることがなく、現存の秩序が未来永劫続くなどと信じない思慮深いすべての人たちによって。
『共産党宣言』の中心問題は、まさに、資本主義体制は永遠ではないというその革命的なメッセージにある。これこそ、現体制の擁護者たちが、取り消すのがもっとも困難だと気づく要点である。当然である。それぞれの社会・経済体制が、その体制が社会発展の、まさに最後を代表しているとみなすのは、ありふれた幻想である。庶民の観点からでさえ、そうした見方は、明らかに欠陥がある。もし、我々が、自然の中のどんなものでも変化し得るという考えを受け入れるのなら、どうして、社会は別のものであろうか?
今日、「進化論」の考えは、通例、少なくとも、教育を受けた人には、受け入れられてきた。彼の時代には、あれほど革命的であったダーウィンの思想は、自明のこととして、殆ど受け入れられている。しかしながら、進化論は、一般に、中断あるいは荒々しい大変動のない、ゆっくりとした漸次的な過程として理解されている。政治の世界では、この種の議論は、しばしば、改良主義を正当化するのに用いられている。事実の点から言うならば、こうした人類史の見方は、根拠のないものである。ほんのうわべをなぞるような歴史の検討によってさえ、漸次主義者の解釈が根拠のないものであることが示される。社会は、自然と同じように、ゆっくりとした、漸次的な変化の長い期間を知っている。が、同様に、諸過程の変化が、法外に加速される戦争や革命を伴った爆発的な発展によって、その流れは遮られる。実際、歴史的な発展の主な原動力として演ずるのは、こうした諸事件なのである。そして、革命の根本的原因は、ある特定の社会経済体制が、その限界に到達し、以前のように、生産諸力を発展させることができなくなっているという事実にある。こうした地点にまで到達した時(そして、資本主義によって、既に、その地点に到達していることが、全ての事がらが示している)、舞台は、巨大な社会的、政治的大変動の時代のために準備されている。古い思想と偏見の全ては、急速に掘り崩される。大衆の意識は24時間のうちに変わり得るのである。
マルクスとエンゲルスとが、『共産党宣言』を執筆した時、彼らは、それぞれ、29歳と27歳の青年であった。彼らは、暗黒の反動の時代の中で書いていた。労働者階級は、見たところ動きがなかった。『宣言』は、著者たちが政治的亡命者として逃げることを余儀なくされたブリュッセルで執筆された。そして、『共産党宣言』が最初に日の目を見た1848年2月、まさにその時、革命は既にパリの街頭で勃発しており、それに続く数ヶ月、まるで野火のように、実質上、ヨーロッパ全体に広がった。現在、グローバリゼイションの過程が意味していることは、伝染病のように資本主義体制を悩ます危機はいぜんよりずっと深刻で広範なものになっており、電光石火のごとくある国から他の国へと飛び火し、地域社会、地方、国全体を揺り動かしていくということである。現在のアジアの危機は、まさにその警告である。モデル(「虎」)として持ち上げられたインドネシアや韓国のような国々は、いま、革命的発展の戸口に立っている。しかし、アジアの出来事は、ヨーロッパの世界の未来を鏡に映しだしているだけではない。未来の歴史家は、20世紀が幕を閉じる時期を振り返り、資本主義の下降線を前もって考えたマルクスの正確さに、感嘆するであろう。今一度、「ヨーロッパに妖怪が徘徊している」・・・他の世界でも同じように!
1998年1月27日 ロンドン
Message from Democratic People's Revolutionary Party - People's Revolutionary Army PDPR-EPR (Mexico)
同志のみなさんへ。
去る5月13日の通信を歓迎します。私たちはあなたがたが世界の帝国主義と搾取と闘うために、キューバの革命的詩人ホセ・マルティが述べているまさに「野獣の口」で努力し続けていることを知ってとても喜んでいます。この通信が6月21日までに間に合うことができず残念に思っています。それはしかし防ぎようのない不可抗力によるものです。以下手短に、感謝の意をこめて。
新自由主義は、搾取と飢餓と社会的病弊を悪化させ、従属を強制しつつ略奪し、わたしたちの国に重大な影響を与えています。それゆえ人民の回答として、好機をとらえて経験のある新たな革命組織が生まれ・発展することが求められてきました。
メキシコは、大陸における地勢的な位置から、いっそう狡猾で抑圧的な政府を有してきました。それゆえ、沈黙の年月の間にも我々の解放の叫びが持続してきました。70年代には、ゲリラ組織の根絶を押し進めることに伴い「汚い戦争」が引き起こされ、ほとんど700名の行方不明と暗殺と社会的政治的後遺症を後に残し、政治的自由と民主主義の低下、ただPRI政府だけによる権力の行使をもたらしました。
こうしたことに加えて、わが国の諸問題に関する政府の現在の行動は、恥ずべき傀儡として北アメリカの帝国主義とともに延命することにいっそう利害をもつものとなっています。では、経済、社会、政治の諸問題(極貧の増大、さらなる基本的人権の侵犯、生活水準の低下と寡頭制支配者たちの富の引き続く増大といった指標)を誰が解決できるのでしょうか?
反乱鎮圧の戦争と軍事的エスカレーションが社会全体をおおっており、独裁権力をいただき続けているラテンアメリカ諸国と同様の事態になっています。チアパス、オアクサカ、ゲレロやメキシコ各地のもっと広い範囲が軍事的標的となっています。政府がサパティスタ民族解放軍EZLNとの交渉による合意の実行を望まず、いきずまっていることは、その紛争の解決のために軍事力を行使することに執着していることの証明です。現在これに政治的排外主義の要素もまた加わっています。目撃者がいなくなるように、人民の虐殺が継続されています。
潜入者を使って、孤立化、分裂、消耗の方法で革命組織の絶滅を追求しており、そうしたことが抑制されることなく、しかも処罰されることもないのです。
われわれの側では、現下の政治情勢のもとで、国中で武装せる宣伝活動を巻き起こし、継続できると考えています。明確な目標をもってわが国の異なった勢力とともに政治活動を拡大し、さらに左翼の革命的諸組織や他の進歩的勢力とともに国際活動を発展させていきます。
軍が兵力を違った事態に振り向けることのない間は、戦争の防御的段階にとどまります。
我々の革命闘争を整える分析を基礎づけるために、まず最初にわが国の情勢を提示しようと望むとき、わが『共産党宣言』が今現在の情勢に有効でないように放置しておくようなことをけしてしないようにしなければなりません。なぜならば、理論は教条や生命力の枯渇したものではなく、躍動的で創造的なものであり、労働者階級の解放の武器だからです。イデオロギー的基礎は、大多数が賛同し、我々がそれを可能にできるもので、抵抗し、勢いを得、我々の闘いの根拠を基礎づけるための道具です。
この文書が第一級のものだと見なされないことを願い、わたしたちもあなたがたにそうするように、我々にたいして思っていることについて我々に尋ね、我々の欠点を指摘してくださるよう期待しています。賛同できる基本的な考えだけでも受け止めてもらえるように、我々の文書をもっと早く発信でき、あなたがたのところに届けることができていればよかったと思っています。
民主人民革命党−人民革命軍から友好的・革命的な挨拶をおくります。
メキシコ共和国 1998年7月6日
6・21『共産党宣言』150周年集会を組織し、その活動を支援する方々に 心からの挨拶をおくります。
新しく創設したわたしたちSIGLOは、フィリピン独立の時期の革命的英雄たち の遺産を継承し、フィリピンの労働者階級と一般の人々の福利の向上を目指して います。
全世界の労働者団結せよ! は、資本主義が興隆して以来、世紀を越えた叫び となっています。ブルジョアジーにとって、巨大な発展と変化がありました。ブ ルジョアジーは世界中で生産と金融資本の結合を成し遂げてきました。
まさに来るべき世紀は、あらゆる形態の闘いにおいて、すべての国の労働者階 級の緊密な結合が成し遂げられるべきです。
イデオロギー、戦略、指導者の相違が、搾取社会の変革における労働者人民の 根本的利益の上に立ってはなりません。
グローバライゼイションの挑戦を受け止め前進すべきであり、またそうしない わけにはいきません。それぞれの国で、社会主義運動の再考、新生、再生のため の活動に拍車をかけ、統一を実現しましょう。
あなたがたの6・21集会が、建党協議会CECOPのネットワークの新たな組織 的統一へとつながるよう願っています。
さらにパワーを!
親愛の情をもって。
アレックス・ウマラス(SIGLO総書記)