| ソマワンサ・アマラシンハ 人民解放戦線JVP議長(スリランカ) |
| 栗木 安延 (専修大学教授) |
| 生田あい (共産主義諸グループ/建党協を代表して) |
親愛なる兄弟姉妹たち。
1848年に『共産党宣言』が発行され、共産主義運動の一大ステップとなって以降150年がたちました。『共産党宣言』は、これまでの時代も、これからの時代も、人類にとって大切なものとなっています。
この150年の歴史を15分で話すように要望されましたが、10年間を1分で話すことになります。
今年、1998年6月21日、日本の共産主義組織、活動家、学者などがこの集会を組織しています。私が、スリランカ民衆とJVPを代表して、この集会に挨拶をおくることになったことは、国際主義者として、大変嬉しいことです。
『共産党宣言』は、世界各地の労働者団結せよ、という非常に大切な呼びかけをおこなっています。
この呼びかけは、ただ大きい声でくり返すためだけのものでもなく、この後ろの看板に書くためだけのものでもありません。それだけでは完全に空文句になってしまいます。
これは実践の呼びかけであり、実現可能な呼びかけです。
人類が生み出した大切な二人の教師であるマルクス・エンゲルスが呼びかけた「世界各地の労働者団結せよ」の言葉の中には、今まで書かれた膨大な本や、これからも書かれる膨大な本によっても語り尽くすことが出来ない内容がこめられています。この呼びかけは、単なる言葉ではなく、実践の指針です。
国際共産主義運動が始まった頃から今日まで、マルクス・エンゲルスをはじめ、世界中に生まれてきた国際主義者が行ってきたこと、今日も行っていることは、この呼びかけを実現することです。
党宣言以降の歴史は、世界中に散らばっている労働者が団結に向かう歴史でしょう。また、その歴史は、この団結の発展と敗北の歴史とも言えます。
労働者の団結が発展したとき、共産主義組織は発展し、勝利しました。他方、労働者の団結がなくなったとき、共産主義運動は後退し、日和見主義が形成されました。世界中の共産主義者は、大変な敗北を経験し、血と汗を流しながら巨大な犠牲を払ってきました。
この集会での、この時間は、このことをきちんと考えることを我々に求め、そのことを試しています。
我々が闘っているのは、世界中に蔓延している資本家階級のやり方に反対だからです。
党宣言は、次のように書いています。
「自分の生産物の販路をたえず拡張していく必要にうながされて、ブルジョアジーは全地球上を駆けまわる。彼らは、どこにでも腰をおろし、どこにでも住みつき、どこにでも結びつきをつくらなければならない。」(マルクス・エンゲルス全集第4巻p.479)
マルクス・エンゲルスが党宣言で書いたことは、今日でも正しいと言えるでしょう。
このインターネット時代の中、この世界は小さな村になりました。これは非常に良いことです。「ブルジョアジーは自分の墓堀人をつくり出した」と党宣言は述べています。それは事実です。
たとえば、資本家階級がインターネットを必要としてのは、多くの利潤を得るためでしょう。しかし、国際主義的な労働者にも、このインターネットは、今日大切なものになっています。今、日本の労働者が、インターネットを通して、スリランカの労働者と結びついて活動を行っています。スリランカで起こったことは、すぐに日本の労働者にわかり、日本で起こったことは、すぐにスリランカの労働者にわかります。
世界の労働者が団結するための闘いにとって、非常に有利な武器を、資本家階級が数多く作ってくれています。
今、必要な国際的な組織を我々が作り出しましょう。
党宣言は、次のように言っています。
「ブルジョアジーは、世界市場の開発を通じて、あらゆる国々の生産と消費を全世界的なものにした。産業の足もとから国民的な基盤をとりさって、反動家どもを、いたく嘆かせた」(マルクス・エンゲルス全集第4巻p.479)
ここで言っているように、すべての国々の労働者は、それぞれの国での闘いと共に、国際的な闘いも押し進めなければなりません。その闘いを組織するために、そのためのセンターが欲しいと強く希望しています。
レーニン死後、国際共産主義運動は、いろいろな勝利を実現しました。しかし、今では、帝国主義が勝利しています。すべてを総括してみると、レーニン死後、国際共産主義運動は後退しています。それは、共産主義運動が左右の日和見主義に陥ったからです。国際共産主義運動の一部が、ブルジョア政府に入ったこと、またもう一方の翼が、極左的な運動に陥ったことです。資本家階級の攻撃によって、この双方の影響下で多くの血が流されました。
国際共産主義運動が弱くなってきたため、イタリアの赤い旅団、ドイツ赤軍、日本の赤軍のような組織が登場しました。それぞれの組織の過激なやり方は、世界の民衆の反発を受けました。
帝国主義が世界中に飢えや失業を広げています。資本家階級・帝国主義が、この民衆の問題を解決できないことは、民衆には十分わかっています。
急速に成長していた韓国の経済が倒れました。タイ、マレーシア、インドネシアの経済も倒れました。世界中で一番強力な経済をなしてきた日本も大変なことになっています。フランス、ドイツ、イタリア、英国でも何百万人が失業しています。社会問題が大変大きな問題になっています。
スリランカなどアジア、アフリカ、ラテン・アメリカなど第三世界諸国の状況は悲惨です。
世界の民衆にとって深刻な問題をもたらしている社会システムをこのまま残すのか、打倒するのかを考えなければなりません。
世界中の民衆が、そのことを考える状況になりつつあります。
世界中の民衆が、そのことを多く学ぶことができるように我々は活動しなければなりません。
そのためには、『共産党宣言』150周年の本年、我々はセンターを準備しなければなりません。
今年の11月、世界中の共産主義者をスリランカに呼んで、このセンター建設の討議を行うことを我々は準備しています。
私が日本に来て、あなた方に挨拶を送ることができたこの集会は、日本の労働者にとって大変良い日であると思います。
我々JVPは、バラバラになっていた共産主義者に、どこでも呼びかけてきました。小さなグループに分裂していることは、意味のないことです。これが我々の言いたいことです。
日本の同志たちも、このことを考えてほしいと思っています。
今、この集会によって、あなた方は力をもってきているでしょう。
たぶんこれまで、あなた方は、お互い違っているところをさがし合ってきたのだと思います。
しかし、今、私が言いたいことは、日本の民衆のことを考えるあなた方は、互いに同意できる部分が90%あるだろうということです。同意できないところは10%くらいでしょう。
民衆と共に進むために、なぜあなた方はお互いに同意できないのですか? 一つの組織、一つの党になぜならないのですか? 今日、この集会が終わるまでに、この問題についての回答が探求され、得られることを私は願っています。
別々に闘ってきたあなた方が、いっしょになって闘いを開始して下さい。
その時、あなた方は、統一が生み出す力を実感できると思います。
民衆のために、誤りのない党ができるのは闘いの中だけです。
この日本の民主主義を活用して出来ることは数多くあると思います。
民衆が広く学ぶことは、民衆の闘いが敗北せずに進んでゆくために重要でしょう。そのことによって民衆を一つの旗の下に組織することができるでしょう。
活動家が、自分の課題をきちんと果たしてゆけば、そのことが可能になります。
あなた方は、世界各地の労働者団結せよ、という呼びかけを支持できると思います。
日本のプロレタリア万歳!
スリランカのプロレタリア万歳!
日本−スリランカのプロレタリア万歳!
世界各地のプロレタリア団結せよ!
【以下は、当日の発言そのものではなく、配布された文書です。資料部分は省略してあります。】
l)「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」は、社会科学の思想・基本理論になった.社会運動史や社会運動論が社会科学の総合的分野の座にある
2)資本主義の階級闘争
ブルジョアとプロレタリアの二大階級対立
(1)ブルジョアの歴史的進歩性……p.封建制打倒 Gemeinschaft 共同体の解体
人間を前近代的束縛から解放 自由平等連帯
と
反動性……n.Gesellschaft 孤立分散
商品・貨幣=物象化・疎外形態で依存しあう
(2)生産力の飛躍的な拡大 富と貧困の依存関係
絶えざる変革 搾取と疎外関係の変動
(3)世界市場 発展途上国を従属させる
多国籍企業の専制的な支配 [『世界』'98.5]
(4)生産力と資本主義の生産関係・ブルジョア的所有関係との矛盾拡大
αポスト・フォ一ディズムの経済循環の不調 失業率の上昇 貧富の格差の拡大
資本主義制度疲労 フォーデイズムに代わる循環軌道の敷設に成功していない
neo-liberalism アナクロニズム 市場の論理 invisible god hand
(時代錯誤) 規制緩和
調整能力喪失を意味する
貧困、特に失業の増加と中産階級の没落はファシズムの基盤になりうる
協同体的所有とは完全に逆方向で解決を求めるのがファシズムではないか
国労弾圧や日本型企業社会の労働組合抑圧はファシズムの兆候歴然と示唆するもの
金融資本はファシズムの側に立つ
βME=情報革命の技術革新のテンポの速さ 個別資本では対応しえないほどの情況
ソフト技術の私有、知的所有権の対象設定は無理
3)プルジョア革命の必然性を承認すれば、それはプロレタリア革命の必然を論理的歴史的に認めるほかにない 封建的差別否定は資本主義的貧富の不平等否定を必然化
ブルジョア革命 自由・平等・博愛(他人の自由平等)
資本主義制度 真実の自由・平等・博愛は実現せず貧困・貧富格差
(1848年2月革命と6月事件に最も集約されるブルジョアとプロレタリアの自由平等の共通性と対立)
4)労働者革命
(1)私的所有の廃止 従来、生産手段共有化さえすれば社会主義は自動的に実現するかのような考え方が支配的
A 労働者革命 プロレタリアを支配階級の地位に高め、民主主義獲得
生産手段をプロレタリアの支配する国家へ没収
平和的な方法もありうる『共産主義の原理』16問[資料1]
B 専制的な侵害をプロ独裁と見れば、経済的には不十分で永続しない方策 必要悪
私的所有の廃止は社会革命的に長期にわたる過程 『原理」17問[資料1]
C 国有化と公的権力の政治的性格の喪失(国家の消滅)との関連のなかで
『宣言』では国有化論中心とされてきた 国家による一時的没収の側面
金融・交通部門の国有化の側面
協同体的所有の萌芽(『共産主義の原理』14問)
D 協同体的所有 労働・所有の統一 個体的所有の再建
1847 共産主義の原理14問[資料1]
1857−1858 経済学批判要綱
1864 国際労働者協会(第1インターナショナル)創立宣言[資料2]
1867 資本論 1-1-3, 1-24-7[資料3]
1871 フランスにおける内乱[資料4]
1875 ゴータ綱領批判[資料5]
1877 アンティ・デューリング論
労働所有=人類史的法則 労働=所有の原則の復活 個人の独立(市民社会媒介)を経由しての協同体的所有 個人の自由を原則とする協同
協同体的所有は communism 実現の条件である
E カール・コルシュ 産業自治論 生産手段の共有化・労働者革命を前提にしない
労働者管理論として注目に値する 社会革命的な接近
1)第2章プロレタリアと共産主義者の最初の部分にある共産党の二つの対立的な側面をどう把握したらよいのか、長い間の課題
一般的な性格……他の労働者政党となんら変わるものではない.
労働者の運動を宗派的な型に押し込めるような存在ではない
特殊的な性格……前衛党であると読めるとすれば
国際的・全体的な視野
2)レーニン「なにをなすべきか」の前衛党論一本槍の規定と対立するのではないか?
前衛は本隊である大衆に外から共産主義思想を外部注入、大衆より一段上にあって指導する立場だと規定する.ロシア的な条件
しかしコミンテルン第三回大会でレーニンは各国党の指導者らに「日和見主義者になれ、大衆へ」統一戦線を提起.即ち前衛党の大衆化を目指すにいたる
マルクスらの共産党論に接近したかに見える、果してそうか
否、依然として大衆の上にあって指導する外部注入論的前衛の性格を持ったままの大衆化と見る.その後のソ連共産党の史的展開で実証ずみである
3)『宣言』一般と特殊の対立は容易に揚棄しえないダイナミック動態的な構造
一般的な労働者政党の機能を本質的に備えると同時に特殊前衛機能をワーク
前衛の共産党の一党独裁にはつながらない
* 前衛論 前衛は前衛に過ぎず、主体はあくまで本隊である大衆にあり!
後退局面ては後衛機能
4)コンミューン論 1872年ドイツ語版序文で修正を要する点として指摘
K.Korschのコムミューン論 プルジョアの革命組織をプロレタリアの革命組織に再編する論理に疑問を提起.協同体的所有のネットワ一ク形成
3.ME=情報革命のもたらしつつある変動
1)交通が階級統一形成の条件 情報通信 インターネットの効用 情報民主主義
2)同時にマスメディアによる情報操作だけでなく、きめ細かいdivide & rule
3)情報公開・開示の積極的意義
4)思想的理論的研究はマルクス主義的方法こそ最も有効適切
* 日本におけるマルクス主義研究の水準と広がりとコルシュ的な思想・理論と実践の課題
[資料1] フィリードリヒ・エンゲルス『共産主義の原理』(略)
[資料2] カール・マルクス『国際労働者協会創立宣言』(略)
[資料3] カール・マルクス『資本論』(略)
[資料4] カール・マルクス『フランスにおける内乱』(略)
[資料5] カール・マルクス『ドイツ労働者党綱領評注』(略)
【以下は、当日の発言そのものではなく、配布された文書です。】
討論の輪と行動の波よ、起これ!
『共産党宣言』について考える
生田 あい 共産主義者の建党協議会(略称セコップ)
『共産党宣言』公刊一五〇周年を記念する行事は、世界各地で企画されています。
処(土地)を越えてソ連邦崩壊以降の同時代に生き、同じ世界史的課題に直面しているマルクス主義者・共産主義者が、『宣言』をめぐってこうした討論を始めたことに大いに励まされながら、わたしたちも六月二十一日の記念集会をそうしたインターナショナルな流れの一翼を担うつもりで実りあるものとしたい。
(この文書は、セコップの機関紙〔六月十日号〕に公表したものに加筆したもので、わたしの個人的見解である)
建党協議会とは
共産主義者の建党協議会というのは、一九八六年、味方の四分五裂状態を克服し、社会主義革命の主体形成・革命の党の結成をめざし、その下支えの役割を果たすべく発足された協議会です。
この発足は、ある固定した閉ざされた組織としての「建党協」の発足ではなく、また「建党協」という名の「党」の発足ではありません。
多方面と協力しあい、ますます開いてゆき、協議の輪をひろげてゆく運動を本格的に展開するということです。
(「発足のあいさつ」より)
『共産党宣言』は、近代ブルジョア社会における産業革命の進展、四七年の世界的商業恐慌を原因として全ヨーロッパ的規模において爆発した四八年革命(フランス二月革命、ドイツ三月革命を頂点として)の前夜、この革命を闘うためにこれに間に合うように結成された共産主義者同盟の「党綱領」として組織的に闘い取られたものです。
マルクスとエンゲルスに最終的にその起草が委任されたものとはいえ、ヨーロッパ各地で亡命しつつ、闘っていた義人同盟から共産主義者同盟への「党的」飛躍に結集したヨーロッパ各地のプロレタリアと様々な主張をもつ「共産主義者」たちの集団的な共同討論の集約として生まれたという意味で、他のマルクスの著作とは性格を異にしています。当時、カール・シャッパーやヴァイトニングによってつくられていた義人同盟は、世界的な商業恐慌の足音が聞こえ始めた中で、四五年二月から四六年一月の約一年間に、「共産主義とは何か」「われわれは何を望むのか」についてヨーロッパ的規模での共同討論を呼びかけ、組織していました。
何故か。
三九年、オーギュスト・ブランキひきいる「季節社」の武装蜂起によるパリ市庁舎占拠が勃発し、パリの義人同盟はこの蜂起に参加し蜂起の敗北とともに壊滅していきます。義人同盟の指導者カール・シャッパーらはロンドンに亡命し、同盟の再建と敗北の総括からその一揆主義・テロリズムでは闘えないと戦術転換を追求し、ロンドンのチャーチスト主義者らとの連帯を深めつつ、労働者の共産主義的教育活動に重点を置く方向へ活動の重心を移しています。その義人同盟の戦術転換をめぐって、四五年前後、ジュネーヴに拠点をうつし、依然として「三八年蜂起」を受け継ぐ一揆主義・テロリズムでいこうとするヴァイトリング派とのヨーロッパ的規模での激しい路線闘争をおこなっています。
こうした現実の闘いの敗北を直接的契機として始まった路線闘争は、「フランスの自由」を掲げた市民革命の急進民主主義的左派にとどまるのかどうかという問題をもはらんで進展しています。つまり、自由主義・産業主義・社会主義の理念的原型であったフランス革命の「自由・平等・友愛」の「自由」が産業資本主義の発展とともに、一方での富の蓄積と他方での貧困の蓄積に結果し、これまでの「自由」の旗印は「ブルジョアジーの自由」であることがはっきりしてきたからです。
すでに『経哲草稿』から『ドイツ・イデオロギー』『賃労働と資本』の著作をもって、唯物史観・資本主義批判・共産主義論などその思想的祖型を形成しつつあったマルクスとエンゲルスが、彼ら自身の「ベルギー共産主義通信委員会」のヴァイトリング批判などの活動と論争の積極的組織化を媒介に合流し、共産主義者同盟の創成を積極的に推進していきます。
マルクスは、フランス革命の人権宣言のブルジョア性は、市民の権利は市民の身分をもつ人々の政治的国家における政治的権利にすぎず、その本質とするところは、市民社会における私的所有者=利己的人間の権利にしかすぎないこと、市民社会を支配するのは、私的所有の基礎の上で、ブルジョアジーであり、国家は彼らの特殊利害の政治的承認であると見ぬいた。ゆえに、「市民社会の奴隷制」を普遍的人権として承認するような近代ブルジョア社会と国家を批判して、マルクスは資本主義批判を通じて、このブルジョアジーの没落、そのブルジョア的所有の崩壊の必然性を明らかにして、ブルジョア的所有制・階級差別一般と階級支配の廃絶を目指し、そのためのブルジョア国家の批判と政治権力の獲得をテコとする過渡期の存在とその諸政策を示し、政治的解放から人間的解放への道すじを、共産主義として展望した。ここにおいて、資本主義がその胎内から、自らの「墓堀人」として形成するプロレタリアートを―「社会のあらゆる領域から自己を解放し、それを通じて社会のほかの領域を解放することなしには、自分を解放することのできない」―世界史的革命主体として発見し、その歴史的役割を明らかにしたのです。
こうしたマルクスの画期的な革命理論との合流の中で、義人同盟の集団討議は、それまでの単なるユートピアや未来社会・人間一般の原理から現状を規定する転倒した傾向から転換し、ヴァイトリングらの一揆主義・テロリズムとも分岐して、現存する近代ブルジョア社会・現存する資本主義への批判と根本的改造の階級闘争・革命の中に共産主義を展望し、構想する、『宣言』に貫かれた根本思想への大転換―自己脱皮を遂げることとなりました。
と同時に、これらの集団的討議は、迫りくる四八年革命の性格とその闘いの方向に関する点においても、大きな自己脱皮をとげていきます。とりわけ「単一不可分の共和国」を目標にかかげたドイツ革命を焦点として、当面する革命は、産業革命以後の高次な水準の「ブルジョア革命」であり、このブルジョア革命は来るべきプロレタリア革命の序曲」であること、それゆえに「ブルジョア的所有の終わりの不可避性とプロレタリアートの社会革命の必然性とその勝利」を確信するマルクスらの見地を共有し、その革命の連続性・永続性を確認する認識への。(「共産主義同盟中央委の「呼びかけ」)
こうした思想面において、当面する革命の性格についての連続革命的見地の確立による一九世紀社会主義運動・実践面からの脱皮と認識の面においての転換は、組織の面においても、プロレタリアート革命を推進していく共産主義者の独自の革命党の必要への合意へと進みました。
「共産主義者同盟」の結成と「共産党宣言」は、四八年革命の渦巻く激動の中に、あの有名な「いたる処のプロレタリア団結せよ!」の呼びかけをもって、資本主義の打倒・廃絶をもって階級と階級対立とをともなう近代ブルジョア社会にかわって、「一人一人の自由な発展が全ての人々の自由な発展の条件となるような協同社会(アソシエーション)」=共産主義社会の実現をめざし、そのための共産党の創建を呼びかけた近代プロレタリアートの初めての「鬨」の声となったのです。
『宣言』のマルクス的共産主義の理念は、人類史に脈々と形成されてきた生産者階級の解放思想の一つでありながら、それ以前と自己を画する近代ブルジョア社会の変革をめざす共産主義思想の誕生であり、ここにマルクス主義に自己表現される近代プロレタリアートの共産主義運動がその初々しい産声をあげ、その出発を告げたのです。
以来一五〇年、この思想は、パリ・コミューンの経験、マルクスの『資本論』の資本主義批判・インド論・共同体論をはじめ非ヨーロッパ世界の分析等によって深められ、ロシア十月社会主義革命におよる世界史上初めての労働者階級独裁の政権樹立とその社会革命、その後に続く中国人民革命をはじめ二十世紀の諸革命によって現実のものとなった。それは資本主義を根本より改造しようとして血と汗を流して闘うものの土根性の核心に燃え続け、それら先人たちの諸実践の総体をも意味するものです。
一五〇年後の今日、ロシア革命に始まる「二十世紀社会主義」の大崩壊の現実の中で、『宣言』に対する評価・解釈は様々にあります。
そもそも大崩壊の元凶は『宣言』にあり、唾棄すべきものであるという極端な意見もあります。
わたしたちはもちろんそうした態度をとりません。しかし、と同時に、いつの時代にも、全ての真理がここから光輝いて降りてくるというようなものとして、つまりこれを聖書か教典のように神棚にまつり、崇拝するつもりもありません。マルクスの方法においては、そうした物神崇拝的な態度こそ、マルクス自身が最も闘った当のものであるからです。
『宣言』はその誕生の過程でみたように、革命家マルクス・エンゲルスをはじめ多くの名もなき革命家とプロレタリアートの生死をかけた血と汗の結晶であり、四八年革命への決意と闘争宣言でした。日本でも戦前堺=枯川・幸徳秋水が初めて訳した時には、生命がけであり、『宣言』は当然「固禁」の書でした。
ですから、『宣言』の中にある思想的生命力は、これを聖書のように読む態度からではなく、今日、ただいま、めぐりめぐって、資本主義の世界市場恐慌の今日的爆発を迎えようとしている中で、当時のマルクスらが四八年革命に対応すべく『宣言』を獲ち取って闘っていったように、いかに資本主義打倒のプロレタリア革命とその革命党を準備するか、その切迫した実践的問いかけの中に、その原石のもつ本来の光が、わたしたちに向かって放たれてくるそういう実践的性質のものに他なりません。
『宣言』以来一五〇年、マルクスらが想像することもできなかったような大きな根本的変化がありました。
その一つはパリ・コミューンの地平を引き継いで実現されたロシア十月社会主義革命や中国革命など「二十世紀社会主義」の変質・崩壊の中ではっきりした様に、共産主義者と共産党が「赤いブルジョアジー」「新たな支配権力」へと変質したということです。
もう一つは、プロレタリア革命が闘ってきた当の資本主義が「危機の中で発展」し、大きな変貌を遂げ、それはそれで近代プロレタリアートの階級構成・階級的意識・階級闘争の変化をもたらしているということです。
このことについて簡単に触れておかねばなりません。
八九年〜九一年天安門事件・ベルリンの壁の崩壊からソ連共産党の解散を機に、ソ連邦をはじめ、「二十世紀社会主義」の大崩壊は、全世界の労働者人民の中に深い衝撃と沈滞を、そして思想的混迷をもたらし、現在もなお、それは続いています。
記念集会の「共同よびかけ」は、この大崩壊の内的・主体的原因を、そしてそこに生きたわたしたち自身の内省をこめた総括を抜きに、わたしたちは一歩も前に進むことはできないと言明し、それはこの集会を主催するものの共通の認識となっています。
これらの総括は、いろいろな視点から導き出されうるし、またすでに出されてもきました。
わたしはこう考えてきました。
「二十世紀社会主義」に共通して貫かれている誤りの中心・核心点は、共産党が国家と癒着し、プロレタリアートを代行し、そして変質し、革命の大衆的創造物であったプロレタリアートの大衆的独裁が「共産党一党独裁」にすり替えられていることにある。しかもこの社会主義の仮面をつけた「一党独裁システム」が、理論化・体系化されて「輸出」され、国際共産主義運動の誤りとなって世界に普遍化された。長きにわたって社会主義の理想の反対物に転化したものを社会主義として詐称することを許してきた責任は共産主義者にある。この変質の原因を、ロシアや中国などの後進性、帝国主義諸列強の包囲と反革命的策動などの客観的諸条件一般にすりかえることはできない。と―
なぜマルクス主義に立つ共産主義者がこうした詐称を許してきたのか、その変質と挫折の内因を、スターリン主義を中心とする「公認のマルクス主義」にまでメスをいれ、マルクス主義の自己革命をはらむ質の問題として、考えねばならないのではないでしょうか。
本来ならば、ロシア十月社会主義革命に始まる「二十世紀社会主義革命」の壮大な闘いを、一九世紀後半の産業資本主義から二十世紀の資本主義的帝国主義への資本主義の移行過程における彼我の攻防関係の中に、二十世紀のロシアプロレタリアをはじめとする世界のプロレタリアートと共産主義者が、いかなる路線・政策・戦術・組織をもって闘っていったのか、その具体的分析が必要です。ここではそれを展開する余裕がありませんので、結論のみを述べます。
その理論的問題は次のようなところにあったと思います。
つまり、ブルジョア的私的所有の廃止のための生産手段の社会的・共同的所有の問題が、「国有化形態」と計画経済一般に切り縮められるいわゆる「国有化社会主義論」、「アメリカに追いつけ追いこせ」に象徴される生産力主義と大量生産・大量消費の「アメリカ型ライフスタイル」モデルへの追随、プロレタリアをはじめ民衆の「公共」や「生活」の立場からではなく、「国家」を変革の中心軸にするような国権主義的傾向、パリ・コミューンで発見された過渡期における解放のためのプロレタリアートの大衆的独裁を「党を通じた独裁」と考えたこと、そしてインターナショナリズムの否定と「一国社会主義論」等の誤りです。
スターリン主義は、これら誤りの極限でもあり、その集中的・政治的表現としてある、党の国家化・「共産党一党独裁」の成立を、スターリン憲法に「共産党の指導」と法制化し、明記することで、本来志に結ばれた任意の組織であるはずの共産党がプロレタリアートの上に君臨することを法の下に制度化し、同時に「指導思想」はマルクス主義と立法化することで、マルクス主義を、革命と解放のイデオロギーから労働者人民を支配し、抑圧する国教へとすり替えたところにあらわれています。ここにマルクス主義を方法として革命のために奮闘するはずの共産主義者の革命の志は、権力と致富のための野望にすり替えられ、共産党指導層は、ノーメンクラトウラという特権的な赤いブルジョアジーに転化したのです。
この同じ誤りの根は、東欧革命・中国革命へ、そして現在の北朝鮮にまで波及し、共通するものとなっています。
(そうした誤りが、なぜ、どのように支配的となっていったかについて、ソ連社会主義の変質の過程を一つの例として分析した 資料『共産党一党独裁の歴史的教訓について』を参照していただきたい。)
こうした問題の根深さ、深刻さは、荒っぽい言い方をすれば、一九五〇年代半ば、スターリン主義に抗して、反スタ・マルクス主義として誕生したいわゆる「新左翼」、「革命的左翼」のその政治上の小ブルジョア急進主義、戦術上のテロリズムや内ゲバ主義にあらわれた思想と体質の根本においてもこうした誤りから大なり小なり決して自由ではなかったというところにもあらわれています。
こうした二十世紀社会主義の大崩壊の根っこにある誤りの自己切開・問われた問題から、今、『宣言』と向き合い、考えてみます。
ロシア革命に始まった「二十世紀社会主義」の歴史的経験は、決して共産主義段階のものではなく、マルクスが『ゴーダ綱領批判』で述べているように、資本主義社会から共産主義社会(その低い段階としての社会主義)へのそれもその初期的段階・過渡期においての史上初めての壮大な試みと挫折です。
『宣言』におけるマルクスの共産主義は、「すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」の冒頭の有名な一句に象徴されるように、それを近代プロレタリアートの資本主義を打倒し、近代ブルジョア社会を根本的に改造し、私有財産制と階級そのものをも廃止するプロレタリアートの階級闘争の実践総体、その大衆的創造物としての協働体・協同社会を展望するものであり、それは同時に、そこにいたる政治的過渡期と継続革命を一つの構成とする思想です。ですから、『宣言』には、その第二章で後のマルクスの『ゴーダ綱領批判』ほど明確でないにしろ、プロレタリアートが政治権力を獲得した後の過渡期と過渡期の一〇項目の政策が提案されています。これは無政府主義とのちがいでもあります。
スターリン主義の、その「一国社会主義論」と「スターリン憲法」による「階級・階級闘争消滅論」は、このマルクスの共産主義と過渡期の肝心の思想を掘りくずし、投げすてたものです。
マルクスには社会主義という固有の独自の社会経済構成体という考えはないのです。今わたしたちが社会主義革命というのは、目標を共産主義社会の実現におき、資本主義社会から共産主義社会に向かうプロレタリアートの政治権力の獲得を政治的節目とする、大過渡期における資本主義を廃絶するために闘うプロレタリア大衆のトータルな革命過程です。
ですから、この過渡期は、その共産主義の目標によって規定されるものでもあります。
こうしたことをはっきりさせて、その過渡期における「二十世紀社会主義」の負の教訓との関係でみていきます。
まず第一に、その中心問題となった〈解放のためのプロレタリア権力の変質・共産党独裁〉の誤りとの関連で。
『宣言』にはこう述べられています。
「共産主義者は、全プロレタリアートの利害と別個の利害をなにももっていない。共産主義者が他のプロレタリア政党から区別されるのは、一方でプロレタリアートの現実の国民的闘争において、国籍に左右されない利害を追求し、他方でプロレタリアートとブルジョアジーとの闘争が経過する種々の段階において、つねに運動全体の利益を代表する。」「共産主義者の当面の目的は、すなわち、プロレタリアートの階級への形成、ブルジョアジーの支配の転覆、プロレタリアートによる政治権力の獲得である。」「プロレタリアートは、革命によって自ら支配階級となり、旧生産関係を暴力的に廃止するが、この生産関係の廃止とともに、〜階級としての自分自身も廃止する」と。
ここにはプロレタリアートが「支配階級になる」はあっても革命で「権力になる・国家になる」という思想はありません。まして共産主義者がプロレタリアートにとってかわって、「権力になる」「国家になる」という思想もありません。
この「プロレタリアートが支配階級になる」という意味での政治権力の獲得の内容は、後にパリ・コミューンの歴史的経験をてらしてマルクス自身が「労働者階級は、できあいの国家機関をたんにその手ににぎり、それを自分自身の目的のために使うことはできない」と『宣言』の序文に書きしるした様に、パリ・コミューンのプロレタリアートたちが創り出した常備軍の解体と民兵制、公務員の完全な選挙制・解任制と特権の廃止など、いわゆる「コミューン三原則」を実態として考えられ、深められていることははっきりしています。
後にそれは「自由は、国家を社会の上位にある機関から社会に完全に従属する機関に変える点にある。さまざまな国家形態は、それが『国家の自由』を制限する程度に応じて、より自由ないし不自由である」とした『フランス内乱』で出したマルクスの「国家そのものの革命=国家権力の社会による吸収」の思想に発展させられています。今あらためてこうした思想が復権されるべきではないでしょうか。
また、プロレタリアートの社会革命の方法が、「国家」の立場からなのか、「生活」とか「社会」の立場からなのかにかかわる問題は、先に挙げた生産手段の資本家的私的所有を社会的共同所有に変える問題とも関連しています。これを形式的に「国有化」の形式一般にすりかえて、実態はこの国家の実権を簒奪した共産党官僚による「占有」となり、赤いブルジョアジーの専制支配としての「共産党独裁」の物質的基礎をつくっていったからです。
つまり、ここにおいて、問題の核心は、労働し、生活するプロレタリアートが本来の社会の主人公として、自らの労働と生産・分配・流通・消費・廃棄に至るまでのその万般のことを形式としてではなく実態として、自己決定し、自己管理し、つまり自治しているか―ここにこそ過渡期における共産主義へのプロレタリアートの社会革命とその政治のメルクマールはあったはずですから。
最近こうした「国有化社会主義論」の総括とそれをのりこえようという問題意識から、「アソシエーション論」が出されています。アソシエーションは、マルクス主義にとって主に、共有性や平等性に重心をおくコミューン思想とともに、結合性・協働性に重心をおく、共産主義本来の志向です。そうした見地から、『宣言』の共産主義社会の構想としての「協同社会」「協働体」の思想的核心の復権・発展を意図するものである限りにおいてわたしは賛成です。しかしながら、一部の論者には単なる未来社会論へ逆もどりし、結果としてはマルクス主義の共産主義思想の地平をあいまいにしていく誤った傾向もあり、そうした傾向にわたしは反対です。
マルクスらがそれ以前の共産主義思想の未来社会論的弱点を批判して「共産党宣言」の思想的地平を獲得してきた経過からみて、何よりも『宣言』の「協同社会」(アソシエーション)は、資本主義打倒・ブルジョア国家機構の粉砕・プロレタリアートの新しい自治の政治権力の創出、それをもっての過渡期と過渡期の経済・政治・文化のトータルな継続革命を媒介して提出されているのであって、そうした革命と過渡期の問題を欠落させたままでのアソシエーション論では、「二十世紀社会主義」の負の教訓から学ぶのに、肝心のことをずり落としていくことになると考えるからです。
では、この過渡期における所有とプロレタリアートの大衆的独裁の問題でわたしはどう考えるのか。詳細を書く紙数がありませんので、結論だけをいいます。
ブルジョア的私的所有制を廃止し、「社会的所有」に変えていくその内実について、これまでの所有の国権主義、法的形式へのすりかえを戒め、その実態を、「自由な協同労働」に結ばれていく中で形成されてくる「多様な協同関係と協同諸組織」とその編成によって形成され、創造されていく「協同社会」の諸形態をとるであろう共同所有に移行させていくこと。つまり、大衆が自律し、「生産者大衆の協働体」の社会的自治として実現し、生産と技術の質をかえ、生産と労働の本質を奪還していくことだと。
この際当面する社会主義革命で現存するブルジョア国家を打倒した後の過渡期の権力についてはマルクスがパリ・コミューンの経験から学んだように、旧い国家機構の官僚制・政党制を前提にした上からの大衆の統合をめざす代表制(委任制)でなくて、先のコミューン原則とともに、下からの「派遣制」をとって、プロレタリアート(生産者)大衆が下から不断に権力を社会的にチェックし、権力を社会に再吸収し、溶解させていく過程を促進していく社会革命・文化革命の観点が重要だと考えます。要するに、民衆のことは民衆の自己決定にまかせ、生産協働組織や地域単位の自治組織に、その運営の万般を委ねていく方向です。こうした方向への志向は、一五〇年後の現在、ブルジョア的国民国家とブルジョア議会制民主主義の統治システムの腐敗への批判として、沖縄をはじめ、全世界で、住民投票など直接民主主義の志向の中に胚胎し始めているとみます。勿論、その延長上に、新しい解放権力が革命なしに形成されるとは考えませんが。
現在の『宣言』をめぐる新しい解釈や評価の中で際だった特徴に、『宣言』は党の宣言ではなく『共産主義者宣言』とその名称をかえて読みかえた方がよい」とする主張があります。
この問題について考えてみます。
この新しい解釈の理由は大きく整理すれば次のようになります。
「『宣言』は国際組織である共産主義者同盟によって出された文書で、ドイツ語原文では確かに『党宣言』となっているが、その後マルクスらによって「共産党」と名乗る党がつくられたこともないし、それが目指されたことはない」、あるいは別の解釈では、『宣言』の第二章の「共産主義者は他のプロレタリア政党に比べて、特殊な党ではない」に始まる一連のくだりの解釈をめぐって、「他の労働者党に優越するものではないが、それと並ぶもう一つの党をつくる」という理解と、「別個の集団として共産主義者からなる党をつくらない」との二通りの理解が成り立ち、新解釈としては、マルクスらは共産主義者の独自の党を否定しているというものです。
どうもこれらの新解釈は、「党」というものを前提的に二十世紀に顕著となった近代国民国家とともに形成される国民政党という概念と実態を“ものさし”にして、マルクスらがこの党をつくろうとしていたのかどうか、いや、そういう風には考えてない。『宣言』ではだから共産主義者が独自の党をつくることを否定しているんだ、とすべっていき、実践的には、「共産党」という共産主義者の独自の党の必要と役割を否定していくことに結果しています。
つまり、『宣言』のもつ共産主義の新しい理念の創造とその理念を掲げて全世界のプロレタリアートの団結のために、その団結を推進していく核心部分としての共産党の創建の呼びかけの一個不可分のものを、党の部分だけ切り離して、否定し、それがマルクスらの志であるとする主張です。
これは誤っています、二重の意味で。一つには、マルクスらの実際の共産党創建への苦闘の歴史的事実をないものとして消し去る誤りと、二つには、一五十年五の現在の新しい緊要な課題となっている新たな共産党の創建の課題を、マルクスの名において否定するという意味で。
勿論、こうした主張が出てくる背景には「二十世紀社会主義」の崩壊の中でのソ連をはじめ共産党が「共産党一党独裁」に変質したそれに対する民衆の怒り・批判・反撥・嫌悪が拡く存在しているという問題が横たわっています。そしてそれは、資本主義の側からの強烈なイデオロギー攻勢の中で、一つの流れをつくっていることもまた事実です。
だからこそ、問題の核心は、こうしたブルジョアジーの側からのイデオロギー攻勢に抗して、過去の誤りの切開と総括を通して、いかなる革命と共産党をつくるべきかの新たな内容をもって、民衆の中にある党否定の感情・嫌悪を変えていくことであって、それを「者宣言」としたり、共産主義者は独自の政党をつくらないとすることではないはずです。
この問題をはっきりさせるためには、三つの事柄をはっきりさせねばなりません。―つまり一つには『党宣言』と正式に名乗ったマルクスらの志とその党観について、二つには「二十世紀社会主義」が「共産党独裁」に変質したその負の教訓との関係で、マルクスらの『宣言』での共産主義者観・党観との間にどのような関連があるのか、ないのか。三つは、共産主義を目指したプロレタリア革命にとって共産主義者の独自の党が必要であるとすれば、『宣言』の地平とその後の一五〇年の総括を踏まえて、それはどのような党でなければならないのか―という問題です。
この三つについて、わたしの意見はこうです。
まず第一の点。ドイツ語原版では『党宣言』となっていること、第一回共産主義者同盟で採択された規約第三六条の中に(第二回大会で)「党の名のもとに宣言を発布する」と書いてあること、当時のエンゲルスの綱領原案「共産主義の原理」を、マルクス・エンゲルスら起草者の間で「党」の「宣言」としたこと、マルクス・エンゲルスが「共産主義通信委員会」の時期から「共産主義思想の創造とその旗の下での一つの強力な党の創建」を目標として動いていたこと等々は歴史的事実なのです。
しかも、(一)でみたように義人同盟では闘い切れないと判断した当時のプロレタリア革命家たちが、共産主義者としての独自の思想と独自の団結をもつ結合体としての共産主義者同盟になるための二年近くに及ぶ集団的討論・論争の激しさは、いかに当時のプロレタリア・革命家たちの、迫りくる四八年革命を闘うための「命がけの飛躍と結集」をなさんとしたか、それを物語っています。その必死さがマルクスらの理論と結合し、またマルクスらのオルグも受け入れ、また逆にマルクスらをかえ、その集約が「党の宣言」となっていったことを忘れてはならないのです。
こうしてマルクスは、『宣言』のはしがきに、「共産主義者がその考え方・その目的・その意向を全世界のまえに公表し、共産主義者の妖怪ばなしに党みずからの宣言を対置すべき時がきた」と記したのです。
これは世界史上初めての、協賛主義者の独自の党創建の号報であり、その決意表明です。
『共産党宣言』は、ですから近代プロレタリアートが、世界史に初めて資本主義を打倒して共産主義を展望する自己解放革命の闘争宣言であると同時に、そのブルジョアジーとの闘争、ブルジョア支配の転覆、プロレタリアートが支配階級となっていくこと、そしてその社会革命の全過程において、プロレタリアートの一部でありながら、その未来の利害を代表し、それを推進する部分としての共産主義者の独自の役割と独自の結合体としての党を不可避とする内容を構成としている宣言です。ここにおいて、共産主義と共産主義者・党とはプロレタリア革命との関係で分離不可能な問題として提出されています。
この『宣言』がもつ歴史的意味と意義を否定してはならないと思います。
そうしたことをはっきりした上で、『宣言』でいわれている党の性格・党観・その実態についてはどうでしょうか。
『宣言』もそれ以降のマルクスらも、きちんとした「党論」というものを書いていません。よくまだわからなかったというところが実情に近いように考えられます。しかし、はっきりしているのは、『宣言』の中でマルクスらが「党」といっているのは、決してその後の近代国民国家と共にその社会的制度の一つとなっていくようなものとしての近代政党・国民政党あるいは「唯一前衛党」ではなく、あくまで志に結ばれた革命のための組織的結集体としての党と考えられます。しかしながらその党観は、『宣言』レベルで一般原則的にプロレタリア諸政党と共産主義者の独自の革命党の関係を明らかにしているものの、十分なものといえない。そしてその実態は「共産主義者同盟」であり、これも四八年革命の中で解体・解散していくのであって、本格的なものとはいえないのも事実です。しかしながら、一番大切なことは、共産主義者同盟の敗北と解体の後も、「共産主義通信委」のレベルからマルクスらが第一インター・第二インターをはじめ、様々にプロレタリア共産主義革命のために、当時のブルジョア国家と諸政治勢力の諸関係の中で、実現可能な形態のプロレタリアの革命党を時には譲歩を含めて追求し続けて闘ったということは、否めない歴史的事実なのです。
次の問題に移ります。では『宣言』でいわれた党観には、後の「共産党一党独裁」に変質した二十世紀の公認の共産党との間に共通のものはあるかという問題です。
わたしは先にも述べたように『宣言』の中には、「共産主義者がプロレタリアートにとって代わって支配階級になる」ましてや「共産主義者が権力や国家になる」という思想はないと考えます。むしろ逆に、第二章の頭の共産主義とプロレタリアの関係、他のプロレタリア政党との関係について述べられている一般的原則は、読み方によれば、今日の新解釈が生まれる不十分さ、混乱があるものの、今日、「二十世紀社会主義」の負の教訓との関係でとらえかえしてみるとき、共産主義者とその党が何たるかをしめす党観の一般的原則を示す思想だと思います。
しかしながら問題は、第三の問題に、つまりこうした『宣言』の共産主義者とその党に関する一般的原則の正しさにもかかわらず、「二十世紀社会主義」の負の教訓からすれば、もう一度、その一般原則を繰り返し、確認していけば、その誤りを克服してゆけるのかという問題です。今日では、そのことに答えない限り、大衆的に存在する「それは結局これまでと同じもの、同じ誤りになっていくのでは」という危惧と不信をぬぐいさることはできないでしょう。
その点について、協賛主義者の独自の共産党について、この一五十年の先人たちの経験とその「負」の教訓を踏まえて、わたしはこう考えます。
それは、あくまで革命のための組織、あくまで、プロレタリア大衆の自立・自律・自治の強化と発展により、一切の階級独裁国家・権力の消滅とともに、党も消滅することをはじめから自覚した、共産主義者の任意の結合体と考えます。『宣言』は、プロレタリア自身の階級としての消滅を思想として打ち立てつつ、この段階では、将来めざさるべき共産主義における党の消滅については、言い切るところには至っていないのです。
共産党が国家となり、共産党独裁になった経験を踏まえれば、プロレタリアートの政治権力の獲得をもって始まる過渡期において、共産主義者はプロレタリアート(生産者)大衆の先頭で闘うが、獲得された政治的権力(半国家)と癒着せず、権力を貪らず、大衆を代行せず、不断に社会の下からのプロレタリアートの社会革命の継続のための道をすすむものと考えます。
勿論、革命の過程で、プロレタリアートが支配階級となって、自らの解放のための政治権力を形成するときに、大衆の支持の中で、共産主義者が個々人として、指導的地位につく場合を否定しないが、党として権力の上にすわり、君臨したり、ましてや法によってその指導を銘記することはもっての他と考えます。そこでは、分派の存在公開の原則や他の複数の政党の存在を認めることは当然のことです。
こうした過渡期においても党が権力と癒着し、国家化してはならないというあり方の一つの重大性は、矛盾のない一枚岩の党なるものは存在せず、党が生きた組織である以上、意見の対立・差異はあたりまえであり、党がプロレタリア権力と癒着し、プロレタリアートの武装力を簒奪していく時、その武装力は、党内の意見の対立への物理的暴力となってこれを解体し、またプロレタリア大衆内部の生き生きとした自発的な権力への批判や論議を抑えこみ、死の恐慌でもって、支配していくことに転化していくからです。過渡期にあっては(それ以前はいうに及ばず)社会の主人公であるプロレタリア大衆の豊かな、実践的な、生き生きとした生活の中から放たれてくる大衆の自発性・革命性・創造性に、徹底して依拠することなくして社会革命の発展はありえないからです。
最後に『宣言』以来一五〇年の大きな変化について、世界と社会の「辺境」から、これまでの「近代の社会主義パラダイム」への「異議申し立て」がなされており、これとマルクス主義に立つ共産主義はどう向きあうかという問題が残されています。
二十世紀は、ロシア社会主義革命に始まる二十世紀の社会主義が変質して共産党独裁に転化し最終的に崩壊した一時代であり、と同時に、これらの過程は、フェミニズム、エスニシティ、エコロジー(女性・少数民族・環境)の問題が浮上し、それぞれこれまでの社会主義・マルクス主義の欠落部分を批判し、独自にその課題を担う主体の登場とともに、コロンブスの新大陸の発見以来の近代五〇〇年の西欧中心(先進国中心・男性中心・白民族中心)の文明史観とその価値規範への「異議申し立て」とそれを単に階級と経済へ還元してしまうこれまでの「公認のマルクス主義」の階級闘争の内実・国家・政治の内実を問い、資本制生産様式、生活文化様式の全面的再把握の課題を提示してきています。
詳しくは述べる紙数がありませんが、こうした「異議申し立て」の中で獲得されている世界史的地平から、『宣言』をふりかえってみると、マルクスらにとって、当時の世界はヨーロッパのことであり、(『宣言』が書かれた時、資本主義の市場を求めての手は、すでに日本列島の至るところへの「黒船」の出没となっていた)プロレタリアというのは、「男の」ことであったのです。
つまり、『宣言』のマルクス主義は、近代ブルジョア社会の確立期においての将来の必然的な崩壊をみるという天才的な先見性と深い洞察力をもち資本主義打倒の近代ブルジョア社会批判として、今なおつきざる生命力を持ちつつも、近代のもつ先のような価値規範の母斑をも残すものとしてあるということです。
「だからマルクス主義は捨て去るべきだ、相対化すべきだ」という結論を導きたいのではなく、今日そうした『宣言』とマルクス主義の歴史的限界をその深化の中に克服し、マルクス主義に立つ共産主義のより豊かな内実を創り出していくべき課題があるということを確認しておきたい。それをめぐって、世界的にも、日本的にも、これらの問題と向きあう方法と質と態度の違いが、新しい共産主義者と党への大きな論争と分岐を形成しつつあるからでもあります。
と同時に、「周辺」からの異議申立てだけでなく、高度化した資本主義の「中枢」における新しい問題―管理通貨制・フォード的労働編成・アメリカ的ライフスタイル・「緑革命」による農業編成など―が提起されていることをも忘れてはなりません。それはこの一五〇年の間の大きな変化のもう一つの問題、資本主義の変化の問題に連なっていきます。その問題にうつります。
『宣言』から一五〇年、産業資本主義から資本主義的帝国主義へ、さらに資本主義は二十世紀の二つの大戦と二つの世界大不況をくぐり抜け、マルクスらが予想もしなかった「危機の中での発展」をとげ、高度化してきました。
「二十世紀社会主義」をのみつくした現代資本主義は、資本主義の飽くことのない価値増殖運動をもって資本による労働の実質的包摂を達成し、農村といわず、周辺諸国といわず、家族といわず、あらゆる共同体を解体しつつ、全地球的規模の一つの世界市場を形成するに至っています。
マルクスがいった「資本への労働の実質的包摂」という問題は、この二十世紀のアメリカ資本主義のテイラー主義的・フォード主義的な生産管理・品質管理・労務管理によって具体化されており、それは労働者とその家族の生活的欲望と消費過程をも調整し、支配するものとして、またその資本の物質的力能によって、労資の妥協を促進し、社会のモータリゼーション化とアメリカ的消費・生活スタイルとが一つのシステムとして形成されてきました。
そうした資本主義の生産過程のみならず、労働力再生産過程まで支配するに至った高次のシステム化と「資本の力」によって周辺諸国における貧困と中枢部におけるプロレタリア階級の中産階級化、中流意識(一国主義と生活保守主義)を形成し、全てを商品化・貨幣化していく物象化過程が社会を覆い、あらゆる主体的活動が資本の高次化のバネとなって吸収され、階級対立の存在、階級闘争までがなきがごとくの―つまり主体の解体と危機を生み出すこととなったのです。こうした構造が高度電子情報技術の「発展」をもより高次化をバネとしながら、大量生産・大量消費・大量廃棄型「豊かな社会」のその近代文明を世界化しつつ、国民国家の物質的基盤を破壊するのみならず、諸国民がつくってきたあらゆる文化を解体しつくしているのです。こうした資本のグローバリゼーションの結果、大地、森、大気、水といわず多様な生物の生態系と地球環境を破壊するばかりでなく、最近のダイオキシンや外部性内分泌撹乱物質(環境ホルモン)問題の例にみる様に、人間の身体という「内なる自然」をも破壊しつつあり、人間の生存と社会の再生産そのものを危うくする人類史的危機をはらんで進行しています。
最近のアメリカなど核大国の核の独占とこれを追いかけるインド・パキスタンの核実験、核兵器の開発と実戦配備の競争、ドイツの高速列車の脱線事故などをみるまでもなく、こうした事態は『宣言』がいうように、「ブルジョア的生産ならびに交通諸関係、ブルジョア的所有関係、かくも巨大な生産手段や交通手段を魔法で呼び出した地下の魔法を使いこなせなくなった魔法使いに似て」います。
こうした「発展」の臨界点・飽和点に達して、「資本そのものが資本にとっての制限」となるような根本矛盾の発現にあえぎ始めたこの世紀末の世界資本主義は、最近の東アジアの通貨・金融危機にしめされるように、世界的大不況と信用恐慌に踏み込みつつあり、ドルを基軸とする管理通貨制が牛耳る世界経済の「制御不能」に陥りつつあります。
ルピア暴落のインドネシアとウオン暴落の韓国が、IMF(国際通貨基金)の管理下におかれ、「再植民地化」と呼べるような状況の下で、その破綻のつけが労働者民衆の側にまわされて、貧富の二極化が激化し、怒った労働者民衆がインドネシアで決起し、経済的危機はスハルト開発独裁体制打倒をめざす政治的危機へ転化しつつあります。
こうした世界大不況と信用恐慌の始まりは、先進国中枢部において、先に述べたような高次化への資本主義の生産と労働力再生産の原型的システムの破綻と危機を意味しており、それはそれで、労働者階級の中産階級化・中流意識形成の物質的基盤を破壊し、貧富の差の拡大の進行をもって、ブルジョアジーとプロレタリアートの二大階級への分解が促進されつつあるということです。
その結果としてアメリカ・ドイツ・フランスなど世界各地の先進国中枢で、失業・雇用不安・生活不安と闘う労働者の大規模なスト・デモなどの激化としてあらわれています。
マルクスが『宣言』で分析したような、産業資本主義の確立期にあったような資本の運動の原理的姿が、この高次レベルで再現されつつあるのです。
これは、今わたしたちの眼前で起こっている現在進行形のことがらです。近い将来国有企業の株式資本化をテコに中国型資本主義の道を歩む中国への波及の兆候をみせながら、東アジアにおける第二波、第三波の金融危機の爆発がさけられない状況です。
この通貨金融危機の進展が、核実験の強行に対して経済的制裁をうけているインド・パキスタンをも巻きこむかもしれないとしたら…。
一人勝ちの米帝クリントン景気は、米国債の三分の一を保有する日本と、元を維持する中国を防波堤としているが、何かのきっかけでドル本位制の崩壊が起こってもおかしくない状況が迫っており、そうなればまさに『宣言』のいう「かの商業恐慌」の今日的発現です。
それは、「社会はブルジョアジーのもとでは生きてゆくことができない」ということが普通の人にまではっきりわかる状況の到来を意味します。
世界恐慌の足音が聞こえ始めているとわたしたちが認識するところです。
こうしたアジアの激震は、アメリカと並んでアジア最大の多国籍企業と化している金融企業大国日本の財政・金融破綻の足元をゆすり、そうであるがゆえの逆に日本のなりふりかまわぬ投資資金の回収が、これら諸国の一層の危機へ転化し、日本へ還流してくるという悪循環の中にあります。
本年四月に開始された金融ビッグバン「大競争の時代」において、アメリカを中心とする海外の大金融機関が大量進出し、国内の資金は高い金利を求めて流出し、銀行・証券・生保などが弱いところからつぶれていく弱肉強食の金融再編が進行して、東アジアの激震と重ねて、日本の金融資本の専制支配を支える枠組ともいえる「日本型システム」・金融システムの危機が進行しています。
日本の支配層は、「日本発世界恐慌」の引き金を引かぬよう、金融システムの安定のため、橋本政府をして銀行救済のための数十兆円を公的資金として支出させ、消費税のアップ、健康保険料の引き上げ、医療費負担の増額など勤労者民衆の生命と生活、福祉にかかわるところを切り捨て、福祉国家の右翼的再編をおしすすめ、企業倒産の中での首切り、失業、リストラ合理化等々とその構造的危機といえるツケを勤労者民衆の肩に転化しての悪政と暴虐の数々は目に余るものとなっています。その結果、失業率の四%への上昇、自殺者・過労死の増大、老後への生活不安、若者の雇用不安などが社会全体をおおい始めています。
こうした中で、そうした危機の爆発に備えた日米安保の世界安保化の下で、新ガイドライン法にもとづいて、この間のインドネシア情勢のどさくさにまぎれて、「邦人救出」の名目で橋本政府が一度は軍用機二機をシンガポールに派遣・待機させ、大型武装巡視船二雙をスラバヤ沖へ出動させたことを忘れてはなりません。
この最近の事態は何を意味するのか。自らの多国籍型資本の利益を守るためには、インドネシアの労働者民衆に銃を向け、侵略し、殺すということです。
資本主義の「世界的危機」が、その戦慓すべき様相をみせはじめているそのような一時代へとわたしたちは踏み込み始めているのです。
しかも、ヨーロッパを舞台に、一五〇年前マルクスらが初期の商業恐慌を機として立ち向かった資本主義との闘いが、まわりまわって、全世界に、とりわけこのアジア・太平洋を焦点に、この地のわたしたち日本とアジアの労働者民衆の手にゆだねられようとしているのです。
資本主義を改良するのか、それとも根本的に改造するのか。
そして、資本主義は倒す主体がなければ倒れない。
というブルジョアジーの時代の総括から導かれる命題とともに、『宣言』は、資本主義の高次化に対する「資本主義批判に立つ共産主義」とその主体の高次化の新しい課題を、今わたしたちに手渡したのです。
一五〇年後の今日、「二十世紀社会主義」の負の教訓をも踏まえて、資本主義を打倒する新しい解放の思想と構想、その進路と主体を、『宣言』の地平を発展させつつ、いかに創り出すのか。
マルクスらが四七年恐慌が勃発した情勢の中でやってみせたように、高次化した世界資本主義の迫りくる危機と、そこにおけるプロレタリア階級の動態の具体的状況の具体的分析を通して、共産主義の展望を確信する新しい社会主義革命と主体創出の思想的・組織的作業への緊急の着手です。このためにマルクス主義に立つ共産主義者とマルクス主義研究者、志あるものの協働が必要な時ではないでしょうか。
二一世紀につながる新しい闘いは世界各地ですでに始まりつつあります。
わたしは、ここに一つの魂をゆさぶる新しい闘いの声を紹介したい。遠く中南米の辺境から、歴史創造者たる自己に目覚めたインディオの民の資本主義への闘争宣言です。
―「われわれは、次のことを学びました。
われわれの長い悲しみの夜は強者の手と言葉から生まれていること、われわれの不幸はごく少数の者にとっては富であること、われわれの先祖や子たちの骨と粉の犠牲の上に強者の家が建てられていること、彼らの食卓の飽食ぶりはわれわれの空っぽの胃袋と引換えに満たされていること、彼らのうちに生きている知恵はわれわれの無知を栄養にしていること、彼らを覆う平和はわれわれにとっては戦争であること。」
「われわれは宣言する。もうたくさんだ!」
「数人のためだけでなく、少数のためだけでなく、『みんなのため!』とわれわれの心は叫んでいます。すべてをみんなのために、われわれは何もいらない!」
「さあ、あなた方の番です。世界中のすべての民衆よ! あなた方が答えて下さい。」―
これは、現在の東アジアの金融危機の前ぶれであったラテン・アメリカの債務危機の中のメキシコ・アメリカを中心とするNAFTAに地域統合されたメキシコから、メキシコ政府とアメリカの新自由主義政策を串ざしにして、有名な『ラカンドン密林宣言』を発して、一九九四年一月蜂起したサパティスタ民族解放軍のものです。
彼らは、『密林宣言』に続いて「戦争宣言」「闘争人民の権利と義務に関する法律」「革命農地法」「女性に関する革命法」「都市改革法」など次々とその政策を発表し、一ヵ月半のうちにメキシコ全土の共感を得、メキシコ政府を彼らとの交渉の席にひきずり出し、闘っています。
ここに、コロンブスの新大陸発見以来資本主義の五〇〇年の世界史をひっくりかえすべく、「南」の辺境から「北」に対して、闘いの狼煙があがったのです。
「サパティスタ運動は、注目せよという世界への呼びかけなのだ、共産主義の選択は終ったということで、武装闘争はだめだと世界中でいわれている時、武装闘争どころか、変革もだめだと言おうとしているように、われわれには思える。イデオロギー的爆撃の強さを思えば、当然のことかもしれぬ。だが先住民の共同体では、逆のことが起こっている。人々はサパティスタ軍にますます加わって『他に道はない』と主張している」とサパティスタのマルコス副司令官が語っている。
「共産主義の妖怪」は、「もうたくさんだ! みんなのために!」というインディオの大地と風と闘いの民衆的伝統に育まれた、新しい言葉をもってそこによみがえっています。
わたしは、このサパティスタとの一般的連帯を強調したいのではなくて、その後にあるマルコスらマルクス主義に立つ共産主義者がその民の一部となり、溶けあって、その地の闘いの民衆的伝統の魂の鉱脈を掘りあてた苦闘を想像し、感動します。
それは現代世界にある共産主義者が、マルクス主義と『宣言』の共産主義思想を具体的現実の中にどう生かし、現代の革命主体(広範な意味でのプロレタリア)の自己解放の闘いの力としていくのか、その一つの地平をみるからです。
そうしたことは、四年後の今、インドネシアの民衆決起の地下で、アフリカの闘いの地下で、スリランカやフィリピン、韓国の労働者の闘いの地下で、同じようなことが起こっているとわたしは確信します。
こうした「南」の闘いは、(日本国内の「南」―沖縄の本土への問いかけと重なって)不断に足元から腐っていくような「豊かな社会」の体制内にある「北」日本の労働者民衆・共産主義者に、「さあ、あなた方の番だ、あなた方が答えてくれ」と呼びかけ続けているのです。
こうした呼びかけに答えるためにも、先に挙げた資本主義批判に立つ共産主義の高次化の課題は、更には、それが本当の大衆性を獲得するための土着化ともなるような水準で問われるところではないでしょうか。
『宣言』一五〇周年記念集会を一日のカンパニア集会に終わらせるのではなく、こうした課題を追求する共産主義者と志ある人々の間の、協働と論議と行動の新しい歩みが始まることを切に願うものです。わたしたちは、そのために必要なことならどのような努力もおしまないつもりです。
男も女も、老いも若きも、
世界いたる処のプロレタリア、団結せよ!(了)