「共産党宣言」150周年記念集会
人民革命勢力は、「共産党宣言」150周年記念集会に参加したすべての同志のみなさん、友人のみなさんに最も熱烈な革命的挨拶と連帯の意を送りたい。
同志マルクスとエンゲルスとが全共産主義者の理論的基礎と実践を執筆してから一世紀半が経った。マルクス主義に対するデマゴギーと迫害にも関わらず、マルクス主義は長きにわたって生き抜いてきた。何故ならば、我々が彼らから学んできたその理論的知見の正しさのゆえになのである。プロレタリアートの解放と人類の課題は、科学的共産主義の理論と実践をとおして解決することが出来るのである。この勝利の思想はすべての時代に依然として、適用できるものである。
「共産党宣言」は、人類史についての歴史的かつ弁証法的な視座を世界の人々に与えている。社会の発展と労働者階級の解放。「共産党宣言」は、この点を階級の敵対矛盾に関係づけている。プロレタリアートとその敵である帝国主義の矛盾は、日ごとに激化している。
1848年に「共産党宣言」が出版されて以降、世界中で労働者党のめざましい成長があった。多くの国々がこの「宣言」の思想に導かれて、共産党の指導のもと解放されることになった。労働者階級は労働者解放の呼びかけに応え、自分自身と自分たちの国を解放する武装闘争に参加した。この地上で、ただ一国たりとも暴力革命の過程を経ないで解放されることはなかった。この大義のために多くの同志の命が犠牲となった。共産主義者がそれぞれ取り組んだこの正しい政治路線は、現代でも依然として真理なのである。
「共産党宣言」のおかげで、全世界の労働者階級は国際プロレタリアートの旗のもとに結びつき、団結をつくりあげてきた。この団結は我々に、帝国主義的抑圧者たちと戦う力を与えてくれる。我々は、数多くの偉大な勝利をこの団結のゆえに勝ち取ることができた。
二十世紀の末、全世界の共産党は、重大な分裂と崩壊を経験することとなった。悲しいことに「この分裂は労働者階級の団結に大きな打撃を与え、プロレタリアート解放のために命をかけてきた多くの誠実で、すぐれた同志たちを道に迷わせている」と言わねばならない。敵(帝国主義)が結束を強め、世界的なコングロマリットを形成しつつある一方、我々先進的な革命勢力は異なった分派に引き裂かれている。こうした分裂は我々を弱めただけでなく、何よりも労働者階級を最も苦しめた。分裂は人々にとって益はなく、帝国主義を利している。帝国主義こそ、この分裂と崩壊によって最も利益を受けているのである。世界の殆どの共産党の争いと分裂は、彼らが普及させてきた階級路線のせいである。毛沢東主義者、スターリン主義者、トロツキストのような異なる分派の編成は対立を悪化させてきた。
二十世紀の帝国主義は、「労働者階級をさらに抑圧する」という共通の目的で結束している。今日の世界的危機の下で、帝国主義は自分たちの生み出した危機を回避しようとして、未開発諸国に辛苦を押しつけるために一丸となっている。帝国主義はまた、労働者階級・プロレタリアートを分断するための政党や労働組合を手にしている。帝国主義は、この世界のほとんどすべての政府と軍隊をあやつっている。こうしたことは、帝国主義の利益と資本を守るためなのである。
いわゆる社会主義諸国の崩壊は、世界中の革命政党に甚大な打撃となってきた。この崩壊のために、革命的任務を続けるのを今ためらったり、そればかりか、抑圧者の側に組みするようになってしまう同志たちもいる。こうした諸国では、社会主義は、政府に対する統制を失っているとはいえ、なお、党そのものは存在している。プロレタリアートと大衆は、この崩壊で呻吟している。このことのために、民族的、地域的戦争が、かつてはひとつにまとまっていた人々の間で勃発した。再び、帝国主義は、勝者となった。こうした戦争は、「新世界秩序」という新しい計画を携えたアメリカ帝国主義によってひきいられる抑圧者たちに、ある種の好機をもたらした。このことで、格差は広げられ、彼らの世界支配は強化されつつある。
このために、プロレタリアートの主導権は危ういものとなっている。プロレタリア政党は、ますます弱体化しつつあるのに、帝国主義は一層強くなりつつある。我々は、こうした状況のもとでは、やつらを打ち負かすことは出来るはずもなかったし、もう一度団結することも出来ないであろう。
この点に鑑みて、私は民族の違い、党派の違いを越えてすべての同志たちに“団結すること”を呼びかけたい!!!! 何故ならば、団結のもとでのみ、我々は前進でき、抑圧者を打ち負かすことができるはずだからである。我々は、今でも「共産党宣言」の理論に基づいた揺らぎない共通の確信を持っている。今こそ過去の全ての過ちを克服し、前進しよう。そこで、同志マルクスの呼びかけを、私に繰り返させていただきたい。
万国の労働者団結せよ!!!!
「共産党宣言」万歳!!!!
革命的プロレタリアート万歳!!!!
『共産党宣言』を読んだのは、高校から大学へうつる境目の頃でした。四十余年もまえのことですが、それは私にとって画期的なことでした。
一つは、それまで知的な世界には徹底的に反抗する身体的・暴力的な世界にいたが、そこから抜け出して、なにやら魅惑的な革命を幻想させたこと。青春のとっかかりにいた私にとって、あの文章は、一種文学的な衝撃でした。なんの思想的・実践的な準備もなかった私にとって、『宣言』一篇は、ほとんど感性的なリアリティとして受けとめられたのですが、やがて『資本論』ゼミナールを選ばせ、卒業後の人生をヨロヨロしながらも社会主義を憧憬しながら今日まで来たのだから、出会いはたしかに画期的でした。
こんなふうに『宣言』のことを書こうとすると回顧的になってしまうのは、七〇年代、八〇年代、九〇年代と、『宣言』から遠く離れていたからでしょうか。ソビエト型社会主義に白けてということでもないけれど、七〇年代以降、アジア的視野と反差別に基軸をすえて、階級闘争というよりも、市民運動的形式のなかに身をおいて、遠く離れていると感じていたということかもしれません。
そこへ投げられてきたのが、『宣言』一五〇周年の集会の呼びかけでした。一も二もなく賛同の旨を伝えました。郷愁ではない、と言いきっては嘘になるけれど、私のなかでは確かなアクチュアリティが蘇っているのです。
資本主義がほとんど世界的規模で青息吐息、終末的様相を呈しながら、対抗体がないのをいいことに、やっきになって延命にあがいているとき、『宣言』は一五〇年をタイムスリップして登場するようにも錯角されるのです。
『共産党宣言』が二十一世紀の幕開け宣言になったとして、不思議はないですね。
はじめて『共産党宣言』を読んだのは、17才頃だったと思います。あれから半世紀近くたったわけです。
共産主義こそが、人類が皆幸福になれる理想だと信じて、貧乏など気にせず活動もしてきましたが、ソ連邦は崩壊し、「天安門事件」も起きました。
しかし、弱肉強食の資本主義が、絶対に人間を幸せにできないのは明白だから、私たちは挫折した社会主義の政治から学んで、ユートピアを再構築しなければならないと思います。
「人民の、人民による、人民のための」日本をつくりあげ、世界中の人民と手をむすんで、「人民のための」地球共和国をつくりあげること。それが、マルクスたちが150年前に希望を持って宣言したことでした。
現在、世界に共産主義正統派存在し、ある党は政権をにぎっていますが、国際連帯や全人類解放の道すじについての展望は、あまり明確ではありませえん。「階級矛盾」も消滅したようで、そのコトバを口にする人も少ないありさまです。
どうしたら、日本でも革新政権ができるだろうか。私は自分なりに考え、そして生きている間は、自分なりに努力するつもりでいます。
どういう考えか、少しのべてみたいと思います。
人民の力は<団結>しかないのですから、できるだけ巾広く連合すること。それを具体的に追求するべきだと思います。
日本では、日本共産党と新社会党という二つの革新政党があります。この二つの政党を核心的無党派が結合軸になって結びつければ、かつて革新首長が続々誕生したように、保守勢力を圧倒することができるでしょう。
当面の政治方針では、この両党は大きな対立はありません。選挙での票争いがからむから、矛盾がおこります。統一政策と統一候補で闘うこと。統一戦線とは、そういうものではないでしょうか。
民主的な連合政府とは、そうやってつくるしかないのではないか、と私は思います。
共同のカギは、理論の統一ではなく、行動の統一にあります。どちらが口がうまいかではなく、どちらが誠実であるかを、大衆は最終的に判断します。
さしあたり共同できる部分は、労働者の闘争と文化の問題、生活の問題だろうと思います。
明治維新は不十分な<革新>でしたが、薩長連合がなければ、あれも成功しなかったでしょう。
護憲・民主・中立の革新政権ができれば、アジアと世界の平和と人民の幸福にとって、日本人民は、ほんとうに大きな貢献ができます。方向を見失って悩んでいる日本の若者と子どもたちに、誇りを持てる国家理想を提起しなければならない時だと、私は思います。
明治国家は、現代に至る暗黒社会をつくりあげた元凶である。1870年(明治3)、早くも閥族政府の腐臭を嗅ぎとった旧米沢藩の27才の俊秀雲井龍雄ほか六名を新政府転覆を図った罪により、確たる証拠もないまま小塚原に梟首したのを皮切りに、明治末年には大逆事件をフレーム・アップ、幸徳秋水・管野スガら十二名を死刑に処した。政治には特別の関心のない夏目漱石さえも、日露戦争に勝ってまもない1909年(明治42)の作品『それから』の主人公に「日本国中何処を見渡したって輝いている断面は一寸四方もないちゃないか。悉く暗黒だ」といわせ、石川啄木は「時代閉塞の現状」と書き、大逆事件を機に社会主義者・唯物論者になっていく。
しかし、明治の暗黒社会のなかにあっても輝ける多くの星は、勇気と展望を持たない現在よりはあった。なかでも<廃帝>まで視野に入れていた自由民権運動の理論的支柱であった中江兆民と、その弟子の幸徳秋水は一等星であった。とりわけ生涯を社会主義の実現に賭けた秋水は、日露開戦を前に堺枯川(利彦)。内村鑑三らと戦争反対を叫んでともに万朝報社を退社、親方の山県有朋に続いて社会主義者・無政府主義者弾圧に狂奔する桂太郎軍閥内閣のもと、しかも日露戦争さなかの1904年(明治37)11月13日の「平民新聞」にわが国最初の「共産党宣言」を堺とともに英文から重訳して掲載、桂内閣を狼狽・激怒させると同時に、心ある知識人・労働者に鮮烈な衝撃と激励をあたえた。
むろん「平明新聞」はただちに発禁となったが、そのことが執念深い桂内閣によって大逆事件のフレーム・アップとなり命を落すことになるのである。大逆事件における文学者たちの反応がわたしには特に興味深い。徳富蘆花の旧制一高における「予の演説」は有名だが、永井荷風は事件について一言も当局に抗議しなかった自分を恥じて「自分の芸術の品位を江戸作者のなした程度にまで引下げる」という<戯作者宣言>を発し、政府中枢にいた森鴎外は秋水の弁護人平出修に政府部内の情報を流しつづけたのち、1914年(大正3)に発表された「大塩平八郎」は幸徳秋水を念頭に置いた作品としてみるとき、一層の感慨を覚える。また「明星」以来の親友であった平出修から事件の詳細を聞いていた啄木は「日本無政府主義者陰謀事件経過及び附帯現象」を書き残しており、これは昭和の戦後になってから発掘され、大逆事件のフレーム・アップ解明の貴重な資料となった。(ちなみにわたしは「目覚めし人おりて・小説中江兆民」(新人物往来社刊)の姉妹編としてこの六月末おなじ社から「虚構の死刑台・小説幸徳秋水)を刊行。「共産党宣言」を日本で初翻訳した明治一等星の輝きが、いま、さらに闇を深めているこの国にどのように映えていくか、その一助になれば幸いと思っている。
私は今現在は、賃労働をしていません。けれど子育て、家事も労働だと思っていますし、生まれてこの方、間違いなく労働者階級の人間であるので、一労働者の立場から私の問題意識を述べます。上手くまとまらないのですが、思いついたままに書くと次のようなことです。
20世紀の共産主義運動を総括した上で、資本主義を打倒する新たな運動を創出しなければならないのですが、重要課題の一つに、ブルジョアジーと斗う階級主体をどうやって創り出すかということがあるとおもいます。
○ ひと握りのエリート活動家による上からの「指導」によるのではなく、労働者大衆の自発性を重視した下からの革命運動を展望すること。(そういう意味ではプロレタリア権力にたいして批判的立場をとるアナーキズム運動との和解をさぐりたい。)
○ 幾十にも分裂した左翼諸党派、グループを出来るだけ統合する。
○ 党の果たす役割を限定的なものに考える。
○ 一部の限られた人達によってしか担えないような運動ではなく、いろいろな層、立場、見解をもつ人が参加できる運動形態をつくり出す。
○ そのために理論、路線上の対立を整理し、止揚していけるよう活発な論議を公表し、多くの人がいつでもそれらの内容を知ることができるようにする。又、そのための機関をつくる。インターネット、ラジオ、ケーブルTV、出版物を大いに駆使して、情報交換、情報提供、プロパガンダを行う。
○ プロレタリアートの内部矛盾や、社会問題を克服・止揚していく運動をブルジョアジー打倒の斗いと結合させる。
「かれらは、(共産主義者は、)特別な原則をかかげて、プロレタリア運動をその型にはめようとするものではない」「共産主義者の理論的命題は、決してあれこれの世界改良家によって発明され、発見された思想や原理にもとづくものではない。それは単に、現存する階級斗争の、すなわちわれわれの眼前で起こっている歴史的運動の実際的諸関係を一般的に表現したものであるにすぎない」という、『共産党宣言』の中のマルクスの言葉どおり、革命への道筋、その方法は、対立物の斗争と統一という弁証法による実践を重ねていく以外にないと考えています。
プロレタリアートと一口で言ってもその中身は多種多様で、また、多くの労働者は資本主義の過酷な競争社会の中で、自らの生存を維持していくのが精一杯のような生活を強いられています。私のように子どもを抱えた者は、子育て、家事をもこなさなければならない現実があり、また、老人介護や、家族、当人の健康状態・経済状況によって大変さは加重されていきます。そんな中での階級斗争は今日、なお更、困難さを抱えています。マルクスは、唯一革命的なのはプロレタリアだと言ったけれど、それは、ブルジョアジーと斗い、倒して、はじめて奴隷的状態から解放されるのです。
問題はどうやったら資本主義を倒し、共産主義へ移行できるかという方法論です。
一人の人間が個人でいくつもの機関誌をとるということは無理、書店で定期的に書物を購入するのも大変なのが労働者、私たちの生活実態で、読む時間もとれないし、考える余裕もないのが現実です。にもかかわらず、左翼諸派や無責任な学者達は、やれ大衆迎合主義だとか、改良主義だとかという批判をも加えつつ、難解な理論斗争を激化させ、それこそ観念的言葉で党派斗争に終始し、労働者大衆の意識や実態と乖離してきたように思います。階級斗争を日常的なものにしていくのは、至極困難なことなのだけれど、その点を打開しないとプロレタリアートの革命的階級形成は無いと考えます。
従来の左翼運動は男性中心の運動であったといわれているようですが、男性のコミュニストも減っているので、もともと少ない女性活動家はますます少ないといえそうです。何故そうなのかわからないのですが、私は活動家が、活動を個人の生活と分けて考えているのに強い疑問と不満を感じてきました。私はこの20年間ほとんど親の問題、妹の病気、夫との関係、義理の親との問題、私自身の健康上の理由などに翻弄されて、活動に参加することができませんでした。これらは今でも解決されているわけではないのですが、やれる時にやっておかねばという気持ちからこの集会にも参加しました。
実際は活動は“個人の問題”に制約されるし、それを理由に活動を離れる場合も多いと思うし、なにより個人領域の問題も資本主義の矛盾を反映しているので、社会的問題でもあるのです。私が運動をつくるなら、もっと生活臭さのする運動をつくりたい、個人の問題を活動の場にもちこみたいというという意欲はあります。“個人的問題”にも対応していける運動、横のつながりを強化していきたいという希望はあります。女性が、消費者運動や、教育、環境問題などくらしに関係した運動にしか、入っていきにくいというのは、男性の方にも責任があるのです。又、これはもともと本質的な違いか、そうでないかはわかりませんが、男性の運動が、対立、斗争を強調するのに対して、女性の運動は、おそらく和を最も大切にするのではないでしょうか。
その点、日本共産党の運動は社会問題への対応はすばやく、労働者の不満や欲求によく取り組み、フォローして、組織化していると思います。批判はされていますけれど、数と組織力の大きさでは新左翼のそれとは比較にもなりません。『党宣言』の中にも「労働者革命の第一歩は、プロレタリア階級を支配階級にまで高めること、民主主義を斗いとることである」という一文があります。
そして又、日本ではこれからの若い世代は、より統制や規律、自己犠牲を嫌う傾向が強いと思われるので、時代に即した運動づくりが求められていると思います。
言っていけばいろいろ問題があるのですが、先進国と後発国の問題──先進国の生産力の高さや豊かさは、後発国からの収奪、搾取の上に成り立っているので、欺瞞的であり、そうであるが故に、先進国での、あるいは一国内での共産主義化は無理があり、世界全体として過渡期を想定せざるを得ないだろうというのは、私の大きな関心事ですが、ここでは省きます。
150周年を迎えた今日、失せたはずの妖怪は、またこの世に浮か上ってきたようです。
『各人の自由な発展が全員の自由な発展の条件となるような協力体』の実現をめざして少しづつでも接近してゆく意義と努力を確かめあいたいと思います。
「共産党宣言」150年をむかえる意義に感動をおぼえながら、プロレタリア国際主義の軌跡と今日の労働者運動について、苦い言葉を言わずにおれないことを残念に思います。多分に私の偏見や独断をも言うことになると思いますが、どうか同志的雅量を持って受け取るよう願います。
国際労働運動の歴史を振り返るとき、思うことの多くはうれしいものではありません。その経過は苦渋と不毛に彩られているからです。
1848年、あの感動的な「共産党宣言」で”万国のプロレタリアートよ団結せよ”と呼びかけられてから、労働運動は世界的規模での連帯へと進むことになり、承知のように第一インターナショナルから第三インターナショナルの過程を持つことになりますが、それはまた混乱、対立、分裂をもたらすこととなり、今日われらの印象には挫折、失敗の経験として残っています。今人々は労働運動における国際主義を口にすることはほとんどなく、それらについての関心も遠くなっています。
今日あるのは、ブルジョアたちの貪欲としての国際主義だけであり、それが世論の主要を成しています。諸国の労働運動は自国内のことに収斂する傾向となっており、プロレタリアートの諸国間関係はうすまり、無関心や冷淡の様ともなっています。150年前のプロレタリア運動が示した、あの労働者的な兄弟的誼みと熱い志を思うとき、残念でならないのは私一人てありましょうか。
5〜6年前のことですが、日本の或る左翼グループが、在日朝鮮人は民族の権利とか差別を言うのではなく、日本の国籍を取って日本のプロレタリアートとなって戦うべきであると論じたことがあります。一見、階級的・戦闘的視点を装うものですが、大変な帝国主義国民のエゴを露呈しています。在日朝鮮人の歴史的実情に対する無理解も問題ですが、共産主義者にあるまじき自民族中心主義、弱小民族軽視には驚くものがあります。その思考には大きいプロレタリアと小さいプロレタリアがあり、先進プロレタリアと後進プロレタリアといった差別の観念があるようです。自民族のそれに従属させ、それを利用するという支配の思想があります。
この傲慢とも無礼ともいえる言説について、その後取り消したという話だったので私の方としては沙汰止みとなりましたが、大変不愉快なものがありました。
プロレタリアといっても父母兄弟や祖先に対する愛情があり、同胞たちの絆を持っています。高尚な精神と卑俗な精神の区別もしますし、プライドもあります。いくばくかの利益のために魂を売ったりはしません。私たちはよく日本の行政の側から、差別がいやなら日本の国籍を取りなさいなどと侮辱を受けてきたのですが、共産主義者という人たちからまで同じセリフを聞くとは思ってもいませんでしたので、大変憤慨したものであります。
私の考える共産主義者とは、ブルジョアたちが労働者を無知で道徳もない労働する商品に落とし、人と人の好ましい絆を物の関係に変えることに対して、その人間疎外の力に対して反対して戦う人たちであります。個々人の自由とその個性の全面的発現を保障する社会をつくろうとする人たちであります。
長年にわたって民族的迫害と差別の下で生きた私たちは、民族とか国籍とかいうものに対して、それが階級や国家のイデオロギーであることを理解すると共に、もう一つ他の側面からも考えています。それは世界のいずれのプロレタリアにあっても自己と祖国と民族を持っており、そのことが諸個人のアイデンティの一つにもなっている事実であります。それが労働者哲学にそうものかどうかとは別に実在しているのだからです。存在を意識で解消することは出来ないのです。在るのはフランス人、アフリカ人、インド人のプロレタリアートであって、具体的なそれであって、プロレタリアート一般としてのそれは存在してない。我らが”プロレタリアに祖国なし!”と言っているのは、ブロレタリアートは国家権力から何らの恩恵も受けない存在であり、従って国家に対する忠誠の義務がないことを意味するものであって、国家権力の恣意的な支配には従属しないと言うことでありましょうか。人は祖国を愛する権利も、愛しない権利も持っていると言うことです。
私は考えます。民族の差異性から来る問題の解決は、社会構造体や制度とは別な過程、つまり労働者階級の文化的優越性の完成を通して行われるものと考えます。文化の生成消滅は長い期間を要するものであり、労働者哲学も長い期間にわたる努力を通して確立されると思います。したがって今日の時点で、民族問題を階級問題に還元する安直な考え方は正しくないのであります。
日本の現実は、在日朝鮮人らが日本国籍を取得したからといって、彼らが出自による差別や排斥を受けない保障は何もない。自分の民族的出自を隠すことに一生懸命で民族差別をなくすために日本のプロレタリア運動に加わることは滅多にない。日本の一流大学を出て政府与党の有力な議員になりながらも、その口から外国人差別の言葉が出ることはなかったし、自身の出自を死ぬまで公にすることもなかった。彼の悲惨な自死は汚職が直接の原因であるが、それに至る過程は彼が”元朝鮮人”であったことの悲劇に染まっている。
近年になって年間1万人ちかくが帰化しているとのことであるが、その人たちが幸福な日本人として生まれ変わっている訳ではない。多くが自分にプライドが持てない侘しい人間の姿をして暮らしています。正に、誇りない人生に悦びなしのそれとなっている。帰化する者が増えている事実は、民族差別がゆるんだことではなく、それほど強まっているということの結果なのです。文化の差異性は理解の問題であるが、行政的差別は力の問題なのです。支配と被支配の結果なのです。一部の人たちとはいえ、日本の左翼が行政側と同じ発想で、差別がいやなら帰化しなさい!と言うのでは哀しいかぎりです。
国際労働運動の失敗の理由の一つは民族に関する理解の不足でした。諸民族の平等と同権が軽視または無視された事です。プロレタリア国際主義は第一インターから第三インターの過程で、専ら先進国のブロレタリア運動をモデルとし、それを中心としました。そこから先進国と後進国の間は指導と服従、上と下の支配関係が作られ、スターリン時代のコミンテルンは彼の暴君的独裁の道具でありました。望ましき諸国民の連帯などではありませんでした。後に民族自決や自主独立をいうことになりましたが、モスクワ中心主義は貫かれていたし、社会主義・労働者国家と称しながら、スターリンに忠実な暴君や帝王たちが人民の自由と権利を抑圧することになりました。モスクワ中心の国際主義は弱小民族が民主主義を求めることを民族主義的偏向だとして、これを抑圧し、自分たち大国の民族主義を正当化したのです。民族の自立を求めることが民族主義的偏向ではなく、それを認めないことこそ民族主義的偏向でありましょう。
ソ連・東欧の社会主義が崩壊した後、民族間の対立と抗争が噴き出していますが、この事は共産主義をいう人たちが如何に民族についての理解を疎かにしていたか、またなおざりに扱ってきたかを示すものでありましょう。
この場で共産主義の原理を口にするのは、釈迦に説法で大変失礼になりますが、あえて申しますと、それは人間は本性において自由であり、平等であり、そして友愛的存在であると言うことです。それを確信するがゆえに人間が人間を搾取することを許さず、人間が人間を支配することを認めないのであります。この大事な原点が今日の労働運動のなかでは忘却されているか、打ち捨てられているかに見えます。
労資協調といった馬鹿げた路線があり、労働者の口から”国際競争力”とか”国益”とかの市場原理が取り沙汰され、自分たちの敵のイデオロギーを自分のものにしています。今日、大部分の日本人は労働者側に立つ人ではなく、”会社人間”と称して資本の側の人間になっています。人間同士における愛情や格調ある結びつきはなく、競争し、対立するものとしての関係だけがあり、労働者同士の兄弟的絆などは見当たりません。そればかりか子どもたちの世界にあっても、人間不信と人間憎悪のおぞましい風潮が広まっています。
先日、モンゴルの辺地で生きる人たちの生活を映したテレビで、その人たちが純粋であるとか、心豊かであるとかの表現で、人間性の懐かしさを語っていましたが、それは取りも直さず日本人が市場システムの下で汚れ、心貧しくなっていることの自己表現ではないでしょうか。
労働者たちが自己の道徳や文化を持つことなく、政治家や官僚や企業家たちといった支配階級の犯罪と腐敗に対して無関心となり、労働組合がこれに対する断罪と糾弾のために決起しないとすれば、もはや労働運動はないと同然でしょう。労働組合の社会的意義も存在意義もありますまい。労働者が自己意識を持たない限りは労働者階級とはなり得ず、いつまでも労働奴隷であり、賃金奴隷でしかありません。労働者哲学を持たないルンペン・プロレタリアの集合とあっては、歴史変革における労働者階級の意識性とか主体性とかいっても空論でしかありません。労働者文化の優越性がないところで政権を手にしたとしても、それは結局スターリン主義か、毛沢東、金日成主義といったものを繰り返す羽目になりましょう。
一方、労働者政党のはずの社民党は、自己の出身階級に背を向け、ブルジョア政党に同化しようとしては、自己を失い、いまその悲惨な運命をさらしています。科学的社会主義をいう日本共産党は選挙だけを目的にしており、無党派層なるものに媚びています。政治的無関心の大衆を政治化させることが革命政党の使命ではなかったのか。大衆追随主義は現状維持の政党がすることである。
そしてもう一つの状況です。これは今日集まっておられる皆さんに向ける言葉でもありますが、誠実な共産主義者の多くが自分の穴に籠もっているか、小グループに四分五裂しています。大衆の中で呼吸し、生活する風景ではありません。大衆をつかもうとしない人たちを共産主義者と言うことは出来ません。せいぜい共産主義についての知識を持っている人と言うことでしょうか。学者の多くも大学などでマルクス主義の知識を売っているだけです。マルクス学者であってマルクス主義者ではありません。マルクス主義は知識ではなく、未来の予言でもなく、当面する歴史的現実と戦う運動なのです。それが学者の一つの趣味かアクセサリーかの如く扱われているとすれば、共産主義の意味はないでしょう。 私はマルキストは本来的に誠実な人格の持ち主だと考えています。私利私欲にとらわれることがなく、高邁な志で生きることを悦びとするこの上ないいい人たちです。利己的な経済的人間でない意味で、求道者や修道士の一面さえあります。時々、有り金はたいて一献差し上げたくなるような人たちです。そういう人たちが些細な行き違いのことで袂を分けているのは、理解に苦しみます。そこに、プチブル的な狭量さや俗物的な思惑がないことを願うものです。
ともあれ、過去の曲折を乗り越えて今日ここに集まることが出来たことを何よりもうれしく思います。「共産党宣言」が今日でも健在であることに感謝します。この機会が日本の共産主義者たちの新たな出発となるよう願ってやみません。
私がマルクスの『共産党宣言』を初めて読んだのは、今から7年ほど前の大学二年生の終わり頃だったと思う。岩波文庫の、大内兵衛と向坂逸郎の訳本だった。
当時の私は現実政治において、日本共産党に、一定の範囲内で強い共感をもっていた。共産主義とは基本的にどのような考え方なのか?それが解れば、共産党が持っている理念も解る(当時の私は日本共産党イコール共産主義者、と認識していた)。そう考えて、マルクスの諸著書の中で彼の思想が最も簡潔に、最も端的に述べられていると思われる『宣言』を読んだのだ。
読み終わって、「内容には今一つピンと来ないけれど、何だか恐いなあ。」と思った。それまで小・中・高校と、おそらくブルジョア的イデオロギーの管理教育を受けてきたであろう当時の私の感覚では、『宣言』の論調が過激なのだ。あらゆる箇所でブルジョアを非難しているその表現が皮肉なのもさることながら、本文の終わりから2つ目の段落の数行、「共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の強力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命まえにおののくが良い!プロレタリアは鎖のほか、失うべきものを何ももたない。」((下線引用者)というくだりに、新鮮な恐さを感じた。『宣言』は、私がその後マルクス主義の諸文献を読み進める端緒となったのである。
その後、日本共産党に対する私の見方は、大きく変わった。特に97年4月、参議院本会議で沖縄軍用地特別措置法が改悪されたことに対して、傍聴席から怒りの声を上げた沖縄反戦地主の知花彰一氏や反戦地主会会長の照屋秀伝氏ら21人を逮捕することに、議員運営委員会において日共の理事が賛成したため、全会一致の承認で、傍聴団が警察に引き渡されたという事実を知って、私はがく然となった。その時に私は確固として認識した。共産主義と日本共産党とは、全く別の事物だ、と。それに関連して、『宣言』の日本語訳について、ドイツ語の「ゲバルト」を日共系の国民文庫の訳本も、そして前に見たとおりに岩波文庫のそれも「強力」と訳していて意味がよく解らないので、より正確に「暴力」と訳している本に買い改めた。
しかし私は『宣言』の今日的意義を認めて本記念集会の発起人の一人になりながらも、マックス・ウェーバーがその著『職業としての政治』の中で述べた言葉を時々気にかける。
「『・・・革命によって何が達成できるというのか』。この問いに対して、学問的修練をつんだ社会主義者なら次のように答えたであろう − 『われわれの意味で本当に社会主義的といえるような経済への移行はまったく問題にならない。封建的要素や君主制の遺物だけは払拭できても、結局はブルジョア経済の復活に終わるであろう』。」(岩波文庫、91頁8〜11行目)
ウェーバーのこの言葉を論破できる程の理論武装は、まだ私にはできていない。かつて民主革命を成就させて、その後共産主義社会の実現をめざしたフィデル・カストロらの政権下にあるキューバにしても、現在ではアメリカ合衆国の新自由主義経済圏に否応なく組み込まれている、という現実がある。共産主義社会に発展しうるモデルとなる国民国家は、私の認識では、現在どこにもない。共産主義の社会を理想の社会だとは思うのだが・・・。(完)
(まつだ としのり)
資本主義社会、すくなくとも今日の日本では、万事、督励と誘惑との相乗による煽動と、抑制と「物より心」といった免罪符的説教との相乗による抑圧との、煽動優勢型での悪循環が中毒的に激化してきている。狂信集団による無差別殺害、中学生の殺人や自殺、官僚の汚職等々、何が起こってもマスコミは、それらの根底にある上記の如き資本主義的マインド−コントロールの構造的要因について正面から指摘する事は、やらないのだ。
上記の如き現象を根本的に解消するには、煽動・抑圧の悪循環に代わるところの、欲望の鎮静・冷却を普及させていける社会システムを形成する事だと私は考える。そうした何らかの脱資本主義社会のあり方の可能性は、歴史的諸前提によって制約されざるをえない。だが、マルクス教条主義者が呼号してきたような唯一の理想的社会が「必然的」に予定されているわけではない。マルクスは人間の欲望について、資本主義を越えた将来については単純に楽観的であった。だが、動物的本能性一般の枠を越える人間の能動性は、自然との関係においても人間同士の関係性においても、自然的調整を越えて反作用的な逆制約をそれこそ必然的に招いていく。そこで、社会変革志向には、いくつかの可能性の模索、それらのどれを志向するかという検討、広義の闘争と一定の妥結、一定の実現によって反作用的に生じる問題への対処の心組み……、こうした事こそが未確定的な連続的な課題なのである。
ところで、1848年フランス二月革命の時に出された共産党宣言には、資本主義の発展的限界の彼方に共産主義社会への道を想定するという(a)イギリス経済モデルと、産業革命期にブルジョア市民革命が爆発しようとしていたのでプロレタリアートがその左派として登場し、これが革命の主導権を執るという事を志向した(b)仏独内乱モデルとが、両者の関係の一般的問題への省察なしに併存している。事態は宣言の想定に多少接近したが、その志向は実現せず、エンゲルスは1895年に、宣言時代の自分たちの想定が未熟だった事を率直に記した。
ところが1917年に、市民革命が実現すべきロシアで一足飛びに共産党政権が登場し、そしてそれが一党独裁政権になったという事から、エンゲルスの上記の問題意識のさらなる検討という課題が、社会主義者間での党派的な罵倒的論議に転化し、他方でファシズム的な独裁・侵略主義の登場に遭遇したのだった。
だが、資本主義での重化学工業の発展と、ロシア革命のそれなりのインパクトのもとでの労働運動その他の民主主義運動の展開は、先進資本主義諸国での福祉政策や、広義のファシズムの破綻による民主化を、多少とももたらした。但し、先進諸国のそうした発展の経済的しわ寄せは、国家的独立を獲得した開発途上諸国の国民の大多数に押しつけられ、さらに全地表的(グローバル)な規模での環境破壊が核兵器とともに全人類の安全を脅かしてきている。
但し、社民よりも左の人々の誤算の根源は、(資本主義の解消を富裕者の中の平等理想主義者の施策に期待はできないという点ではマル・エンの言は当たっているのだが)資本主義超克の実現性を、最も貧窮した階層や民族の暴発に求め、それに疑義を出せば敵対的罵倒をするという、善意をこえて発した主観主義的な独裁根性である。20C.最後の10年間は、その誤り・破綻を明白にしてきているのだ。
マルクスは若い時、ドイツはこのままでは欧州解放の水準には立てずに欧州没落の水準に身を置く事になろう、と憂えた。だが、今日私から言えば、繁栄・発達の頂点に達さなかった者が、繁栄・発達の頂点を経て没落した者の高水準の没落性を持てれば幸いなのであり、ロシアの場合もスターリニズムを免かれたはずなのだ。だがまた、我々は光源氏のような道楽をしなくても源氏物語を鑑賞できる、という事がある。この辺から新しい思想への糸口を引き出していく事が必要だと私は考察する。(立教大学法学部教授)
つい最近の『日経ビジネス』で、「2極化する消費経済」という特集を組んでいましたが、その副題が「開く所得差、崩れる1億総中流」でした。世の中不況だの、失業率が4%を越えただのと、不景気な話題ばかりなのですが、他方で東京・恵比寿のフランス料理店では、2万2000円からのコース料理の予約がいっぱいになっているそうであります。もう少し身近なところで、ハンバーガーでは、100円の低価格品が売れている一方で、1000円のハンバーガーも売り出されているそうであります。すなわち「消費の2極化」であります。『日経ビジネス』の読者であるビジネスマンは、消費のこの構造的な変化にいち早く対応することを迫られているのでしょう。
いうまでもないことですが、このような消費の2極化は所得の2極化の結果にすぎません。総務庁が毎年おこなっている全国の勤労者世帯の年収別可処分所得をみますと、5段階の最上位(年収1018万円以上)は、可処分所得が月平均75万で、前年比0.6%上昇であるのに対して、最下位(494万円未満)と下から2番目の世帯(494万円から639万円未満)のいずれも減少しております。消費支出額では、最上位層で0.6%増加であるのに対して、最下位層では1.7%減少であります。
所得格差の拡大、中間層の2極分解、没落はアメリカではより顕著に現れてきていることは周知のことであります。この国では挙げてグローバル・スタンダードという名のアメリカン・スタンダードを称揚しているかに見えますが、要するにアメリカ社会の後追いとしているに過ぎません。
戦後資本主義の持続的高蓄積を実現したフォーディズムは、自動車や住宅といった高額の耐久消費財を購買消費する賃金労働者の大量創出を不可欠の環としていました。そしてまた、戦後体制の社会的政治的安定もそのようにして形成された「中流」労働者層がフォーディズム的マクロ循環に組み込まれることによってもたらされたことも明らかでありましょう。したがって、中間層の崩壊といういま進行しつつある事態は、戦後資本主義の支柱となったフォーディズム的資本蓄積体制とそれに支えられた社会的政治的安定の崩壊の予兆でしょう。
レスター・サローは上掲誌で、先進資本主義国の労働者の賃金低下はグローバル化の結果であると述べています。価格メカニズムの働きで先進国の労働者と途上国の労働者との賃金は均一化せざるをえない、というわけです。
マルクス、エンゲルスの著作の中でも取り分けて実践的な書であった『宣言』は、それゆえにまた歴史的な制約をより多く引き受けていることも確かです。『宣言』に書かれた内容のかなりの部分は、現在の情況に対しては妥当性をもちません。しかしながら、このような世紀末資本主義の構造変動をみるにつけ、『共産党宣言』の予言の核心的部分は、はるか150年の時空を越えてよみがえろうとしているかに思えてなりません。
当時の資本主義と今日のそれとが決定的に異なるのは、(ソ連型社会主義の成立と崩壊という歴史的履歴が書き込まれたという点を除けば)、かつてのそれが金本位制を屋台骨としていたのに対し、今日においては管理通貨制という名の貨幣制度がそれに替わってしまったという点です。しかも、変動相場制という国際通貨制度は、資本主義システムそのものをフロートさせてしまっているのではないでしょうか。上昇であれ下落であれ為替の変動そのものが利得のチャンスになるという現状をみるならば、通貨はいまや賭博場の賭札のごときものに過ぎないといっても過言ではありません。人々の労働や生活の先行きは金融資本という名のギャンブラーの手に握られております。
グローバル・マーケットの出現は、おぞましい限りではあります。しかし、そのことは、地球上のあらゆる地域に住む人々が、そして資本所有という利得の機会から排除された人々が、たがいに連帯することによってしか、問題解決の可能性を見いだしえないような情況を歴史上はじめてつくりだしつつある、といえるかもしれません。
個体的所有について興味があるので、「共産党宣言−解釈の革新」の中の篠原敏昭さんの文章はよませえていただきました。現在の日本における個体的所有に関する議論を展望することはできましたが、社会運動に関わっている私にとって、この文章は物足りなく思いました。
それで、大変僭越ですが、この問題に対する私の考えの一端を述べさせていただきます。
人間社会における個と類との対立の中で、生産力の発展とともに個と類との対立が露になった市民社会を克服して、個と類との矛盾を調整することのできる社会として共産主義社会を構想したマルクスにとって、このテーマは終生の課題でした。
個体的所有とは、それぞれの人間が社会の中で個体としての存在を可能にする所有であり、類対的所有とは、それぞれの人間が社会の類体としての存在を可能にする所有にほかなりません。
社会にとって所有はその骨格を形成するものであり、個体的所有対類対的所有という一組の所有範疇は、社会にとって根源的なものであり、それぞれの社会のあり方を根源から規定するものです。それからみれば、私たちにとって馴染みのある私有対共有という一組の所有範疇は、その所有範疇の派生物にしかすぎません。
資本主義的生産関係は、個体的所有を解体・収奪し、社会の剰余を全て類体的所有に統合させるもので、個と類とを二律背反的な敵対関係にします。その中での労働者階級の闘争を通して、生産手段の共有制の下における個体的所有の再建へ到達する、との歴史的見通しを立てたのがマルクスの功績でした。
私は、日本はこのヨーロッパ社会とは異質な社会なので、これとは違った発展の道をたどるのではないか、と考えています。大変残念でしたが、彼はヨーロッパ中心主義的な歴史観の誤りに気づき、多元的な歴史観の形成途上で亡くなってしまいました。
私は、日本のマルクス主義経済学者も、是非、マルクスが残した未完の課題を引き受けて、一歩でも二歩でも前進させ、私たちに理論的な武器を提供して欲しいと願っています。
「宣言」150周年記念集会の成功をめざして活動中のすべての方々に同慶の意を表しつつ、感想を一言述べさせていただこうと思う。旧ソ連の崩壊をむしろ好機として、伝統的な共産党によるマルクス主義にとらわれない、新しいマルクス解釈が進んできた。先進的な研究者たちによる「宣言」自体の捉え直しはもとより、マルクスの「アソシエーション」概念の掘り下げには私も大いに啓発を受けている。
ただここで若干気になるのは、マルクス思想より少し遅れて1860年代後期から1870年代にかけて、ヘッケルやエレン・スワロー、とりわけ後者によって当時の産業公害に抗してエコロジー思想が先駆的に提起ざれたことに対して、マルクス主義の側からは外在的にしか見ていない点である。コミュニズムは1848年という、明確な画期と「宣言」を持つがエコロジー思想の初期はこれとは対照的である。だが私見では“エコロジー社会宣言”は実質的に1870年代にエレン・スワローによって始められたと理解している。エコロジーの観点は初期マルクス以来、マルクス思想の中にも本来胚胎していたが、理論的に十分展開されることなく今日に至っている。「共産党宣言」の新解釈や「アソシエーション」論の展開に遺憾なく発揮された、鋭く緻密な洞察力が、旧来のマルクス主義の狭い枠組みをも解体し、人類の抱える総ての基本間題と向き合い、いっそう普遍的で根源的な理論認識を生み出し、希望に満ちた協働社会への駆動力として発展することを期待したい。
「共産党宣言」が一党一派の占有物でなく、総ての勤労者の希望の思想表現として再生することを望みつつ。
――私の問題意識と『ワーカーズ』の取り組み――
最初に『ワーカーズ』の取り組みを紹介し、あわせて私の問題意識を述べます。
社会主義といえば、これまで一般的には「生産手段の国有化」と「中央集権的計画経済」であり「社会主義=ソ連」でした。これらは新聞やテレビなどのマス・メディア、教科書、それに既成政党等々すべてがそうであり、したがって大多数の労働者もそう受け止めてきました。その必然的帰結が「ソ連の崩壊=社会主義の崩壊」というものです。
私たちはこれまで「ソ連=国家資本主義」の立場から、ソ連の党や国家官僚による独裁体制の打倒をめざす闘いを呼び掛けてきました。しかしそうした立場からの主張も、結果的には既成観念を突き崩すことはできませんでした。
これには私たち自身の弱さにも原因があったと反省しています。
私たちは「ソ連=国家資本主義」の批判はできても、「国有化=社会主義」という既成観念に代わり得る、労働者がめざすべき社会のポジティブかつ鮮明なイメージを提起することができませんでした。いわば結果的には私たちもスターリン主義の影響からまったく自由であったわけではなかったことになります。
「社会主義の大崩壊」という幻影が労働者の意識と闘いを呪縛している現在、こうした反省に立って「国有化=社会主義」に象徴される既成観念を一掃し、本来のマルクス的社会主義の復権・新生をめざすことが極めて重要だと思います。
私の所属する「新しい労働者党をめざす全国協議会」=『ワーカーズ』は、こうした問題意識に立って、2年ほど前から「社会主義研究事業」に取り組んできました。その「第一期研究作業」として、マルクスが掲げた本来の社会主義の新生をめざして、不十分ながら「『アソシエーション社会』=私たちのめざす共同社会」として昨年の暮れに取りまとめて問題提起し、同じような思いをもつすべてのグループや人々に広く共同の討論を呼びかけてきました。そのなかで私たちは、新しい社会主義像を「アソシエーション社会=自由で自立した諸個人の共同社会」として展望しています。その内容は別のパンフレットの中で提起してあるのでそれを参照していただきたいと思います。
以下、こうした立場から簡潔に問題提起します。
――アソシエーション論的社会主義の新生を――
『宣言』の書かれた19世紀の中頃という時期は、産業革命をテコに世界的に拡大しつつあった資本主義がすでにその敵対的な本性を現わしつつあった時期であり、それに並行するかのように労働者階級自身の闘いも世界的に拡大しつつあった時期でした。いうまでもなく『宣言』の歴史的な意義は、国境や民族を越えて闘い始めた労働者自身の解放を実現する明確な立脚点と闘いの旗印を提起したことにありました。
しかし『宣言』が発出されて150年、『宣言』に止まらずマルクスが掲げた共産主義の展望と旗印は大きくねじ曲げられてきました。『宣言』でうち立てられた闘いの立脚点と旗印は、スターリニズムによる影響からソ連の現実と重ねて理解され、とりわけ社会主義の理解についてはごく少数の人を除いて思考停止状態に置かれてきました。
たとえば『宣言』でいわれた「全生産手段の集中」や「生産手段の社会化」は「国有=計画経済」と同一視され、また「労働者による政治権力の獲得」は労働者の党=共産党の一党支配を正当化するものとされ、ソ連型システムとマルクスのいう社会主義とを無批判的に同一視するというところに現れていました。『宣言』の「当面の諸方策」が後年のマルクス自身によって訂正されたことさえ世間には広く浸透しませんでした。
しかし実際には、変革するのは所有と取得の「形態」ではなく「かわるのは社会的な性格だけである。」という記述や「諸個人の自由な連合社会」という未来社会の性格規定に見られるように、すでに『宣言』の時点でも革命の性格と労働者がめざすべき社会の骨格は提示されていました。
とは言っても、『宣言』の段階では共産主義社会への変革の諸契機とその必然性、あるいは国家の死滅に至る過渡的な政治的諸形態などについてはまだ確固とした具体的な見通しは持っていなかったことも事実です。こうしたことはマルクス自身による格闘ともいえるような理論的研鑽や、実際の労働者の階級闘争の諸経験から学ぶことを通じてはじめて獲得されたものです。これらについてマルクス自身がパリ・コミューンなどの経験からはじめて教訓として抽出している事実からも伺われます。
これらについてはアソシエーション的視座からの社会主義像の再構成の作業としてすでに多くの研究者も立ち入って再評価しています。私たちも基本的にこうした観点に立っています。
いま私たちが直面している課題は、第一は、こうした立場からマルクスの社会主義をより深くかつ厳密に再認識することです。第二は、そうした社会主義を21世紀を前にした資本主義の現実に適合した内実を獲得するように発展させていくことだと思います。第三に、それらを一部の左翼グループや研究者の内部だけでの議論にとどめずに、現実に生活し、また闘っている多くの労働者にとっての思想的・理論的なバックボーンとなり、また現実の闘いの生きた旗印となる位置にまで復権・新生させることにあると思います。
これらの取り組みを通じて、新たな共産主義運動を新時代の力強い潮流として形成していくことこそ、私たちの共通の課題だと思います。
――変革対象・変革課題の中心環を転換しよう!――
これまでの左翼陣営では、『宣言』に書かれている「政治権力の獲得」をソ連型国家の国有経済に結びつける傾向が支配的なものでした。そのためにマルクスの社会主議論の根幹をなす生産関係の変革、すなわち資本・労働関係の根本的変革という革命の課題は、普通の労働者でも分かるように必ずしも明確なものになっていたとは言い難い状況にありました。いま必要なのはそうした課題をあらためて最大の課題として設定することだと思います。
マルクスはパリ・コミューンの経験から、コミューン政府が工場などの「国有化」ではなく生産当事者による管理・運営を指向したこと、すなわちそこで働く労働者に企業の経営を委ねたことを、資本主義にかわる新たな協同社会への転換の具体的方策として高く評価しました。マルクスはすでに1860年代から協同組合「原理」が社会主義の「原理」を内包していることに着目し、協同組合的な社会が未来の共産主義の初歩的システムであることを洞察していました。そしてパリ・コミューンの経験によって、協同組合の連合社会を「可能な共産主義」として、それを資本主義から共産主義社会への現実的な移行形態として「実証」されたものとして把握するに至ったのです。
ここには国有化社会主義とは正反対のアソシエーション的社会主義への扉が示されていると思います。私はこうした未来社会への展望を多くの労働者と共有することが大事だと思います。
ひるがえって現実の企業社会はどうなっているでしょうか。
最近のリストラや首切りを見るまでもなく、企業の内部では経営者は労働者の権利や生活など歯牙にもかけずに扱っています。日本的な集団主義に覆われている側面はあるにしても、企業内では労働者に対する資本の専制的な支配が行き渡っています。企業内部の「不可侵の資本と雇われ労働者」という関係をひっくり返すこと、革命と社会主義の照準をそのことに向けるべきだと思います。
1976年、ロッキード事件で当時の田中首相が逮捕された翌日、当時の日経連会長の桜田武は「政党政治が力を失い、国民統合力を失っても、職場・工場の労資秩序が安定していれば体制危機は脱出できる」という趣旨の発言をしています。これは議会政治が混乱しても職場・工場での資本による労働者支配が盤石であれば資本の体制は安泰である、というものです。これは敵ながら階級支配の要諦にズバリ踏み込んだ金言だと思います。
マルクスはこれより100年以上前に社会主義とは資本による統合労働を労働者自身による連合(アソシエートした)労働に変革することだ、と言っています。桜田風に言うならば「職場や工場で労働者自身が経営権・人事権を獲得すること、それが社会主義だ」ということでしょう。桜田は戦後混乱期の企業家による経営権の確立過程からだけではなく、たぶん企業家の立場からマルクスを学んだのでしょう。その真偽はともかく、敵の生命線を攻撃することにエネルギーを集中するという戦略的発想がいまこそ求められているのではないでしょうか。
かつてスターリンは「プロ独裁」を階級関係の本質概念から切り離して暴力的抑圧という形態概念に矮小化し、その承認がマルクス主義の試金石であるかのように一面的に強調しました。「社会主義ソ連」というニセ看板を利用したスターリンによるこうしたマルクス主義の歪曲は、私たち左翼のなかでの『宣言』の理解にも逆照射し、階級闘争の力点が資本と労働の生産関係の変革よりも政治闘争、あるいは政治権力の獲得に傾斜していく傾向があったように思います。
いまになって桜田の話を持ち出したのは、労働者組織・実践グループはいうに及ばず、学者・研究者も含めて工場・職場での組織戦・攻防戦に理論的にも実戦的にも参加・支援のエネルギーを向けていくことの重要性を強調したいためです。
このことを「労働者の政治権力の獲得」と対立させて追求すべきだとか、またすべての左翼が工場・職場で闘え、と主張しているのではありません。革命の課題を、すなわち獲得した政治権力で何を実現するのかはっきりさせる必要があるから強調しているわけです。冒頭で触れたように大部分の労働者は、労働者階級が政権をとれば生産手段を国有化し、計画的な生産を組織する、というように考えていたのではないでしょうか。労働者の「代表」ではなく、生産当事者自身がすべての決定権を獲得しなければ、それは単に経営形態を変えるだけで革命ではないでしょう。
これらは当たり前のようでいて、実は現実の歴史はそうではありませんでした。
私は戦略目標を明確にすることで日常的な闘いのエネルギーの向けどころや攻撃のポイントも自ずと違ってくると思います。変革の目的はあくまで敵の「本丸」である「労資秩序」を根本的に変革することです。政治権力は、それを叩きつぶしておかないと本丸を制圧できない強力な「出城」のようなものだと思います。
話は変わりますが、1917年のロシアでは労働者はストライキや職場占拠を基盤としてデモに参加しました。日本ではかつての安保・三池闘争でも労働者は大部分が休暇でデモや支援に参加しました。単純な比較は無意味で時には誤りだとは思いますが、この差は単なる政権交代か革命かの分水嶺となる決定的な違いです。職場・生産点で団結が解体されている労働者階級が政治権力を獲得するということ自体、論理矛盾でしかないと思います。「本丸」の変革を射程に組み込んでこそ労働者は名実とも武装されるものと思います。
――21世紀を「社会主義の世紀」に!――
マルクスがそこから多くの教訓を引き出したパリ・コミューンは一つの国、それも都市レベルの事件で、しかもほんの一瞬の出来事でした。またロシア革命もそこから多くの教訓を引き出すことはできるとしても現実は圧倒的な農業国における労働者・農民革命でした。
現在はどうでしょうか。
アジア諸国では資本=市場経済が深く浸透し、またソ連・東欧諸国、それに中国が世界的な市場経済に組み込まれました。多くの巨大企業が多国籍企業として国境を飛び越えて活動しています。マルクスが資本主義の歴史的な成果と呼んだ世界市場の形成を通じた地球規模での人類の結合は、いまや単なる商品交換・市場による統合に止まらず、資本=労働関係そのものの世界システムとして登場しています。資本主義のこうした発展と歩調をあわせるかのように、労働者の国際的な流動化が進み、同時に労働者の闘いも国境を越えて広く結びつく時代になっています。
こうした状況はマルクスが想定した世界システムとしての社会主義が文字通り現実の課題となっていることを教えていると思います。
ソ連などの崩壊以後、かつての「現存社会主義」に代わって「20世紀社会主義の破綻」が多くの左翼によっても言われています。しかしたとえカッコつきではあっても「ソ連=社会主義」というという呪縛から根本的に脱却すべきではないでしょうか。ソ連社会の冷静な再評価が進めば正確には「20世紀国家資本主義の破綻」であることがはっきりすると思います。社会主義は「破綻した経験」を持っていないと思います。
マルクスの生きていた時代から150年、ソ連・東欧の崩壊によって資本主義が世界システムとして登場したまさに現在、資本主義世界は金融恐慌と大恐慌の危機におびえ、解決不可能な大量の失業者を生み出しています。そうした資本主義の現状を見据えるとき、来るべき21世紀は文字通り「社会主義の世紀」となるだろうし、そうしなくてはならないと考えます。
『宣言』は現代に生きています。「自由で自立した諸個人による協同社会」の実現というマルクスが『宣言』で掲げた目標は、今こそ実現されるべきだと思います。そのためにも労働者の闘いの旗印となるべきマルクス主義の新生と本来の社会主義像の確立、及びその実現に向けた具体的な道筋を明確にしていくことが不可欠だと思います。
こうした作業はすべての左翼グループ、すべての学者・研究者に問われている試金石ではないでしょうか。私たちはそうした目的のもとに活動する多くの人たちと協力してこうした歴史的な課題に挑戦していくつもりです。
ひとりから革命それもまた良し俺の孤党
幻想を棄てて真向から党宣言
原点の原点俺の党宣言
「全協日本土建」のオルグが帰りがけに一冊のパンフをおいていった。「共産党宣言」の英訳パンフであった。当時の私には「猫に小判」であった。友人に高等師範の学生だったのがいたのでもちこんで強引に訳してもらうことにした。「国禁の書」である。学校の先生になる筈のかれにとっては迷惑きわまる話しであった。かれはいやな顔もせず、わかるところまで付き合ってくれた。
「『ちみもうりょう』というのかね、『魑魅魍魎』むずかしい言葉だねー」
私が十八のときであった。「マルクス」を知った。この人の「資本論」、これが「貧乏退治」の本だということも知った。改造社から出版されていて、三巻五冊、当時の金で五円という高額である。二十才になって、築港の人夫で働いていたとき、母親にねだってみた。高畠という人の訳であったが、それがまたむずかしい。日本語でありながらこんなむずかしい本があるというのが「シャク」だった。よし、わかるところまで、はじめから書き写してみよう。毎晩、築港の仕事から帰ると、二時間、わかってもわからなくとも、ともかく書きうつすことになった。夏の夜ともなると、頭の上の高台で、祭りの稽古の太鼓の音ががんがん鳴りだして、この天敵には参った。母親が笑いながら小さい「ぶどう」の差し入れをしてくれたりした。
貧乏ってなんだ。これが頭から離れない。
「まてよ、これは造りだされたものちゃないか」、いいところまできた。そうだ、この「貧乏退治」を一生の仕事にしよう。「人生観」などというきのきいた話ではないが、この「社会悪」を退治する仕事に一生をかけるのは悪くない。
読めない「宣言」が、私の一生をきめたのである。
マルクス・エンゲルスによって『共産党宣言』が起草されて150年、共産主義の最初の綱領的文章ともいえるその基本的内容は、世界初のプロレタリア革命を実現させたソ連の崩壊から7年を経過した今日、より重要なものとして再度掴み取らなければならないものを我々に投げかけており、その意義は決して薄れてはいない。
『党宣言』において主張された「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となるような一つの協同社会」(国民文庫、1971年、p56) が、何故ソ連において達成されえなかったのか、このことを明らかにし歴史的に教訓化することこそ、来るべき共産主義社会実現に向けての、現在我々に課せられた緊急かつ重大な第一歩である。
1、特殊な国家資本主義としてのソ連
従来の一般的な見解では、プロレタリア革命後の国有経済は、社会主義(共産主義社会の第一段階)と見なされてきた。しかし、国家間対立を有し、世界的な商品経済の只中にあるプロレタリア国家ー国有経済を、共産主義の第一段階に到達した社会であるということはできない。
『ゴータ綱領批判』で述べられた共産主義社会の第一段階とは、労働と生産物が直接に社会的なものとなるため、生産物の交換がなく、価値法則も存在せず、従って貨幣流通もなくなり、労働証書による分配が実現される社会である。この段階では、国家が全能の神として君臨し、生産・分配を指揮・命令するような形態が克服され、個々の生産者が協同して自主的な合議の下で、生産・分配を行う形態が可能となる。
プロレタリア国家ー国有経済は、確かに、通例の資本主義と異なる社会性格を帯びている。だが、価値法則は国家の価格政策などによって歪曲を受けるものの、生産物が価値となることからは免れていない。また、この国家の労働制度も、資本主義的性格を残存させている。労働者は、給与を通貨で受け取り、生活資料を商品市場で購入する。このことは、仮に、社会保障給付などによって、プロレタリア国家の労働者の所得が増大したとしても、労働が直接社会的ではなく、それゆえまた分配が直接生産の分け前となっていないことを明瞭に示すものである。
プロレタリア国家における国家所有は、共産主義社会における社会的所有(共有を基礎とする個人的所有)とは、全く異質のものであり、両者は直接の連続性を有するものではない。たとえプロレタリアートが権力を掌握していようとも、国家所有は、所有の排他的対立、つまり何らかの私有制を前提としている。プロレタリアートは国有生産手段を梃子として、資本の自由な運動を一定限規制しうるし、またそうしなければならない。しかし、その国有生産手段は、未だ資本としての性格を脱却できていない国家資本に他ならないのである。
従って、プロレタリア国家は、通例の資本主義経済と同様に、利潤を求める商業原則に左右され、利己的な国益主義・官僚主義を形成する可能性を、未だ克服しえていない歴史的段階の存在である。それは、社会主義社会ではなく、資本主義から共産主義(社会主義)への過渡期の社会であり、特殊な国家資本主義である。(そもそも、国家が存在する社会が社会主義でありようはずがない。プロレタリア権力といえども、「本来の意味の政治権力は、一つの階級が他の階級を抑圧するための組織された暴力」(前掲書 P56)なのである。)
2、過渡期における体制変革
過渡期とは、プロレタリアートの階級的独裁であり、資本主義的生産様式を共産主義的生産様式に変革していく革命過程そのものである。前者と後者の間に、独自の固有の経済的社会構成としての生産様式、例えば“プロレタリア的生産様式”とか“過渡期生産様式”といったものが存在する訳ではない。つまり、過渡期は資本主義的生産様式の最終段階であり、体制変革の対象である。この段階では、社会は安定したものでないため、この変革への闘いが充分でないならば、通例の資本主義に戻ることが避けられない。
マルクスが『党宣言』で述べているように、「共産主義者の当面の目的は、・・・プロレタリアートの階級への形成、ブルジョアジーの支配の転覆、プロレタリアートによる政治権力の獲得である」(前掲書 P44-45) 。 だが、これは「当面の目的」であって最終目標ではない。その政治革命だけでは資本主義的生産様式を変えたことにはならない。権力奪取によって過渡期は開始されるが、その際、政治的構造(上部構造の一部)の階級性格は転換するものの、経済的構造(下部構造)と法律的構造(上部構造のもう一部)は、未だ転換していないのである。プロレタリアートは、法律的上部構造の変革を通じた経済的構造の変革によって、すなわち私的所有の廃絶によって、過渡期を終え、共産主義的生産様式に移行することができる。
過渡期におけるプロレタリアートの最初の任務は、「政治的支配の利用」(前掲書 P55)である。すなわち「ブルジョアジーから次第に一切の資本を奪い取り、一切の生産用具を国家・・・に集中」(同頁)することである。だが、この生産手段の国家的所有への転化は、「所有権とブルジョア的生産関係とへの専制的な侵害」(同頁)なのであり、しかも「経済的には不十分で、長持ちしえないような」「諸方策によってのみ行われる」「全生産様式を変革する手段」(同頁)なのであって、私的所有廃絶そのものを意味しない。国有化は資本主義的生産関係の変革にとって、自足完結的な目的ではなく、そのための不可欠な「手段」に他ならず、その入口である。国有化を生産関係の変革の主局面と捉えることは、国有経済自身を乗り越えて、共有に基づく個人的所有の再建へと進む経路を閉ざし、国有経済の永遠化(もしくは瓦解)を導く。スターリンはまさにこの道を敷いたのである。
3、所有関係(法律的上部構造)の変革を通じた生産関係の変革
資本主義的生産様式を転換するには、歴史発展の阻害物となっている生産関係と所有関係の双方が変革されなければならない。根本的な課題は勿論、生産関係の変革である。しかし、変革の意志的な過程は、直接には法律的上部構造である所有関係の変革を通じて実現される。つまり、経済過程・経済的意識によっては、生産関係の変革はなしえず、旧社会の廃絶=社会革命を達成することはできない。
というのは、第1に、経済領域からの直接の変革は私的生産の内部の変革を意味するため、経済の社会的性格を根本的に変えることにはならないからである。第2に、所有関係を変革することなくして、商品経済の等価交換の方法を変えようとしても(例えば、より安く売り、より高く買うなどして交換方法を変更したとしても)、価値法則を少しも侵害することにはならないからである。
こうした生産関係ー商品経済の領域からの変革の追求に対して、私的所有制の廃絶が実現されるならば、商品経済はその成立条件を失うことになる。従って、所有関係を主要な要素の一つとして含む法律的構造の変革は、直接に生産関係の変革を引き起こすといえるのである。
ところで、所有関係を下部構造に位置させるのは、誤りである。所有関係は、生産手段に対する関わり方を意味するものであって、自然的素材を労働によって生活手段に質量変換する生産活動そのものではない。それは、純粋に物質的過程である生産関係(経済的構造)とは異なる「法的関係」、「意志関係」(『資本論』交換過程の冒頭)であり、マルクスが『経済学批判』の序言で述べているように、法律的上部構造に位置するものである。この点は、非常に重要である。
なぜなら、スターリン派は所有関係を上部構造に明確に据えきれないために、政治的上部構造が直接に生産関係を防衛するかのような理解に陥っており、そのため、体制変革に関して、経済的土台(下部構造)と上部構造とに最も直接なつながりを持っている法律的上部構造自体を事実上、欠落ないし無視させてるからである。この場合には、経済過程そのものからの変革か、政治的構造の変革からの直接の生産関係の変革かの、どちらかに片寄るか、もしくはその双方の間を揺れ動くような変革の追求となり、経済的構造の変革に直接つながる法律的構造からの変革を徹底して追求することを不可能とさせてしまう。つまり、所有関係を下部構造に位置させることは、結果的には所有問題の後景化となる。これはソ連総括の重要な一視角でもある。
『党宣言』では、「共産主義革命は、伝来の所有関係との最も根本的な断絶である」(前掲書 P54)、あるいは「共産主義者は、所有の問題を・・・運動の根本問題として強調する」(同 P74)、また「共産主義者は、自分の理論を私的所有の廃止という一語に総括することができる」(同 p45)と主張されている。ここでマルクスが、共産主義者の任務を“資本主義的生産関係の廃絶”とか“資本の収奪”に集約するのでなく所有問題つまり私的所有廃止に総括していることは、注目すべき重要な点である。
4、私的所有廃絶の意味
法律的上部構造の変革を通じた生産関係の変革、つまり私的所有の廃絶は、国家の成文法の変革(改正)では実現されえず、広い社会領域全般における変革が必要不可欠である。(資本主義的生産様式の転換をマルクスは、「政治革命」とか「経済革命」とかではなく、「社会革命」と述べている(『経済学批判』序言)。)
因みに、マルクスの言う法律的上部構造の「法律」という用語は、日本語の語感(成文法)とかなり異なるものであり、社会生活全般を規定する慣習・取り決め・掟など慣習法・自然法を中心とするものである。それ故、これには労働者間の相互関係、つまり地域・職場・家族などの組織・制度や、さらに労働者内部での様々な差別・格差や分業の固定化など、直接に国家権力と労働者との関係として現れていない制度・慣習の全てが含まれる。
さて、ブルジョア的私的所有とは、『党宣言』によれば、「階級対立に基づく、人による人の搾取に基づく生産と生産物の取得との、最後の、そして最も完成された表現である」(前掲書 P45)。「生産物の生産と取得」が「階級対立」と「人による人の搾取」に基づいているということは、人が人に対して排他的に対立し、「生産と生産物の取得」を排他的に行っていることを示している。従って、私有の本質は所有関係の排他的性格にあり、所有が相互に排他的に向かい合っていることである。
国家は非和解的対立の表現である。ゆえに国家所有は、どんな場合でも何らかの排他的敵対を有している。仮にそれが一国全体を覆うものであったとしても、その外部と関係する場合には、つまり海外の国家やその企業・個人に対して、さらに国内の国有企業間においてさえ、商品生産者として向かい合うことになる。また、旧ソ連のように国家所有が一国全体を覆うものでない場合には、その排他的性格はより明瞭である。例えば、国家企業と他の生産(集団農場や私的経営など)との間の対立、国有工場間の対立、そして国有工場設備と貨幣・通貨との対立などがある。国有企業と通貨の対立は、通貨によって国有企業から何らかの物を買う全ての人々、すなわち給与労働者あるいは他の経営者と国家所有との対立を意味している。
商品経済が維持される社会では、排他的に向かい合う関係は、社会全体に行き渡っており、全ての人々は、意識的か否かにかかわらず、この関係の一端を担っている。給与格差、生活の不確かさ、社会的差別、相互不信、分業の固定化など、様々な労働者の諸関係は、排他的に向かい合う関係すなわち私有関係の表現に他ならない。例えば給与格差は、労働力商品の差異つまり労働力の価値の差異以外の何ものでもなく、価値法則、そして私的所有制の存在を体現している。
給与格差・生活格差などや、その社会的対立は、所有の排他的性格を再生産する。というのも、もし、ある者が多少なりとも生活に不安や危惧を持つならば、彼らは生活資料を排他的に所有することを求めるであろうし、社会の一部が排他的所有を求めるならば、他の者もそうせざるをえなくなるからである。それ故、私有廃絶のためには、生活への不安・危惧をもたらす種々の格差などが克服されなければならない。
様々な社会的差別も又、私的所有制の再生産を必然化させる。ある人々が他の人々を区別する。何故なら、前者はそのレベルや権利から後者を排除したいからである。この関係は、所有の排他的関係=私有関係を直接に意味する。そして、被差別者に彼らの生活条件にしがみつくように、私有防衛を強いる。従って、全ての社会的差別や差別意識は、私有関係の強固な砦なのである。
経済的格差であれ、社会的習慣として強力な力を得ている差別制度やその意識であれ、そうしたものがある限り、社会的敵対や相互不信が残るため、人々は生活を共同生産・共同労働に全面的に委ねることはできない。それゆえ、これらの格差・差別の廃絶は、私的所有廃絶において必要不可欠なのである。
スターリン派は、国家による資本の収奪ー国有化の段階に進むならば、仮に種々の社会的問題を残していても、資本主義国家とは異質な社会条件が獲得しうると捉えている。これは国有化によって、私的所有廃絶ー生産関係の変革の主局面ないし中心領域が、実現されるという理解に他ならない。従ってまた、種々の格差・差別などは、労働者内部の派生的・副次的な問題であり、体制変革の本質的な課題ではないとするものである。
資本主義的生産関係の変革は、所有の排他性を消滅させること(=私有廃絶)によって実現されるが、それは格差・差別などや、それに基づく社会的敵対などの克服と不可分である。これらは私的所有廃絶にとって、副次的・従属的な問題ではあり得ず体制変革の本質の一環である。国有化は、その変革の不可欠な条件であるが、その変革そのものではない。生産関係の変革の主局面は、プロレタリア国家による国有化から、国有をも必要としなくなる社会的共同生産の実現に向けての、社会全般の変革過程を意味する。つまり、全社会領域におけるプロレタリアートの自覚的な諸活動を中心に、国家を不要とする社会関係を形成し、国有経済そのものを質的に変革し、死滅させ、共有に基づく個人的所有を実現することである。
生産関係の変革にとって、社会領域の変革が直接的なものであり、国家領域は間接的なものなのである。これがアウトラインである。
(共産主義運動の四分五裂を克服し、左翼諸潮流の合流をめざす私たちIEGの立場・訴えなどについて、『国際主義』28号をぜひご検討下さい。)
近年、グラムシ思想は世界各地で、新たな側面から話題にされるようになっている。その理由は、何よりも彼独自の思想方法にあった。
だがその思想的遺産は、必ずしも明快な理解を得ているとはいえない。今世紀初頭から30年代にかけての歴史的激動のなかで、彼自身、古い思想と新しい思想、イタリア的なものとヨーロッパ的なもの、主意主義的な傾向と自然発生的な傾向との緊張・対立の総合をめざしていたことが、彼の思想にある種の「多義性」「曖昧さ」を残すことになっているからである。とはいえ彼は、そうした「多義性」「曖昧さ」を機械的に切り捨てることなく、複雑な時代状況をあるがままの総体としてとらえようとしていた。彼が、ヘゲモニー、有機的知識人、受動的革命、歴史的ブロック、フォーディズムといった耳馴れない用語を用いて理論構築をはかったのもそのためだ。最近では、こうした彼の思想の「多義性」「曖昧さ」のなかに、その遺産の豊かさ、強靱さが探られるようになっている。
グラムシの思想構造やその心情的・政治的信念が、マルクス主義を主要な基盤としていたことは疑いない。だが同時に彼は、彼特有の「グランド・ベース」に拠りながらマルクス主義にアプローチし、しかもいくつかの点でこれを修正し、またそれに「新しいもの」をつけ加え、独自の理論を展開することを躊躇しなかった。そうしたことが、彼のマルクス主義をきわめて独特のものとしている。
では彼は、いかなる「グランド・ベース」のもとにマルクス主義にアプローチしていったか。
彼のグランド・ベースの一つはイタリア史再考だった。歴史と文化の意味を理解していた彼の史観は何よりも人間主義であり、歴史を精神的・知的生活の総体として、また社会関係の生成・発展としてとらえていたところに特徴があった。そうした文脈でルネッサンスからリソルジメントとのかかわりで、ファシズムをとらえていたのである。
彼におけるもう一つのグランド・ベースは、新しい資本主義への着目である。第一次大戦によって資本主義は工場に新しい生産システムを出現させた。グラムシはそこに、従来の資本家タイプにとって代わりつつある新たな社会像としての集団的人間をとらえ、29年恐慌を機に、世界経済の中心がヨーロッパからアメリカに決定的に移ったと確信し、世界体制としての資本主義の高度化を見ぬいていた。
グラムシにおけるさらにもう一つのグランド・ベースは、彼の非マルクス主義的教養である。彼は、マルクス主義を近代文化の一契機としてとらえ、広く近代文化から必要な要素を摂取することに積極的だった。彼の教養が、イタリアおよびヨーロッパの文化的伝統に深く根ざしており、ベルグソンやフロイトなどに関心を寄せていたのもそのためだ。クローチェ哲学にたいしても同じで、クローチェからの吸収を基礎にマルクス主義にアプローチし、またマルクス主義に拠りながらクローチェを批判した。「グラムシはかぎりなく独創的な思想家だ」(N.ボッビオ)とか、「彼の著作は非マルクス主義者にとってきわめて魅力的だ」(J.ジョル)と評されるのも、そのためだ。
『共産党宣言』の全体を初めて読んだのは、大学3年生の時のゼミのテキスト
としてでした。今から35年も昔のことです。翻訳のせいもあるでしょうか、何
かアジテーションのような感じが妨げになって、学問の古典として読むという水
準になかなか入れませんでした。「共産主義の妖怪」「これまでの歴史はすべて
階級闘争の歴史」「あらゆる現存社会秩序の暴力的転覆によってのみ共産主義者
の目的は達せられる」「支配階級をして共産主義革命の前に戦慄せしめよ」「万
国の労働者、団結せよ!」等々。学生運動をやっていた人たちの中には、これを
文字通りアジテーションと受け取って、だからいいと好む人も結構いましたが、
私の場合は、今もそうですが、単なるアジテーションには反発しか感じないので
す。
辛うじてゼミの議論の中で、指導教官から提起された、『宣言』の第2章と第
4章との関連を押さえることは運動史上非常に重要だ、というコメントを手がか
りに、学問的に深いものをこの『宣言』は含んでいるのだということ、『宣言』
は学問上の研究書として書かれたものでは勿論ないが、浅薄なパンフレットと同
列視することは根本的に間違っているということ(だから大学のゼミのテキスト
として使って検討できるのだ)を感じ取って、分からぬなりに一歩入りかけたと
いう状態でした。共産主義者とプロレタリアはどういう関係にあるのか? この
問題は、プロレタリアたちの利益を守る各国の現存の労働者政党(例えばイギリ
スのチャーティスト)と、マルクスたちが新たに創った共産主義者同盟とはどん
な関係に立つのか? という問題に置き換えることができる、と2章では書かれ
ています。そこでは共産主義者は、別個に共産党を作ってチャーティストと競り
合うようなことをせず、むしろチャーティストに加入してその先頭に立って闘
う。労働者政党が無い国では共産党を創り(例えばドイツ)、種々の政府反対党
とそれぞれ一定の協力関係を持つ(第4章)。こういうことがどういう基盤の上
で可能となって、我々はどこに向かって進んでいるのか? これが第1〜2章で
説かれ、種々雑多な社会主義・共産主義とマルクスらの共産主義とは何が違うの
か? マルクス主義がそれらから受け継いでいるものは何かあるのか? これが
第3章、というふうにつながった時、『宣言』は私の中でも生きたものとしてよ
みがえり、マルクスと対話できるようになりました。祝150周年!
(ただいま準備中)